没落屋

吉田太郎です。没落にこだわっています。世界各地の持続可能な社会への転換の情報を提供しています。

ゲバラ教2

2009年08月28日 22時28分57秒 | キューバ
異常極左集団ガッチャマン
 私、一番怖いと思っているの「正義」です。大学時代ですからもう30年近くも前に読んだのでうろ覚えなんですが、コンラート・ローレンツの『攻撃』(みすず書房 1985)とか『文明化した人間の八つの大罪』(新思索社1995)では、「正義」の名のもとに行われた殺戮が一番、悲惨な結果を招くと指摘されています。
 例えば、タツノコプロの名作アニメ『科学忍者隊ガッチャマン』って、一種の狂信的なサヨ集団ですよね。大鷲とか、コンドルとか、ミミズクとか、形容詩からして凶暴で物騒な猛禽類ばかりです。このガッチャマンもユーチューブで見られます。最終回なんかもう、狂信的サヨのイデオロギー・ガチガチの正義ぶりがほとばしっています。

 リーダーのケン氏は「いいか、たとえ、血を吐いてでも走りまくり本部への入口を見つけ出すんだ」とかいかれた発言をしています。誰だって、常識的には血を吐いてまでそんな苦労したくないじゃぁありませんか。でも、この集団はそれが正義だと信じ込んでるのでやっちゃうんです。

 これに対して、敵キャラのギャラクターの隊員たちは、実に人間的です。最終会では地球を消滅させるためにマントルにどんどんミサイルを撃ち込んでいくわけですが、ただベルク・カッツェから出された命令を粛々とやっているだけですから、サラリーマンみたいなもんです。ユダヤ人をガス室で処理していたアイヒマンだってそうです。で、地震が起きるたびに心配しています。

「本当に大丈夫なんだろうな。俺たちだけは助かるんだろうな」

「俺たちはカッツェ様の言葉を信じるしかないんだが、正直言っておれも怖くなってきたよ」

 ああ、なんて人間的なんでしょう。ここで大切なのは「俺たちだけは助かるんだろうな」というエゴイズム丸出しのセリフです。私、思わず、この隊員に共感しちゃいます。

 これに対して、忍者隊グループは異常です。とくに、最後は機械が止まらないとなると中に入り込んで自爆しようとします。まるで旧日本帝国陸軍の玉砕戦法です。

「俺たちは科学忍者隊だぞ」

 でも、地球が滅びるというのに、南部博士がくれた社会的地位とかレッテルとが役に立つのでしょうか。その前にあんた単なる一人の人間だろうと、おもわずつっこみを入れたくなります。事実、白鳥のジュンはとうとう根をあげて「やめてケン、もう止めましょう。みんな一緒に死にましょう」と叫びます。
 つまり、これほど左様に「正義」とか「大義」とかは人間を狂わせちゃうんです。
ゲバラだって似たようなものです。この異常サヨの「大義」の危険性を否定しようとした試みがアナーキズムなんです。


ゲバラ神話
 でも、なんでゲバラってこんなに人気があるんでしょうかね。先日、松岡正剛氏の『17歳のための世界と日本の見方』(春秋社2006)を読んでいて、なんとなくそのヒントが想い浮かびました。松岡さんは、こんなことを書いています。
「世界で一番古い英雄伝説は、ホメロスの「オデュッセリア」だが、米国の神話学者、ジョセフ・キャンベルは世界にある『英雄伝説』を徹底的に研究し、世界中の英雄伝説がひとつの母型からできていることを突き止めた。

 旅立ち(セパレーション)
 ヒーローは故郷を離れ冒険の旅に出て行く。

 通過儀礼(イニシエーション)
 ヒーローは途中で様々な艱難辛苦に出会う。みすぼらしい老人や不思議な子どもがアドバイスをしてくれる。そして、隠れた父との出会いがある。

戦いと帰還
 ヒーローは戦いにおもむき、勝利をおさめる。ヒーローは、そのおかげで救われた国にずっととどまって欲しいと頼まれるが、結局その迷いと振り切って、故郷に帰る。

 松岡氏によれば、このキャンベルの大学での授業を聞いていて、この英雄伝説のマザータイプを徹底して活用して成功したのが、ジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ」だと述べています。

 わかっちゃいました?。わかっちゃいましたか。バイクに乗ってのラテンアメリカへの旅立ち、隠れた父、フィデル・カストロとの出会い、戦いと勝利。そして、骨になってですが、残ることを頼まれた故郷キューバへの帰還。ゲバラは、人類の英雄伝説の「母型」の要素を全部満たしているんです。

さて、私、数年前にゲバラTシャツ着ていた若者にあって、感動しちゃいました。

「なんでこんなTシャツ着てんの」

「うん、なんとなくかっこいい顔してたから」

「ゲバラって何やった人か知っている」

「知らない。でも、他にもヒトラーTシャツとかもかっこいいから着るよ」

「じゃあ、ヒトラーってどんな人か知っている」

「知らない」

 この若者、フィーリングでゲバラを選んでいるだけですから実に健全です。これに対して、中年サヨは異常です。正義のイデオロギーが脳髄に浸み込んでいますから、「小僧、ファシズムで世界人民を奈落の底に叩きこんだ残虐なヒトラーとラテンアメリカの解放の戦士にして、偉大なる革命家、ゲバラを一緒にするとは何事か。このバールを持って軟弱な精神を叩きのめしてやる」なんてゲバ棒を振り回しかねません。狂信的なサヨって本当にいやなもんですね。


ゲバラ教

2009年08月21日 22時26分24秒 | キューバ

 どうも、吉田です。こんばんわ。本当はアグエコしなくちゃいけないんですが、思わず、舌がすべっちゃったもんですから、ゲバラをいきます。あの私、おたくと言いましたが、これも言葉のあやで、人間椅子になってみたり、だぶだぶの赤白寸胴を着て地獄の道化師になったりする趣味はありません。ただ、幸福の科学の総裁のようにイタコができるんです。これも、パオロ・マッツァリーノ氏のパクリなんですが、チャネリングでゲバラを呼び出してみましょう。バシャールのように想念が直接脳波にシンクロしますから通訳もいりません。

「もしもし」

「わしを呼び出したのはお前か」

「へぇ、うっかりのオーチョ、いえ八兵衛という、つまんねぇ奴でがんす」

「オーチョ?。おーちょっくっとんのか」

「いえいえ、とんでもございません。何しろ、このところ世相が乱れに乱れ切っているものですから、是非とも革命のために戦ったあなたのお気持ちを生で聞きたいと思いまして。チャネリングさせてもらった次第でして。で、やはりあれですか、一番の思い出といえば、山に閉じこもってのゲリラ戦」

「ああ、そうだなやはり。あれは壮絶な戦いだった」

「でしょう。でもあれだけ兵力差があってもなんだかんだ攻め寄せる敵を撃退し、ついには時の政権を転覆しゃったんですから、やはり、あなたはゲリラ戦の天才ですよ」

「そうかな。おだてられると嬉しくなるな」

「それと、最後も壮絶ですよね。理想のため、革命を守るために壮絶な死を遂げられる。勝利を願うあなたのメッセージはその後、国のスローガンにもなりました」

「それだよ。問題なのは」

「はあ」

「私の死後、私は英雄になってしまうし、銅像は建てられるは、学校でも道徳の時間に私を見習えと子どもたちにも教えられるわ、いささか閉口している。私は革命政権のやり方に全面的に賛成していたわけではない」

「でも、あなたの例の別れのメッセージはみんなを感動させたじゃないですか」

「そう、そのメッセージも不自然に偶像化されてしまったんだ。だいたい私が実現させた当時の革命政権と私を偶像化したその後の革命政権とは直接つながりがないのにな」

「えっ、だって弟のラウルがフィデルを継いだだけですから、つながってますよ」

「フィデルって誰」

「ちょっ、ちょっと、待って下さい。カストロを知らないんですか。何かチャネリングで大変なトラブルがあった模様です。あなたゲバラじゃないとしたら、いったい誰なんです」

「わしか、わしは楠正成じゃ」

「だって山地でのゲリラ戦て」

「千早赤坂城のことか」

「だってずっと勝利を、アスタ・ラ・ビクトリア・シエンプレって言ったじゃない」

「明日は知らん。弟が七生報國とは言ったけど」

「別れの手紙は」

「手紙じゃない。桜井の別れじゃ」

「あっ、どうもこれは大変な勘違いをば。失礼いたしました」

-----プツン------。

 わかっちゃいました?。わかっちゃいましたか。そう、建武の新制が破綻したあと、明治政府は皇国史観のイデオロギーの象徴として正成を徹底的に利用するんです。今でこそ、ほとんど話題になりませんが、戦前であれば革命の大義のために命を落とした「大楠公」は子どもたちの生き方の目標でした。
 チェのようになろうと叫ぶキューバの子どもたちへのイデオロギー教育と、天皇のために忠節を尽くした正成を美化した戦前のイデオロギーは実になじみます。

 革命防衛委員会も、組織的には「隣組」に似ています。

「とんとんとんからりと隣組、格子を開ければ顔なじみ」
「とんとんとんからりと隣組、あれこれ面倒味噌醤油。ご飯の炊き方垣根越し、教えられたり教えたり」
「とんとんとんからりと隣組、地震や雷 火事どろぼう。互いに役立つ用心棒、助けられたり助けたり」
「とんとんとんからりと隣組、何軒あろうと一所帯。こころは一つの屋根の月、纏められたり纏めたり」

 隣組を革命防衛委員会。味噌醤油をコーヒー・砂糖、地震・雷をハリケーンに文字変換して、「心はひとつ、椰子の太陽。連帯されたり団結したり」なんて言えば、キューバそのものです。

でも、大事なことは、キューバ人っていいかげんでちゃらんぽらんなんです。ですから、あのラテン気質の中にゲバラ・スパイスが入ってちょうどいいくらいなんです。でも、日本人みたいに生真面目な民族にゲバラ教が入ると、それこそ、大変です。

 遺伝子組換え農産物を推進する米国のアグリビジネスの商社マンを捉まえて鬼畜米人と袋叩きにしてみたり、地域資源を使用したこんにゃくで作った気球を偏西風に乗せて、石油を使わない地球に優しいエコ兵器で報復してみたり。ああっ恐ろしい。狂信的なエコサヨって本当にいやなもんですね


陰謀説

2009年08月21日 01時37分30秒 | キューバ
 みなさん、こんばんわ。吉田です。このブログの訪問者から「陰謀フェチ」について、「お前、何を考えている」と問い合わせがありましたので、お答えしときます。

 私、陰謀説信じていません。でも、基本的に私おたくです。ですから、陰謀説も大好きなんです。ベンジャミン・フルフォードの闇の支配者とか、くすくす笑いながら楽しんでます。副島隆彦の「属国論」とか、坂本龍馬、トーマス・グラバー・エージェント説とかも大好きです。ですが、どこかでバランスも必要だと思います。

 ですから、ビル・トッテンさんが「日本は略奪国家アメリカを捨てよ」(ビジネス社2007)で「アメリカ教に洗脳された、心優しき日本人にとってはにわかに信じがたいかもしれないが」と留保しつつも「しかし、あらかじめ断っておくが、私は基本的に○△陰謀説の類は好きではないし、信用もしていない」(P18)と主張されているのに、とても共鳴を覚えます。氏は、出身国アメリカの格差やハリケーンの被災、それと対比的なキューバの防災体制を論じたうえで、「私は共産主義者であり、社会主義者である。こう書くと、多くの読者は驚くだろうか(略)。例えば、イエスキリストの思想などもまさに共産主義と言える」(P207)と述べています。

 ちなみに、トッテンさんは米国を捨てて帰化され、我が日本国民となったわけですが、キューバを口にするとサヨと叩かれ、愛国者として日の丸を掲げるとウヨと叩かれるそうです。

 私、トッテンさんのこの主張に、「なじむ、なじむぞ」と共感しちゃいます。

 もうひとり、危ないサヨを紹介します。ピーター・ロゼットさんです。ロゼットさんは、ハバナの有機農業国際会議で一度お会いしただけですが、とても素敵なインテリです。イケメンですし、ダンディですし、スペイン語も堪能で、英語しかできない人たちに同時通訳していました。ですが、ここでの主張を聞いていると陰謀説一歩すれすれです。常軌を逸しているとしか思えません。本人に会っていなければ、極左カルトの教祖かと思っちゃいます。でも、なんでこんなサヨになっちゃんたんでしょうか。バークレーを出て博士までなったのに、住み慣れた祖国を捨てて、メキシコで農地解放運動に携わるなんて、なんともみじめです。人生、失敗しちゃったような気がします。

 これ、実は彼の育ちが関係しているんです。お母さんが反ベトナム戦争派のガチガチのサヨだったおかげで、高校生の時のロゼットさんの部屋にはある人物のポスターが貼ってあってずっとその顔を見てたんだそうです。私、本人に聞きました。いったい誰のポスターだと思います?。

 「ゲ、バ、ラ」

 そう、こいつがいけないんです。こいつがロゼットさんの人生、おかしくしちゃったんです。

 ですが、ベストセラーにもなった「日本の難題」(幻冬舎2009)の中で宮台真司首都大学教授が「社会の自律に向かうもう一つの道が合理よりも不合理です(略)。この壁を乗り越えるヒントは、チェ・ゲバラです(略)。年端もいかない少年までもが、このすごい人についていきたいとゲバラに感染していくのです」(P278~280)と主張するとなっては、「み、宮台おまけもか」とあいた口がふさがりません。私、彼のように頭よくありませんから、よく理解できません。「おい、まったり革命はどこにいった」と思わず、突っ込みをいれたくなります。このゲバラ教の危険性については、次回書きます。

 さて、陰謀説といえば、もう一人、危ないインテリが米国人にいます。ノーム・チョムスキーです。彼は、中南米の動きについていろんなこと言っていますから、和洋書含めて、私、いろいろ読んでますが、最近ネットについて、こんなこと言ってます。

「インターネットは多様な意見にふれる機会を与えてくれます。ですが、自己の選択能力に任される世界であることを理解していなければ、狂気じみた解釈の世界に引き込まれてしまう可能性があるのです(略)。私はブログをもっていませんが、持っていたとして、ある出来事についてかなり怪しげな解釈を載せるとします。例えば、ブッシュがボストンの水道水を汚染しようとしていると、適当に選んで。翌日にはだれかがこう言うでしょう。その通りだ。でも事態はあなたが思っているよりさらに悪い。まもなく熱狂的な人々がブッシュ政権が世界の水を汚染しようとしていると言いだすようになります。この種のカルト的行動に巻き込まれるのはいとも簡単です(略)。すぐれた科学者は何を探せばよいかわかっています。だから、大量の取るに足らないものを無視し、別の場所で小さな事柄を見出すのです」(引用:チョムスキー、アメリカを叱るNTT出版2009、P166)

 まともです。でも、やはり、私基本的におたくなんですね。サラリーマンやってますから昼間働きにいってそこそこに生活のリズムを整えてますが、基本的には高等遊民にあこがれます。そう、江戸川乱歩の小説に、鏡だとか、屋根裏だとか、骨董だとかに異常にのめり込んでいく変質者が出てくるじゃあないですか。今流にいえばフェチですね。あんな暮らししたいと思ってます。


さらにアグエコ・フェチ

2009年08月19日 00時07分25秒 | アグロエコロジー
 どうも吉田です。こんばんわ。今日も続けてアグエコいきます。瀬戸口 明久さんの「害虫の誕生─虫からみた日本史」という本がちくま新書から出ています。この7月に出たばかりで地味な題ですが、ただの虫がなぜ害虫になったのか、という視点でとても素晴らしい本です。桐谷圭治さんの「ただの虫を無視しない農業」(築地書館2004)と並んで、無農薬にこだわる人は読んでおいて絶対損のない本だと思います。

 でも、サヨ・アグエコ・フェチ度がちょっと足りないような気もします。ウィキペディアで、アグエコを引いてみますと「近代農業を政治経済的に批判。政治経済やと研究モラルの根本的な改革だけが近代農業のマイナスを削減すると信じ込んでいるのは、ミゲル・アルティエリ、ジョン・バンダーミーア(John Vandermeer)、リチャード・レウォンティン(Richard Lewontin)、リチャード・レビンス (Richard Levins)がいる」と出ています。つまり、サヨのアグエコを調べるには、この人名で検索をかけてやればいいわけです。

 すると、また面白いページが見つかっちゃいました。なんとエール大学です。エール大学と言えば、米アイビーリーグの名門です。パパ・ブッシュに加えて、ウゴ・チャベスから悪魔といわれたブッシュ・ジュニアの出身大学ですし、陰謀フェチが舌なめずりをしそうな学生秘密クラブ「スカル・アンド・ボーンズ」もあります。ところが、このエール大学から2006年にアグエコのシンポのリポートが出ているんですね。こんなことやっちゃっていいんでしょうか。

 ところで、このリチャード・レビンスってどこかで聞いたことがある名前だなと思ったら、拙著の「反グローバル本」で引用させてもらった人物です。そう、キューバに関連しているんです。実際、シンポで「私は三つの異質の社会に関係する特権を得た。最も近代的な米国資本主義の科学者として。プエルト・リコの植民地資本主義のオーガナイザー、そして、社会主義キューバの科学的アドバイザーとして」なんて自己紹介しちゃっています。

 おまけに「それが貧しい国であるだけに、キューバは特に興味深いが、その健康状態はスウェーデンのものに匹敵している。そして、平等と教育に基づく開発の道を採択した(略)。生活の質に基づいて、生活水準を高める可能性が、キューバの戦略にはある。経済成長率は遅いが、それは、医療、教育、文化、スポーツ、レクリエーションに投資されているからだ。社会の不平等は排除されているが、公共生活における人々の参加は広められている。おそらく、エコロジー的、人間的に合理的なこの道の採用が、キューバ革命の最もすばらしいイノベーションだ」なんて、よりによってあの独裁国家をベタ褒めしゃっています。この人、ハーバード大学の先生なのに大丈夫なんでしょうか。

 それにキューバの格差の広がりとか無視しちゃっていますし、「キューバでは製糖業を縮小させるプログラムが立ち上げられたとき、新たな仕事が少なくとも同じ給料で離職者に保証されていた。賃金を伴う教育でトレーニングされた」と拙著「高学力」本でふれたリストラ対策は評価していますが「キューバは、現在、サトウキビ圃場の約半分を、果物、野菜、バナナ、大豆、糊のある根菜作物を生産する混合農場と牧草地へと転換する途上にある」なんて絶賛しちゃってます。

 たしかに、このプログラムあったんですが、その後に失敗しちゃったことをフォローしていないんです。知ってて言わない、確信犯のサヨか?と疑いたくなっちゃいます。私、そこまでサヨ・フェチじゃありませんから、その後どうなったかをちゃんと今度の「没落本」では書くつもりです。

 とまれ、あのエール大学すらも、サヨのアグエコをやっているとなるとかなり重症です。このシンポジウムのイントロをまとめている同大准教授なんか、
「アグロエコロジーは技術的なプロジェクトと同じほど社会的でなものであることを例証する」なんて、サヨ度丸出しです。こういう文章ばかり読んでいると、純粋農学としてのアグエコからどんどん遠ざかってしまいます。皆さんも病気が移らないよう、冷静さを保って気をつけましょう。


サヨのアグエコ

2009年08月16日 22時44分06秒 | アグロエコロジー
やはり有機農業よりアグエコ

 どうも、吉田です。みなさん今晩は。さて、足立恭一郎さんの「有機農業で世界が養える」(コモンズ2009)って本お読みになりました?。

 言っていることはまともで多いに賛同できるんですが、題名からして凄いです。過激です。で、この本の主張のポイントは、先進国では有機農業は慣行農業よりも収量が劣るが、開発途上国では慣行農業よりも収量が多い。だから、世界を養えるって論理なんです。ところが、ここで紹介されている開発途上国の有機農業技術って、カバークロップとか、マメ科作物の間作だとか、どちらかというと日本でイメージされる堆肥を切り返して云々という有機ではなくて、アグエコなんです。ということで、やっぱ、アグエコって大事なんだなぁと思うんです。
 ところが、「アグエコ」って、ネットで調べてみてもあまりでてきませんね。それどころか、このHPを見ると「アグロエコロジーとは、おそらく耳慣れない言葉だと思います。似たような用語のアグロフォレストリーは、農業と林業の複合的な経営を意味し、たとえば、混牧林・林間放牧などの具体的な姿をイメージできます。しかし、アグロエコロジーについて、「フードシステムの生態学」と定義される新しい学際的な学問領域であり、農場から農村景観、地域コミュニティまで視野に入れ、持続可能な食料生産・流通・消費を目指し、社会学、文化人類学、環境学、倫理学、経済学も含むものであると説明されても、わかりにくいかもしれません(略)。アグロエコロジーを日本で広めるには、わかりやすい言葉に言い換える必要があります。グリースマン教授のアグロエコロジーを知るためには、Agroecology: The Ecology of Sustainable Food Systemsを読むのがよさそうです。現在、村本さんたちが日本語に翻訳中だと聞いています」なんて出ています。


 でも、前回も書いたように、スティーブ・グリースマン(Steve Gliessman)のアプローチは社会科学には立ち入らない理学系のアグエコなんです。このブログは、キューバですから、やはり純粋理学系よりは、政治的色合いが強い方がいいですよね。

 サブカル、マニア、おたく、フェチ、フリーク・・・・。

 皆さんは、どう呼ばれるのがお好きですか。まあ、「キューバ・マニア」、「キューバおたく」くらいなら許せるでしょうが、フェチとか、フリークになるとちょっと問題です。フェチとは、身体の一部や衣服・その他記号化された様々な物品・現象に「個性的」な執着を見せたり、性的興奮を示すことです。ですから、類型としては、人間が身に付けるものに対する執着「ゲバラ・グッズ・フェチ」なんか入ります。また、特定のシチュエーションに対する執着「革命広場フェチ」、あるいは、特定の属性に対する執着「キューバ医療フェチ」「キューバ有機フェチ」「キューバ教育フェチ」なんかが考えられます。
 一方、フリーク(Freak)とは、ある事柄に対して異常に心酔する者を指します。

 ということで、サヨ向け、アグエコ・フェチ(フリーク)ページを作ってみました。

 ネットでサヨのアグエコ、つまり、本来ならば、純粋理学的に政治的に無色透明、中立な立場でアグエコを研究すべきところを、社会正義だとか社会的公正だとか、多国籍企業・アグリビジネスによる搾取だとか、遺伝子組み換え問題だとか、社会的課題に異常に首を突っ込んじゃっている危ないサヨ・フェチの論客を揃えてみました。だんだん充実させようとは思ってますが、ミゲル・アルティエリ、ピーター・ロゼット、エリック・ホルトなんて名前があがります。ちなみに、ロゼットさんは、フード・ファーストというバークレーにあるサヨ集団の前代表、エリックさんは現代表です。

 エリックさんなんて本当に危険な思想家・活動家です。「緑の革命」は「赤の革命」の対抗軸として、中南米の農地改革を妨害するために、ロックフェラー財団が金を出して、デュポンの秘密研究所と連携して作りだしたんだ、なんて、日本の陰謀説フェチが聞いたら、随喜の涙を流してぴょん、ぴょんと飛び跳ねそうな、トンデモ説を展開してくれちゃっています。私、この人の「Campesino a Campesino: Voices from Latin America's Farmer to Farmer Movement for Sustainable Agriculture」買っちゃいました。まあ、この人の主張というか、世界観は、ここを読んでいただければだいたいわかりますが、緑の革命、アグリビジネス、アグロエコロジー、食料主権、ビア・カンペシーナ(La Vía Campesina)、カンペシーノ運動(Campesino a Campesino)、キューバ、マダガスカルのSRI(The System of Rice Intensification)、ブラジルの土地なし労働者の運動 (MST)なんかが出てきます。サヨのアグエコ集団には、こうしたものがキーワードなんでしょうが、日本のサイトではほとんど出てこないのが気になります。きっと、フェチ度が足りなんでしょうかね。
 でも、ミゲル教授と同じく、ネットでは2008年1月13日にバークレーでやったエリックさんの生講義が聴けちゃうんです。米国出身だけあって、スペイン語訛りではない英語ですが、スペイン語版のレクチャーもここで聴けます。
 
 バークレーの学生もこんな講義聴いて大丈夫なんでしょうか。緑の革命の裏を暴くなんて感じで、サヨになっちゃいそうです。日本の良い子の皆さんは、間違ってもこうした危ない橋を渡ることは止めましょう。


2009年続ネットの旅

2009年08月05日 00時46分24秒 | キューバ

有機農業からアグロエコロジーへ

 どうも、吉田です。みなさん今晩は。この言葉づかい、直そうかと思っているんですが、一度使い始めるとやはりなかなか治んないんです。前にキューバ医療を絶賛する記事を書いたんですが、またまた面白いブログを見つけちゃいました。
『世界がキューバ医療を手本にするわけ』・読書日記です。

「今回の本も、やはり相変わらずキューバ大絶賛に終始する。大体、題名からして、誰もまだキューバ医療を手本になんかしてないぞ!と突っ込みたいところではあるのだが」

 とのっけから、「つっこみ力」が出てきます。ご指摘のとおり、日本ではまだ誰も手本になんかしていませんよね。世界じゃなくて、『開発途上国がキューバ医療を手本にするわけ』にすれば良かったんです。でも、このブログでも最終的にはこう評価してもらってます。

「しかし、著者の思い入れと言うか、偏向ぶりを差し引いて読んでも、キューバの医療政策の素晴らしさ、見習うべき点が多々あることは認めざるを得ない」

 そう、やっぱりキューバ医療ってこんな辛口評価の方でも認めたくなっちゃうものがあるんです。ですが、農業はいけません。

「著者はキューバの有機農業政策を紹介する本を何冊か書いている。僕も以前一冊読みかけたことがあるが、その書きっぷりがあまりにキューバ寄り一辺倒なために、途中で読む気をなくしてしまった。社会主義国ならではの自由の欠如はないのか、という辺りの疑問が解決されないままなので、しまいにはもしかしてこの人はキューバのスパイなんじゃなかろうか?と疑いたくなってしまうのだ」

 あの、私スパイじゃありません。でも、途中で読む気をなくしてしまった、というのは私の失敗ですね。だって、この本には1月23日のブログで書いた「マイナスふりかけの法則」をまだ使っていなかったんですもん。

 さて、私、先日、長野県農業試験場の北信支場といっても、農大から歩いて数分なんですが、マイナスふりかけをたっぷりかけたキューバの有機農業の話、させてもらいました。でも、それだけだとつまらないので、アグロエコロジー(agroecology)の話も付け加えました。中村英司さんが翻訳されたエアハルト・ヘニッヒの『生きている土壌』(2009農文協)の後半でも中村さん、ミゲル・アルティエリ(Miguel Altieri)教授のアグロエコロジーのことを紹介されてますし・・・・。

「おい、アグロエコロジーなんて聞いたことないぞ。有機が飽きられてきたから今度はアグロか。またまた、珍奇な用語を使いおって」

 なんて、突っ込み入れないでくださいね。アグロエコロジーって、日本ではまだマイナーですが、もしかしたらすごく大事な概念なのかもしれないんです。例えば、このミゲルさん、痛烈に有機農業を批判してます。といっても、いわゆるビジネス型の有機農業をです。開発途上国が有機農業市場に入ると、生産物はほとんど輸出されてしまって、食料保障にほとんどつながらないこと。有機農業の規模が認証されていないおかげで、伝統的な知恵や生物多様性が保たれないモノカルチャーの大規模有機だけが儲かっちゃって、おまけに社会的基準がないために、カリフォルニアでは環境面では優しくても、農場労働者を搾取した経営がされているなんてケチつけてます。フリーターを使う認証農場なんて有機じゃないじゃん、というわけです。

ミゲル教授の生講義を動画で満喫しよう

 ということを話させてもらったんですが、どうせならば、ミゲル教授の生の声を聞いてみたくありませんか。私、2001年にはキャンパスだけ歩いたことはあるんですが、私のように頭の悪い人間にはカリフォルニア・バークレー校なんてとても入学できそうもありません。また、入学できる学力はあっても米国なんか足も踏み入れたくもない、でも、ミゲル教授の話は聞いてみたいな、という方もいるでしょう。これを補完するものはないのでしょうか。実はあるんです。ネットです。腐っても米国です。YouTubeと同じ要領で、無料で有名大学の講義を聴講することができるんです。で、探してみるとありました。

 はい、ミゲル教授の生講義です。

 チリ出身のミゲル教授だけあって、スペイン語訛りの英語です。ラテンアメリカの国名とか地名を話す時の発音が妙に奇麗なのが笑えます。ビア・カンペシーナとかカンペシーノ運動とかが出てきます。34分~ではキューバの有機農業も紹介されます。幅広いラテンアメリカの有機農業、いえ、失礼しました。アグロエコロジーの胎動の中でどうキューバが位置付けられているのかがわかります。

 ジョジョ流に言えば、こういう講義を聴いていると、日本は「貧弱! 貧弱ゥ!」って思えてきます。

サヨのアグエコ
 とはいえ、アグロエコロジー。まだ、マイナーです。社会学の言葉ってネオリベラリズムも「ネオリベ」ですし、「カルチュラル・スタディーズ」が「カルスタ」、「ポスト・コロニアリズム」が「ポスコロ」とカッコよく短縮されてます。「あけましておめでとう」が「あけおめ」、「今年もよろしく」が「ことよろ」ですから、これも短縮して「アグエコ」とかの言葉で流行ないですかね。でも、農業系って弱いですよね。「オーガニック・アグリカルチャー」が「オガカル」とかになってません。

「あたし、最近スロフドしちゃった。でも、ネオリベ路線のオガカルってへんじゃない」

「でしょ。あたしも。やっぱ、これからはアグエコ。だって、アグエコって、キューバもシンクロしてんじゃない」

 とはとてもなりそうもありません。

 それはともかく、アグエコっていつから始まったんでしょうか。日本語のネット、調べてみても出てませんので、英語のウィキペディアをみたらちゃんと出てました。

 まず、アグエコと関連する最初の概念を提唱したのは、1911年のF.H.キング(F.H. King)の「東亜4000年の農民」(Farmer’s of the Forty Centuries)です。そして、1920年代後半には、農学とエコロジーを組み合わせる試みが始まり、1928年にBensinがアグエコ(agroecology)という言葉を最初に使ってます。そして、人間が行う農業管理の影響と農業生態系内での植物、動物、土、気候といった要素の相互作用を分析し、今のアグエコに相当する最初の本を書いたのがティッシュラー(Tischler)さんで1965年となってます。そう、アグエコの歴史って結構長いんです。しかも、アグエコには、生態学者ユージン・オーダム(Eugene Odum)の流れを組んで、生態学のアプローチから社会科学には立ち入らないスティーブ・グリースマン(Steve Gliessman)のような理学系アグエコ、伝統的な農業に着目し、伝統農業が維持できなくなった理由を理解するために社会科学を用いても、社会科学による農業の分析は行わない農学系のアグエコ、チャック・フランシス(Chuck Francis)、リチャード・ハーウッド(Richard Hardwood)、リカルド・サルバドル(Ricardo Salvador)、マットLiebman(Matt Liebman)ら、そして、近代農業を政治経済的に批判し、経済の根本的な改革だけが近代農業の矛盾を克服できるとするガチガチの極左系アグエコがあるのです。

 もちろん、今回紹介したミゲル・アルティエリさんはサヨのアグエコです。しかも、アグエコの大きく前進させたのは、ラテンアメリカなんです。ミゲルさんがチリ出身だとは述べましたし、エフライム・ヘルナンデス(Efraim Hernandez X)教授が1977年にメキシコの伝統農業をベースに革新的な仕事を行い、それがアグエコ教育プログラムが先駆となったとでていますし、1982年にモンタルド(Montaldo)が熱帯アメリカのアグエコ(Agroecologia del Tropico Americano)という論文で「農業システムは社会経済的事情と切り離せない」と主張しています。

「エセ大のジュールス・プレティってどうよ」
「バークレーのミゲル萌え」

というわけで、アグエコがラテンアメリカに深く根ざしているとなれば、キューバ・ファンとしても見過ごせません。

「ふるえるぞハート!燃えつきるほどヒート!!」

 次回もアグエコを紹介します。


キューバの子どもたちの写真展

2009年08月04日 23時41分02秒 | キューバ
 どうも、吉田です。みなさん今晩は。この言葉づかい、直そうかと思っているんですが、一度使い始めるとなかなか治らないんです。

 さて、今日は永武ひかるさんから、キューバ写真展の素敵な案内パンフレット送ってもらいました。永武さんとは都内で一度会っただけなんですが、世界中で子どもたちの目線で写真を撮らせるという企画やってきた人なんです。でも、そう簡単ではありません。

「子どもたちは純粋なの。キラキラと輝く純粋な瞳で見れるものはすべて完璧なの。その素敵な子どもたちの目線を、この大金持ちの日本からわざわざでかけてあげて、あんたたちみたいな貧乏国を紹介してあげるのよ。ほら、感謝しなさいよ」

 なんて純情プチサヨがいきなり現場で思い立ってやろうと思っても、そうは問屋がおろしません。永武さんはポルトガル語もペラペラですし、スペイン語もポルトガル語と似たようなものですから堪能。そして、これまでプロジェクトを実施した国も半端じゃありません。極東ロシア、ダダーブ難民キャンプ、モザンビーク、ウズベキスタン、東ティモールと国名を聞いただけで、私なんかビビっちゃいそうな国ばかりです。その世界を股に渡り歩いてきた、いわばプロ中のプロが

「過去のプロジェクトの中でも最多のトラブル続きで、理想通りにはいきませんでした」

 というくらいですから、独裁キューバの国家統制力は半端じゃありません。事前にキューバ大使館、現地外務省と交渉して「とにかくなんとかキューバの子どもたちが写した写真展を開催する運びとなりましたのでご案内いたします」というくらいですから、とても貴重な写真なんです。

 永武さんは開発途上国の現場を歩いてきただけに、単純なキューバ絶賛派ではありません。

「カリブ海に浮かぶ島国キューバは、今年、革命50周年を迎えました。米国の目と鼻の先にあって経済封鎖が続き、手にできるモノも不足、人々は厳しい生活を強いられています。国民と外国人が使う貨幣が違う二重通貨制度のもと、格差も広がっています」

とキューバの現実をちゃんと見据えています。

「その一方で、医療も教育も無料で世界でも高い水準を誇り、人々は明るい。子どもたちの自然なまなざしを通して、地球という同じ星の上で織りなされる多様な社会の営みにふれ、未来を考えるきっかけになれば幸いです」と述べています。

 バーチャルもいいのですが、没落力の未来を肌身で感じるには格好のチャンスです。場所は都内。2009年8月1日(土)~30日(日)の汐留メディアタワーと8月28日(金)~9月7日(月)の新宿コニカミノルタプラザ (ギャラリーC)と二回ありますが、展示内容は違うそうです。いずれも入場無料です。詳しくは永武さんのサイトから。