没落屋

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逆説の未来史52 進歩教の洗脳(3)「秩序教」がローマ帝国を崩壊させた?

2013年11月09日 00時48分16秒 | 逆説の未来史

【はじめに】

 「ローマ帝国の崩壊・下」では、ディオクレティアヌス帝とコンスタンティン帝が、三世紀後半と四世紀前半により帝国を複雑化させたことによってローマが崩壊したことについてふれた。ジョセフ・テインターの「複雑な社会の崩壊理論」についてもこのブログでは何度も紹介してきた。けれども、ローマ帝国がなぜ複雑化と大崩壊への道をたどったのか。複雑化以外の道、すなわち、プチ崩壊によるシンプル化というオルタナティブはとれなかったのか、疑問に思って来た。グリアは、それが「秩序教」という神話にあったと主張する。そして、グリアによればローマを崩壊へと導いた神話は現代も「進歩教」と形を変えて生きており、ピーク・オイル以降の大崩壊を回避するための、シンプル化、すなわち、没落の妨げになっているというのである。なんというトンデモぶりであろう。なんという気違いじみた発想であろう。ローマとは異なり、科学の時代に生きている私たちは、日本の科学技術を信じることができるし、経済成長国家戦略にも万全の期待を寄せられるし、核燃料棒の取り出しに関しても一抹の不安すら抱くことがなく、安心して愉快な日々を送ることができる。そして、グリア教の馬鹿さ下限を腹の底から笑うことができる。今回も、グリアの破天荒な発想を多いに楽しんでいただきたい。

■ゼウスとタイタンの神話的大戦争

 ギリシア神話、ローマ神話にはタイタン(ティターン)と呼ばれる神々が登場する。オリュンポス山に布陣したゼウスたちとオトリュス山に布陣したタイタン一族は、山々が根本から大きく揺らぎ、世界を崩壊させるほどの戦い、ティタノマキアを繰り広げる。不死の神々同士の戦いは互いに決め手を欠き、10年間も決着を見なかった。けれども、ゼウスは雷霆を容赦なく投げつけ、聖なる炎に地球が丸ごと包み込まれ、全宇宙とその外側にあるカオスすらゼウスは雷火で焼き尽くす。こうして、遂に10年も続いた神々の大戦には終止符が打たれ、不死身であったタイタン一族はタルタロスの深淵へと封印される(5)

 このゼウスとタイタン一族との戦いは、神話である。けれども、ホメロスの時代のほとんどのギリシア人たちは、これが、神話、すなわち、現代的な意味では「真実ではない物語」だと主張すれば、その見解を拒絶したであろう。ホメロスによれば、「神話」とは、記憶された出来事を吟唱することを意味していた。そして、想起され吟唱する価値を持つことから、記憶され吟唱された出来事は真実であるか、あるいは、少なくとも真実でありえそうなことであると想定されていた。神話的な戦いティタノマキアも、こうして吟唱されてきた。ゼウスがタイタンに雷を浴びせている姿をホメロス時代のギリシア人の誰も目にはしていなかった。けれども、この戦いについての具体的な証拠や目撃者がいなくても、ホメロスの時代には、それは、この古代の物語は一般に賢者として認められた人々が真理として保証してことから、真実として受け入れられていた(4-2)

■ティタノマキアの神話が古代ローマの秩序化モデルの根拠となった

 古代ギリシアや古代ローマにおいては、神話は、社会を組織化するための正統性を担保するという機能も果たしていた。ギリシア初期からローマ帝国の黄昏に至るまで、古代世界では、カオスを克服し、コミュニティを統一し、秩序だった宇宙を創設したカリスマ的な人物のイメージが、心理的なアピール力を持っていた。それが、政治にも浸透し、専制政治を正当化する理由になっていた。神話は、古代ギリシアや古代ローマの家族生活すらも規定していた。公的領域から、私的領域まで、ティタノマキアの神話は、古典社会も最も基本的なパターン、すなわち、カオスを秩序化することが有用であるとの見解を反映していた。もちろん、この作法が常に機能するとは限らない。けれども、神話の信仰者たちは、こうしたトラブルを、まだ秩序化が足りない証明として見がちであった。そのため、ティタノマキアの秩序化モデルをさらに強化することで対応した。このモデルを繰り返しても効果がなく、それ以外の有望な選択肢があることがわかっていても、オルタナティブな手段よりも、ティタノマキアの手本に従った対応策が試みられ、どのレベルでの社会的な危機の時にも、この失敗する架空モデルで対応したのだった(4-2)

■ローマ帝国は崩壊までユピテール神話を捨て切れなかった

 ローマ帝国の衰退期がこの適切な事例だった。帝国の礎がゆらぐにつれて、帝国政府は、権力を集中し、ローマ世界の生活全面にさらに厄介なコントロールを科すことによって対応した。こうした統制は、解決するよりも多くの問題を引き起こした。社会学者ジョセフ・テインター(Joseph Tainter,1949年~)は、後期帝国においては、帝国政府の複雑さが収穫逓減のポイントを越えていたと指摘する。システムをさらに複雑化することは、ネガティブな見返りしかもたらさず、比較的小さな余震が、崩壊を引き起こすほどの負荷をシステムにかけていた。けれども、皇帝もそのアドバイザーもこのことを把握できなかった。というのも、彼らの思考に浸透した神話の枠組みが集中化されたコントロールを強化する以外の理由を見出せなかったからである(4-2)

 古代ローマでは、ゼウスはユーピテル(英語でジュピター)と名を変えていた。ローマ市の中心にはユーピテル神殿が建立され、ローマの守護神として崇められていた(5)。そして、伝統的なパガン教(多神教)がキリスト教に変わっても、この物語が弱められることはなかった。ユピーテルが全能の救世主(Christ Pantocrator)へとかわり、タイタン一続が各種の堕落天使へとかわっても、別のラベルの下での同じ物語が、その終焉まで物事を動かし続けていた。

 ローマ帝国の崩壊期にも、ローマ皇帝は、ティタノマキアの神話を再現しようと試みた。差し迫るローマ崩壊の第一の徴候は、蛮族の侵入で、蛮族に対する勝利はますます稀なものとなっていた。けれども、ごく稀な成功を祝い、ユピテールのタイタンに対する勝利が宮廷詩人たちの賛辞では重要な役割を演じ続けていたのだった(4-2)

■近代以前の人々は宗教的神話を、近代人は科学的真実を信じている

 現代の工業化社会の人たちは、絶対に真実であるとは考えていない「信仰体系」のことを「宗教」と呼ぶ。信じてはいない「民間信仰」のためにだけに「迷信」という言葉が使われるのと同じだ。工業化社会の人たちは「神の実在」や「死後の可能性」を信じてはいないが、それを含んでいなければ宗教としての資格が得られない(1-6)。神話についても同じことが言える。一般的には「神話」は「真実ではない物語」を意味し、現代思想の多くも、「近代社会」と「プレ近代社会」とを区別するために神話を用いている。近代社会は科学によって明らかにされた「真実の物語」に基づき、プレ近代社会は、「真実ではない物語」の世界観に基づいている。そして、近代社会に神話が不足していることが、社会心理的な問題の原因であるとする社会批判のジャンルすらある(4-2)。この思考習慣のルーツを辿れば、17世紀のイギリスにおいて、プロテスタントと新たに誕生しつつあった「科学的唯物論」とが複雑に妥協したことにまで遡る。それ以降、それは現在もしっかりと根付いている(1-6)。したがって、近代産業文明は神話を持っている。このように提言すれば、誤解を招くであろう。

 けれども、ドイツの宗教学者フリードリヒ・マックス・ミュラー(Friedrich Max Müller, 1823~1900年)は100年以上前に「ホメロスの時代に神話があってそれに依存していたように、私たちが知覚しないだけであって、今も神話はある。私たちは神話のシャドウの中で生きている。そして、誰もが真理の完全な光にさらされることをから尻込みしている」と書いた。ミュラーはかなりの洞察力を示したといえる。現在も神話が生きていることを認めたくないシャドウの影響、そして、神話によっては調整できない真理に直面することへの恐れ。これは、今も生きた問題のままにとどまっている(4-2)。そして、このことが、ピーク・オイルの持つ精神的なディメンジョンを考える際に、ネックとなっている。現在の危機の根源には宗教的な危機がある。とはいえ、キリスト教に問題があるわけではない。ほとんどの西洋社会では、すでに数世紀前からキリスト教はマイノリティな宗教へと衰退している。けれども、その枠組みは、新たな信仰体系が継承している。この新たな信仰とは、工業化社会におけるドグマ的な信仰、「進歩教」である(1-6)

■現代社会の人々は「進歩教」の信者である

 ティタノマキアの神話は、想像された混沌とした過去から、古代世界の社会的・心理的な秩序を正当化していた。進歩の神話も同じ役目を果たしている。ただし、ティタノマキアの神話と現代の物語との大きな違いは、ゼウスのタイタン一族との戦いが大昔に投影されているのに対して、現代の物語が未来に投影されていることだ。すなわち、進歩の神話は、原始時代は、現在の最も悲惨な社会よりもさらに不潔で悲惨であったと過去を描写し、次に、現在の苦しみや不正のすべては、無限に改善される未来に向けた途上の一ステップにすぎないと想定する。この進歩の神話の中心となっているのは、人間の能力の持つ全能性の肯定である。すなわち、輝ける未来に向けた人類の進歩の途上にあるどのような障害も、たとえ今は無理であるとしても、未来のある時期には、必ず克服されるに違いないという信仰を含んでいる。有史以前の悲惨な過去から上昇し、知識を増やし、技術を洗練させ、啓発された豊かな未来へと常に段階を登り続けるのが、人類史なのである(4-2)

 この進歩教は「創造神話」を持ち、それは、ダーウィンの進化論を「自然淘汰説」に捻じ曲げたものに根差している。そして、その聖職者もいる。米国の天文学者、カール・セーガン(Carl Sagan, 1934~1996年)元コーネル大学教授である(1-6)。セーガンは、おそらく、20世紀の最も傑出した革新的な神学者の一人で(1-6,2-11)、19世紀の実証主義哲学(positivist philosophy)を宇宙物理学や進化生物学の最新理論と融合させ、「私たちは星屑で出来ている」という神話的な物語を語ってみせた(1-6)。セーガンの進歩の物語、洞穴から星々への人類の起源と運命の旅の運命の壮大なビジョンは、ほとんど神学といっていい(4-2)。こうした進歩の神話には、キリスト教の物語よりも、多くの人たちの情緒感に訴えかけるものがあり、限りなく改善されていく未来への進歩教が現代社会を正当化させる宗教となる宗教革命が起こったのである(1-6,4-2)

■逆説の未来史への教訓

 そして、現代の進歩の神話の信者たちも、この数十年、ローマ皇帝がしたのとほぼ同じことをしている。現代の危機を創り出したのは進歩そのものなのだが、その進歩を通じて危機から脱出する努力を正当化するため、マンハッタンプロジェクトやアポロ月面着陸といった神話的な物語を展開している。どの文化においても、その行動を正当化するために中心的な役割を果たす物語、宗教的神話がある。そして、それは、文化という宗教の根拠を形成している(2-4)。それでは、進歩教はどのようにして誕生したのだろうか。

【引用文献】
(1) John Michael Greer, The Long Descent: A User's Guide to the End of the Industrial Age, New Society Publishers, 2008.
(2) John Michael Greer, The Ecotechnic Future: Envisioning a Post-Peak World, New Society Publishers, 2009.
(3) John Michael Greer, The Wealth of Nature: Economics as if Survival Mattered, New Society Publishers,2011.
(4) John Michael Greer, In Not The Future We Ordered: Peak Oil, Psychology, and The Myth of Progress, Karnac Books,2013.
(5)ウィキペディア
ミュラーの写真はウィキペディアより
セーガンの写真はウィキペディアより


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