レジリアンスの鍵は自給・多様化・つながり
枝廣淳子さんの頭脳がどれほど明快であるかについては、例えば、8月日に長野市で行なわれた講演「信州から始める幸せ経済のライフスタイル」でレジリアンスについてふれたの以下の短い発言からもわかる。抜粋してみよう。
「もうひとつ大事なことがレジリアンス。回復力、復元力ですが、私は何があっても立ち直れるしなやかな強さと訳しています。日本では知られていませんが、世界的にはサスティナビリティの次にレジリアンスとなっています。で、大震災の後には停電になったら何も動かない(略)。何が問題なのだろうと、3.11から見ていくと、まず、他から来るものに依存していた。二つ目が一つのことだけに効率がよいので頼っていた。そして、外とのつながりがなかったのです(略)。この三つがあると思いました。レジリアンスの鍵はある程度の自立です。二つは一つではなく多様なものに頼る。三つが外とのつながりをゆるやかに作っておく。これが、家庭にも地域にも重要だと思っています」
また、枝廣淳子さんは、コミュニケーションとマーケティングを意識しているとも言う。
「持続可能なライフスタイルにまだ気づいていない、それ以外が忙しくて、ゆとりがない人たちにどう広げていくかが必要だと思っています。良いことだから広がるというのはナイーブで、広がる戦略を立てていなければ広がっていかないのです」
そして、枝廣さんは、伝えるためには、少なくとも三種類の人たち向けの別々のアプローチが必要だと主張する。第一は、左脳が強く、データを重視する企業人たち。第二は、企業でも経営企画、あるいは、主婦のように、損得に敏感な人種だ。そして、第三が、若者や女性、データや損得よりも、心の幸せや人のためになりたいことが響く人たちだ。
「この三通りを用意して、出す資料もトークも変えていかなければならないと思っています」と枝廣さんは言う。
8月20日のブログでは、リチャード・ハインバーグの『成長の終わり』をケチョンケチョンにけなしたが、枝廣流の戦略からすれば、これは私の了見の狭さそのもので、第一のデータ重視のカテゴリーの人たちには必読の価値のある本だと思っている。これでもかこれでもかという圧倒的数値を持って、成長がいかに終わってしまっているかがよくわかる。一方、私は枝廣流のカテゴリーからすれば、第三種の人種に入るといえるだろう。マイケル・グリアの没落本に魅かれるのも、グリアがこの部分の感性の琴線に触れる鋭いフレーズを投げかけてくるからだ。とはいえ、グリアは感性だけではなく、歴史的事実をもとに意外な発見や盲点を教えてくれる。
例えば、2012年4月22日のブログ「ローマ帝国の崩壊・上」では、トーマス・ホメール・ディクソンの著作を元に、こう抜粋した。
「考古学者たちは、フランス南部において40万本のワインを貯蔵できる巨大なオイルやワインの貯蔵庫の遺跡を発見している。陶磁器の工房は、輸送用に用いられた何万もの大きな壺やアンフォラを製造していた。アンフォラとは、ギリシア時代から用いられた陶器の器で、古代ローマでは、オリーブ・オイル、ワイン、植物油、穀物、魚他の必需品を運搬・保存する主要な手段として用いられていた。端的に言えば、古代ローマ帝国は、今日のグローバル化された世界の初期バージョンとなっていた。イギリスからエジプトまでの広域経済圏が作られ、各地の地理、気候、土壌に応じて、個々の地域で農民たちは最良の農産物を生産するために特化されていた。これが経済全体のレジリアンスを押しあげる助けとなっていた。例えば、ある地域が不作であっても、豊作であった他地域からの輸入で対処できた(1)。
おおっ、レジリアンスの登場だ。だが、グリアの分析はさらに深い。前出の大ローマ帝国の壺、アンフォラをネタに、グローバリゼーションのどこが危険なのか、そして、それが、レジリアンスとどうかかわってくるのかを語ってみせる。そこで、今回は壺を話題にとりあげてみたい。
没落と失われた技術
「エコテクな未来」の第7章・家庭のパラグラフ「特殊化の罠」で、グリアはこう書く。
「このすべてがローマ崩壊時に終焉した。考古学者たちが、東ブリテンのサットン・フー(Sutton Hoo)で、6世紀のサクソン王の墓を発掘した時、発見された陶磁器は、技術的な崩壊の純然たる物語を伝えていた。もし、それが4世紀のブリテンで作られていたならば、サットン・フーの陶磁器は小作農民にすら不自然なものであったであろう。が、2世紀後には、それが王の食卓に鎮座していた。そのうえ、そのほとんどは輸入されなければならなかった」(2)
200年前には庶民があたりまえに手にしていたよりも、一国の王が手にする食器がみすぼらしくなっていたというのだ。これを没落と言わずして何と言おう。
ちなみに、6世紀のサクソン王といってもイギリス人ではない私には、ピンとこないため、若干補足しておこう。グレートブリテン島には紀元前9世紀~紀元前5世紀頃にかけ、ケルト系民族が侵入し、グレートブリテン島での鉄器時代が始まり、各地にケルト系の部族国家が成立した。このグレートブリテン島に紀元前55年にローマのカエサルが侵入。西暦43年にはクラウディウス帝がブリテン島の大半を征服する。
ローマ人たちはこの地域をブリタンニアと呼び、支配拠点としてロンディニウムを建設し、これが現在のロンドンの起源となった。だが、5世紀になるとローマ帝国が混乱する。ローマ人たちはブリタニアでの植民をあきらめて大陸へと引き返す。ローマにかわって空いたブリタニアに侵入を始めたのが、アングロ・サクソン人である。彼らは、ノーサンブリア、マーシア、イーストアングリア、エセックス、ウェセックス、ケント、サセックス等の7王国を建設し、覇権を争った。うち、中世初期の著名な遺跡サットン・フーがあるのは、イースト・アングリア王国である。
サットン・フー一帯は王国の墓地となっており、豪華な金銀の装飾品や武具、武器などが出土し、627年に死去したイースト・アングリア王レッドウォールドの墓ではないかと推定されている(3)。
だが、ローマの崩壊の中で多くの技術が失われ、数千年以上も前の中期青銅器時代の水準にまで落ち込んだ、とグリアは書く。では、なぜ技術は失われてしまったのだろうか。グリアの分析はこうだ。
「それは、ローマの崩壊が、ローマ経済を極めて効率化させていた洗練化と特殊化にその根を持っていたということだ。ラ・グローフサンク(La Graufesenque)のような巨大な陶磁器工場は、高級品を大量生産するため、専門化した労働者を雇用していた。それは、その陶磁器を望む消費へと広大な輸送と交換のネットワークを用い、大陸全域にその製品を売ることによってのみ、その利益をあげることができた。ローマ世界は、こうしたネットワークを支えられるだけ豊かで安定していたのだ。だが、ポストローマ世界はそうではなかった」
グリアによれば、ローマはグローバル化していた。だが、そのメリットは破綻によって、逆にデメリットへと変わる。
「その経済的な強みは致命的な脆弱性へと変わった。ローマ経済は集中化された生産に依存し、かつ、かなり長期にわたって労働を専門化していたため、それを地元資源に取り替えるやり方を誰も知らなかったのだ。帝国の全盛期には、サットンフー近郊の町や村の人たちは、地元の商人から陶磁器を買えた。彼らは、その商品を帝国の他の場所から海上輸送していた。彼らには、地元に陶磁器工場がある必要性がなく、そのため、誰も良質な陶磁器の作り方を知らなかった(略)。陶磁器工場が存在したところでさえ、コミュニティに必要とされる一般的な小規模な陶磁器よりも、専門化した陶磁器の大量生産に適応していた。良い陶磁器の作り方の知識がない陶工の子孫たちが残され、ローマの陶磁器製作の技術的伝統を消し去ったのだった」(2)
ああっ。グローバリゼーションと効率化がレジリアンスを失わせてしまったのだ。
中世マイスターのレジリアンス
マイケル・グリアは「自然の富」の第6章・未来への道で「バック・トゥー・ザ・フューチャー」と題して、さらに、グローバリゼーションの意味をとりあげる。
「ローマ経済はローマの政治形態と同じく、まさに集中化されていた。陶磁器のような主要産業においては、巨大な工場での大量生産が当時の風潮で、その製品は海や陸経由で数千マイル先のエンドユーザまで輸送されていた。道路がもはや修理されなくなったとき、その停止がやってきた。地中海は海賊たちの天国となっていた」(3)
そして、グリアはローマン・グローバリゼーション以降の世界がどうなったかを書く。
「ローマの内破に残された空間を満たすために発展した経済システムは、ことごとくがローカル化されていた。このシステムは職業別のギルドに基づいていた。ギルドは直感には反し、近代的なマインドで機能していた(略)。都市には、地元企業の規模を越す産業はごくわずかしかなく、ほとんどのビジネスは、市民や都市周囲の農村向けの製品を販売していた。その製造販売は、職人たちの協同組合、ギルドが管理していた。ギルドに参加するには、たいがい年季奉公を7年は勤めなければならなかった。その間、技術を学び、働くことと引き換えに、賄い付き貸し間を得られた。そして、腕を磨いて、ベテラン職人となり、賃金をもらいマスターの下で働くことになる。さらに、それ以外のマスターたちを説得させられるほど素晴らしい工芸品が製作できるようになれば、ギルドでの議決権を得てマスターになった」(3)
だが、グリアは、ギルドの論理が質の管理とローカル化であって、コストダウンとグローバル化とは正反対の非競争世界であったと書く。
「ギルドは労働のための基準を確立し、労働時間や条件を規制し、さらに価格すら統制していた。競争も禁止されていた。もし、競争者を出し抜くために、ギルドの製品を夜や週末に公正価格以下で売れば、ギルドで問題となり、町での商売から締め出されるのだった。ただ唯一の促進された競争形態は、優れた製品を生産販売することだけだった。これがギルド経済の秘密兵器だった」(3)
はうっ。
ローカル化すればレジリアンスは高まるが、それは、どうしてもコストと相矛盾する。レジリアンスを失った以降の中世人たちが、選んだのは、公正価格以下で販売する、すなわち、ディスカウントを否定することによって、質を守るという手段だったのである。
壺といえば、希代の名セリフが故マ・クベ大佐の「あれはいいものだ」である。「機動戦士ガンダム」に登場する同大佐は、ジオン公国キシリア・ザビ配下で基地司令であったが、同時に無類の骨董品マニアで様々な古美術品を愛好していた。そのため、ガンダムのビームサーベルで機体を引き裂かれながらも、断末魔において「あの壷をキシリア様に届けてくれよ。あれは、いいものだ」 という希代の名セリフを残すのである。これほど、強く壺の存在を印象づける作品を私は寡聞にして知らない。マ・クベ大佐が愛用していた壺は北宋のものだったが、少なくとも「あれはいいものだ」とマ・クベに言わしめるだけの製品は、反グローバリズムのレジリアンス、ギルドのマイスターによってのみ誕生するものなのである。
【引用文献】
(1) Thomas Homer-Dixon,The Upside of Down: Catastrophe, Creativity and the Renewal of Civilisation, Souvenir Press Ltd, 2007.
(2) John Michael Greer, The Ecotechnic Future: Envisioning a Post-Peak World, New Society Pub lishers, 2009.
(3)ウィキペディア
(4) John Michael Greer, The Wealth of Nature: Economics as if Survival Mattered, New Society Publishers,2011.