1960年代、フィリピンの国際稲研究所(IRRI=International Rice Research Institute)は、完璧な米と自賛するハイブリッド米「IR8」を開発した。125日と短期間で収穫でき、試験場では6.5t/haという驚異的な収量をあげる高収量品種だった。インドネシア政府は、人口増による食料増産のため、このハイブリッド米の導入に力を注いだ。1974年にはバリ島の中央部と南部にある棚田の48%でIR8が栽培されるようになり、1977年には作付け率は70%にも増えた。
だが、バリ島で栽培が始まってわずか3年も経たない間に、IR8には意外な弱点があることが判明する。害虫、トビイロウンカに弱かったのだ。IR8はトビイロウンカに襲われ、1977年には200万トンもの被害が出た。
国際稲研究所の研究者たちは、すぐに改良品種「IR36」を作り出す。それは、トビイロウンカに耐性があるだけでなく、IR8よりもっと短期間で収穫できる優れものだった。インドネシア政府は大喜びし、バリ島の農民たちに在来品種の作付けを禁じた。そして、ハイブリッド米を2期作、3期作することまで法律で縛った。
緑の革命技術は、米の生産を約5割も増やした。だが、近代農業は大量の水を必要とする。バリ島の灌漑制度を近代化するため、米国人を中心とした外人コンサルタントたちが招聘され、1979年にはバリ灌漑計画(BIP)が立ち上げられた。政府は4000万ドルもの資金を借り入れた。
だが、IR36にも弱点があった。縞葉枯病というウィルス性の病気にかかりやすかったのだ。次には、PB50が登場する。PB50は縞葉枯病には強かった。ところが、ごま葉枯病には弱く、いもち病に弱いこともわかった。どこまでも続く果てしないイタチゴッコ。
その一方、農薬の多用で水田では魚や鰻が取れなくなり、鳥さえ姿を消し、農民たちの睾丸ガンの発生率も驚くほど高まっていた。農薬の影響である。
農民たちは新品種の導入で手にした現金収入は多くはなったものの、害虫が増え、不健康になり、結果としては貧しくなってしまった。
混乱状況に直面したインドネシアのバリ公共事業局は、1980年台半ばにウダヤナ大学の農学者チームに状況打開の調査を依頼する。その結果は意外なもので
「政府はスバック寺院の序列と作付け様式との関係に注目すべし」
というものだった。
スバック(subaks)寺院とはなんだろうか。それを説明する前に、まずバリ島の置かれた生態環境を抑えておく必要がある。
バリ島には世界に誇る巨大な棚田がある。それがどれほど昔からあるのかは定かではないが、最古の記録は紀元882年まで遡る。つまり、1000年以上も持続可能だったのだ。とはいえ、バリの気候条件は厳しい。島内の河川の半分は雨期の半年しか水が流れないから、うまく管理しないとたちまち水不足に陥ってしまう。だから、バリの人々は灌漑用の溜池を各地に作ってきた。もし、すべての農家がいっせいに田植えや稲刈りをすれば、害虫は生息地と餌を失い死ぬ。だが、全部の農家が水を必要とすると水が足りなくなる。害虫と灌漑用水量をコントロールするには、農業全体をシステム的に管理することが必要だ。
このためバリには、コミュニティで水田農業のための水を管理するスバックと呼ばれる独特の組織ができていた。バリ島の宗教のコアとなっているのは、湖の女神、デウィ・ダヌ(Dewi Danu)である。灌漑施設には、寺院のネットワークが戦略的に置かれ、各スバックの寺院には農民を代表するリーダーがいる。何か問題が生じたり、翌年の潅漑計画を決定するときにコンサルテーションが必要な場合は、スバックのリーダーは、より上級の寺院におもむく。そして、遠く離れた下流のスバックも水が確保できるよう、灌漑用水を放流日時を決めていたのは「ジェロ・グデ」(Jero Gde)と呼ばれ、幼少期に女神から選ばれ、死ぬまで女神に仕える高僧だった。
バリで10年間以上もフィールド・ワークに携わってきた米国の人類学者、スティーブン・ランシング(J.stephen Lansing)は、バリの宗教を理解するには、農業技術も理解しなければならないと考えた。ランシングは、寺院や女神のもつ重要性やそれが、潅漑や病害虫管理に果たす役割、そして、緑の革命がバリにもたらした悪影響に心を痛めた。
そこで、ランシングは、コネチカット大(University of Connecticut)のシステム生態学者、ジェームズ・クレーマー(James N. Kremer)と連携し、伝統的な水管理のやり方をコンピューターで画像化し、シミュレーションしてみた。
まず、無作為に作付けをした場合は、モデルの平均収量はたった4.9 t/haだった。一方、緑の革命方式では、最高では10 t/haにもなった。ところが、多収量をあげたのは一回目だけで、次シーズンには害虫の被害で作物が全滅してしまうこともあった。現実と同じである。それと比べ、スバック寺院が管理するやり方は、一年目の収量は8.6t/haと緑の革命方式よりも低かったものの、稲の収量と害虫とのバランスが保て、二年間の平均収量では、緑の革命方式の9t/haに比べて17 t/haと倍以上にもなったのだ。
女神や古代から続く儀式は、何百もの散在した村々の潅漑や作付けをコントロールする役目を果たしていた。コンピューター・モデルが示すように、バリの稲作農民たちが行ってきた資源管理は、最も安定して多収量をもたらす効率的な営農システムだったのである。今、ようやくインドネシア政府は、寺院による水の管理システムを再認識しはじめた。女神様は緑の革命よりもずっと知恵深かったのである。
(引用文献)
(1)デヴィッド・スズキ他『グッド・ニュース~持続可能な社会はもう始まっている』(2006) ナチュラル・スピリッツP241~251
(2)The Goddess and the Computer Anthropology and Real-Life Problems