教育、農業とキューバを叩いてきたから、今度は医療について語ろう。厚生省を率いるのは、ホセ・ラモン・バラゲール(José Ramón Balaguer)大臣。オリエンテ出身の革命家で、来日されたときに一度だけお目にかかったことがあるが、全身から高潔な人格が放射されていた。孔子を評した「威あって猛からず」とはこうした人物像であったのかと感銘を受けた記憶がある。
だが、引き続き医療についてもプチサヨの幻想を打ち砕かねばなるまい。まず、アクセスしてもらいたいのが、「キューバの生活」というキューバに住んでいたらしい日本人のサイトだ。
キューバが誇る無料の医療に対し、のっけから「まず第一にタダより高いものはないとよく言う通りに、医者がとんでもない判断をして、患者が死んだとしてもその医者が罰せられる事もなく、誰も責任を取らない場合もあります。日本でも診断ミスや注射を間違えて患者を誤って殺してしまう事件がよく新聞に載っているが、キューバでは新聞に載ることはない。間違ってもない。そして、医者を訴えたというのも、聞いた事がないので、恐らくできない事になっているのだろう」というぶっちぎりの過激発言をぶちかましている。
キューバ医療に感動しているノー天気なプチサヨどもは、独裁政権の恐ろしさを思い知るがいい。
さらに、吉田沙由里さんの『小さな国の大きな奇跡』のアマゾン書評で★の酷評を下したコメントも読んでみよう。
「医療費無料を達成したキューバ。ですが医薬品はまったく足りていません。四肢切断のような事故でも麻酔抜きの手術が強いられます。風邪薬もまったく足りない状態で、昨年は中国から大量の医薬品を輸入しました。が、結果多くの子供が逆に、軽い風邪であったのに亡くなってしまったことはニュースなどで知られる通りです。まあ事故と風邪に絶対にあわないのなら理想の革命国家なのでしょうけれども」
なんという嫌味にして後味の悪い評価だ。とはいえ、中国からの粗悪医薬品で子どもが死んだとなるとこれは見逃せない。あわてて、英文サイトを検索したのだが、どうもこれに該当する記事がヒットしない。逆に大量にヒットしてきたのが、「シッコよりはサルー」というメッセージだった。
「シッコ(SICKO)」とは文字通り、マイケル・ムーアの映画の題名。「病人」のスラングで、「いかれた。ほとんどビョーキ」という意味もある。一方、サルーはスペイン語で「健康だ」。キューバでは「サルー!」の発声で乾杯するし、キューバ厚生省の正式名称はミニステリオ・デ・サルー・パブリカ(MINSAP=Ministerio de Salud Pública)。ストレートに訳せば公共健康省となる。
米国の医療の病理を暴いた「シッコ」は「こうしたら駄目だ」という映画だから、警告にはなるが見た人は落ち込む。一方、キューバの医療の健全さを描いた「サルー」は「こうすればいい」というドキュメンタリーだから、励みにもなるし、見た人は元気がでる。誰だって、病気よりは健康の方が良いだろう。だから、シッコよりはサルーなのだ。
ところが、残念なことに、日本のウェブで「サルー」を検索すると、元NHKのディレクター、井坂泰成さんが製作した「サルー・ハバナ」すなわち、「ハバナの都市有機農業」のDVDがヒットしてしまう。だが、「salud!」で検索すれば、本家本元の医療、すなわち、米国の医療NGO、MEDICCが2006年に製作したDVDがヒットする。
ビデオには、拙著でもふれたミシシッピー州の民主党のベニー・トンプソン議員やグスタフ・クリ博士との対話で出てきたハーバード・メディカル・スクールのポール・ファーマー教授が登場し、カーター元米国大統領までもがキューバの医療を評価するコメントを述べている。
カーター元大統領は個人的にはまことに道徳的な人物で、CIAの秘密工作には批判的だったが、歴代の大統領と同じく数多くの秘密工作指令に署名していたことはティム・ワイナーの「CIA秘録」を読めばわかる。とはいえ、キューバ医療を評価するDVDにリベラル派の元大統領を登場させるとは、見事なセンスだ。日本の例でいえば、井坂泰成氏のDVDにトンちゃんこと村山富市元首相が登場し、キューバと比べた日本の有機農業政策についてコメントするといった感じだろうか。カーターと同じく、来日した際にはトンちゃんもフィデルと会っているし・・・。いや、駄目だ。どうもピントがずれてしまう。
何はともあれ、腐っても米国だ。シッコがヒットする以前の2006年の6月にちゃんとこんなDVDを作っていたのだ。まことに、うかつだった。あわてて今日、注文した。
さて、話は飛ぶが、ロイターの記事は、キューバがベネズエラへの医療援助によって、医師不足に陥っている状況をちゃんと伝えている。7万3000人と国民一人当たりでは米国の2倍もの医師がいるのだが、ベネズエラでの治療活動に1万5000人もの医師を送り込んでいるために、病院では長く待たされるようになっているというのだ。
例えば、ムーアが呼吸器障害の患者を見てもらった病院で診察を待つ患者イボネ・トレスさんに「治療はまだかなり良いのですが、6年前には100万倍も良かったのです。いつも同じお医者に診てもらっていましたから」との発言をさせている。
また、同記事は、マイアミに亡命した医師の言葉を借りて、ディエゴ・マラドーナのような有名人や共産党の指導者用のエリート病院と庶民の病院に格差があることも伝えている。このことについては、「そのとおりだ」と断言できるだけの情報がなく、個人的にはいささか疑問に思っている。
だが、同じ記事は、ちゃんと上述した「サルー」を製作したゲイル・リードさんの主張も載せている。
「とはいえ、発展途上国では金のかかる医療を受けられませんから、キューバの予防医療は経済的にも意味のある良いモデルなのです」
こうしたバランスの取れた記事はいい。
キューバの医療は奥が深い。完璧にして無謬の理想の制度として絶賛するのではなく、さりとて、一面のミスや欠陥から酷評するのでもなく、様々な面から光をあてて総合的に評価しなければならないのである。