没落屋

吉田太郎です。没落にこだわっています。世界各地の持続可能な社会への転換の情報を提供しています。

カマグェイへ

2010年05月16日 12時30分25秒 | キューバ

 夜22発の夜行便は中国製の大型バス。瀬戸さんからアドバイスがあったように驚くほど冷房が聞いている。長袖シャツを着た。

 バヨナ氏とは隣ひとつ離れた席だが、キューバ人と結婚したというペルー出身の女性が夫の実家のカマグェイへ里帰りということで、会話が始まる。ほとんど眠らず、早朝6時にカマグェイについた。
 
 実は、カマグェイとサンクティ・スピルトゥス州を訪ねてみたかったのにはわけがある。もう10年近く前になるが、2002年に衛星放送、BS朝日でキューバの音楽をたどる紀行番組「トロバドールの旅」というドキュメンタリーを見たことがある。コーディネートしたのは、今回の旅でも世話になった瀬戸くみこさんだ。

 その番組で降雨量が少ないため、水を溜めるための甕があちらこちらにあるカマグェイの街中の風景とサンクティ・スピルトゥス州のヤヤボ川にかかる石の橋が出てきたのだ。しかも、この番組を見た場所が、硫黄島という特異な場所であっただけによりいっそう強い印象が残った。

 硫黄島は、我が旧帝国陸軍が米軍を相手に壮絶な玉砕を遂げた第二次大戦当時の激戦地で、渡辺謙主演の「硫黄島の手紙」で有名になったが、硫黄島とはいまもつながりがある。

 私が勤務する農業大学校のある松代町は、この小笠原兵団を率いた栗林忠道師団長の出身地なのだ。

 さて、日本に返還されて以降、行政的には東京都に所属するが民間人は居住せず、自衛隊の基地があるだけだ。だから、本土からのアクセスも自衛隊の軍用機があるだけで、普通の市民が観光で訪れることはない。
 だが、日本は南方からの病害虫の侵入の脅威にさらされている。そのひとつにミカンコミバエというものがある。柑橘類を食い散らかすやっかいな害虫だ。そこで、この害虫がいないかどうか、都では植物防疫法に基づいて検査を行っている。
この仕事のために、硫黄島に飛んだことがあるのだ。それも、都民のためには申し訳ないが、ほとんど意味がない役所仕事であったことをここで白状しておこう。

 実際にミカンコミバエを検出するためには、果実類が実っている時期に行かなければならず、実が落ちた冬季に現地に出向いても意味がない。だが、2001年に9.11テロがあったため、軍事演習が優先され、予定した時期に飛べなかったのだ。

 国民の食を守るために、日本国政府が定めた法、植物防疫法に基づいて、都民の税と国税を用いてなされる検査業務。
 同盟国である米国のテロ防止に協力するため、日本国内の領土でなされる軍事演習。
 
 どちらが、優先されているのかは、言うまでもない。バロン西こと西竹一大佐が最後に戦死を遂げた北部の浜には、今も赤錆びた武器の残骸が残る。その上空を数分の間隔で米軍の軍用機がうなりを立てて飛んでいく。自衛隊との合同演習がされているのだ。

 それはともかく、病害虫のサンプル採取の検査業務そのものは数時間ですむ。だが、厚木や狭山基地からのフライトは限られているから、現地には一泊しなければならない。おまけに、本土から1300キロも離れている。通常のテレビは入らない。そこで、あてがわれた将校用のゲストハウス。それも、案内が全部米語で書かれていることが、この国の統治状況を象徴しているのだが、衛星放送でも見てくださいといわれてスイッチを入れたのだ。

 すると、スイッチを入れるなり、チャカスカ・チャカスカと耳に覚えのあるリズムが聞こえてくるではないか。

「あれ、これってキューバ音楽?。でも、米語ばかり書かれている部屋でなぜ、こんなリズムが」

 番組を見ていると、それが前述したBS朝日のキューバの音楽番組だったのだ。なんというシンクロニシティ。人生にはときにこうしたことがある。


市場競争原理

2010年05月16日 12時09分31秒 | キューバ

5月2日。市内散策を終え、一段落したので、ホテル・サン・ミゲルの隣にあるカフェ・テリアで軽食を取ることとした。ミゲル氏と店に入ると、ウェイターが「おお、セニョール・トゥ・コーラ」と話しかけてきた。

 ちなみに、トゥ・コーラとはキューバ製のコーラのことだ。昨年の5月にサン・ミゲルに宿泊していた折には何日かこのレストランで夕食や昼食を取ったのだが、その際、「コカ・コーラはどうですか」と言われたので、「米国は嫌いなのでトゥ・コーラしか飲まない」と言ったことが、印象に残っていたらしい。

 たしかに、東洋人が珍しいから覚えていたのだろうが、1年もたって一旅行者のことを記憶しているとは面白いではないか。何か不思議な気がした。

 時差ぼけで眠い。ホテルに戻り、仮眠した後、19時に起きた。今晩は22発の夜行バスでカマグェイに出発することとなっている。夕食をどこかで取らねばならない。

 だいたいキューバの飯は不味い。2007年のパルクの視察ツアー時には、オクシデンテ・ミラマルから500mほど離れたところにあるホテル・コモドロに滞在した。その際、ツアーメンバーの一部とともに、ホテル・コモドロの隣にあるホテル・メリア・ハバナの地下にあるイタ飯屋に入ったことがある。

 イタリアン・レストランでは、ガイドブックでは一押しのラ・ドミニカよりも、アバナ・ビエハのホテル・テレグラフォの隣にあるプラド・イ・ネプチューノが一番上手いとは思っている。だが、瀬戸さんによれば、この地域ではこのイタ飯屋、一番の評判だと言う。そこで、キューバについた晩には行ってみたのだが、やはり3年前と変わらず不味い。パスタを頼んだのだが、塩味がろくについていない。

「やはり、駄目か。仕方がない。今日はホテル・オクシデンテ・ミラマルで食うか」

 ミラマル・ホテルは、サービスも部屋もいい。だが、レストランの選択肢がないとガイドブックにも書いてある。他に誰一人として客がいないレストランで、さして期待もせず、魚料理を注文した。

 すると信じられないほど美味なのだ。おまけに、注文に来たお姉さんの英語の発音が信じられないほど美しい。ちなみに、数年前は、ホテルでもろくに英語が通用しなかった。だが、いまは、スペイン語で話しかけても返事は英語で返ってくる。

 キューバ人の英語は、スペイン語訛で米人にはともかく私には聞き取りやすい。能力もあるのであろうが、米人のあの口にこもったような発音は、聴いているうちにイライラしてくる。その点、キューバ人の発音は、アイウエオがはっきりしていて、わかりやすい。「アーバン・アグリカルチャー」が「ウルバン・アグリカルチャー」になってしまうし、「ユニセフ」も「ウニセフ」になったりする。が、それに注意していればOKだ。ところが、彼女の発音は違う。パルフェクト、いや失礼、ぺルフェクタメンテだ。さすが外資系。

 ちなみに今回の旅では、初めてホテル・ナシオナルに宿泊した。キューバで最も有名な超高級ホテルである。だが、飯がまずいのだ。おまけにあてがわれた部屋のスタンドがひとつ壊れていてつかない。クレームを言うと翌日には直っていたが、日本ではありえないようなポカミスだ。

「オテル・ナシオナルは国営なうえ、黙っていてもお客が集まる人気ホテルですから、お高くとまっていて、どうしてもサービスが悪いんです。レアル博士がやっているアバグアネックスやスペインとの外資系のホテルではまずそんなことはないのですが」
 と瀬戸くみこさんがこぼす。やはり、観光業にあってはある程度の市場競争原理は必要なのである。


ハバナの旧市街の再生

2010年05月16日 11時19分47秒 | キューバ

 5月2日。自然史博物館を後にして、昨年の5月に時間不足で見ることができなかったハバナ歴史官事務所が取り組んでいる景観修復プロジェクトのいくつかを見ることとする。

 とりわけ、訪れてみたかったのは、職人養成学校ガスパル・メルコル・デ・ホベジャノス職業訓練学校だ。昨年の取材でマルタ・オナイダさんから資料はもらっている。だが、実際に学んでいる学生の姿を見てみたかったのだ。もちろん、今回の旅は取材ビザをとっていないから、インタビューはできないが、せめて写真だけでもと思ったのだ。

 正確な場所はわからないが、聴けばわかるだろう。

 ミゲル・バヨナさんが、アフリカの家のスタッフに尋ねると、有名な施設だけあってすぐにわかった。だが、キューバのことだ。案の定、学校は休みで入ることすらできなかった。これほど左様にキューバの取材は時間をたっぷりとっておかなければ難しい。

 とはいえ、驚いたのは学校のあるその場所だ。アバナ・ビエハのサン・フランシスコ・デ・アシス広場は、観光地だからもう何度も訪れている。広場に接した一角には、道路にガラスを張って、地下構造が覗けるようにしている場所もある。職業校はその正面にあったのだ。

「なんだ。何回も前を通った場所じゃあないか」

 ストリートの前には、ヨーロッパからの観光客が列をなして歩いている。が、学校に着目している人は誰もいない。ネットでインター・プレス・サービスの記事を読み、この学校の存在を知った時には本当に驚いたし、マルタ・オナイダさんからパワーポイントで活動状況の説明を受けた時にはさらに感動した。やはり知識がないとモノは見えてこないのだ。

 さて、都市活性化、伝統文化の保全、雇用創出を組み合わせた歴史官事務所の壮大な取り組みについては、拙著「没落先進国」で紹介したが、その中でこう書いた。

「米国だけを見ていては情報が入ってこないということだ。海外=米国で情報が遮断されている日本でレアル博士の取組が話題にならないのもわかるような気がした」

 この文章を書いたのは、2009年の5月の取材以降、8月のことだ。だから、知らなかったミスは修正しておかなければならない。実は、今回キューバに出かける直前に、東京大学大学院工学系研究科の伊藤毅研究室で学ぶ樋口智幸氏から修士論文を送ってもらっていた。題名は「ハバナ旧市街・密集市街地における二層の街路空間システムの再開発とその評価」だ。

 氏は私のような付け焼刃の駆け足取材ではなく、2年半もかけ各種の西語文献を調べあげたうえに、2週間に及ぶ濃密な現地調査をしている。しかも、氏の論文を読むと伊藤研究室では2000年からハバナの都市調査を行っており、「宇野 悠里氏が2001年に執筆された重厚な修士論文から多大な影響を受けている」とも書いている。

 恥ずかしながら、私はこの論文も読んでいないし、東京大学の建築系ではレアル博士の取り組みが数年前からとっくに調べられていたことをまったく知らなかった。これがアカデミックだ。やはり、プロは違うのだ。

 さて、このブログは意識的に厭味ったらしくアカデミックについて書いている。だが、いくらアカデミックなプロには常識であったとしても、いわゆるプチ・キューバ・ファンたち。ハバナをただ訪ねるだけの観光客にとっても、レアル博士の取組みを知っていたらもっと楽しくなるだろう。ソニー・マガジンズ(2008)の「キューバの快楽主義に学べ・エウセビオ・レアルが教えるハバナの旧市街の正しい歩き方」には、さわりだけ取組みが紹介されているのだが、例えば、「地球の歩き方」のような大衆向けの通俗観光ガイド本には出ていないし、英文でのガイドブックも同じで、コラムにすら出てこない。

 つまり、拙著はプロのアカデミックからすれば、常識なのだが、庶民に簡単に読める形としてレアル博士のプロジェクトを紹介できた、という点で意味があると思っている。

 さて、さらに厭味ったらしくこの話題を続けてみよう。アカデミック的には常識であったとしても、私の目からしてもごく普通のキューバ・ファン。あるいは、キューバに関心がない人にとっても、レアル博士のプロジェクトは魅力的である。であるとすれば、なぜテレビ番組とかにならないのだろうか。いつまでもスポーツとサルサとゲバラばかりではないだろう。

 正しいかどうかはわからない。が、その理由のひとつを今回の旅で聞くことができた。

 実は、拙著、「没落本」を書いた後、某番組制作会社からレアル博士の取り組みを是非番組化したいので、企画作成のための情報提供に協力して欲しいとの依頼を受けたことがあった。だいたいこうした問い合わせは、企画時にはしつこいほど連絡があって、その後没になっても駄目になったことすら連絡がない。有償ならばともかく、無償で時間を割き、調べたりしているのだ。

 せめて、「駄目でした。ご協力ありがとうございました」

 くらいのリスポンスはあってもいいと思い、最初はずいぶんと腹立ったものだ。だが、有機農業や医療、教育とことごとく企画が没になっている毎に、ほとんどの制作会社からは返事がないので、「それが、この業界のルールなのだろう」と今では、さして驚かなくなっている。

 だが、キューバで、その没になった理由を聞いていささかあきれた。

「フィデル・カストロとのインタビューがあることが、番組制作を検討する最低の入り口条件」

 というのだ。ちなみに、フィデルは公式引退してからは希に海外のマスコミで報じられることはあっても、公式の番組に登場することはまずありえない。

 したがって、番組制作会社側の顔を立てつつ、かつ、米国のことも配慮して、キューバの取り組みを紹介する番組が没になるよう、意図的にそれを条件に附したのであれば、この某局のディレクターはなかなか政治的センスがある優れた人物といえる。だが、そうではなく、本気でカストロとのインタビューができると思って、それを条件に出したとしたら、間抜けとしか言いようがない。

 確かに巨大な経済大国日本からすれば、キューバは貧乏小国でしかない。だが、キューバ人にとってはフィデルは天皇陛下のようなものなのだ。

 立場を逆にして考えてみよう。20××年。没落日本の外貨獲得のため、観光業を柱に首都再生に取組む偉大な人物が登場した。水路や街並み。江戸の歴史景観を再生するプロジェクトは軌道に乗り、国際賞を総なめにする。アカデミックな歴史研究者であると同時に、数多くの観光企業や NPOのガバナンスにも長け、景気が低迷する中で困窮していた若者たちにも魅力的な就業先を作り出すことに成功する。その誠実で謙虚な人柄は、接する多くの人々から親しまれ、草の根の声から押され、パフォーマンスではなく、正真正銘の実力派として都知事にも当選する。仮にこんな人物がいたとしよう。その人を主人公とした番組を作るのであれば、本人のインタビュー、そして、プロジェクトに関る職員やプロジェクトで恩恵を得た庶民が登場すればドキュメンタリーとしては十分ではないだろうか。だが、

「ハポン?。ああ、ゲイシャとフジヤマとハラキリで知られた東洋の小さな国ね。昔は経済大国だったけど今は没落している。えっ、なに、最近面白いことをやっている都知事がいるので番組を作りたい。そりゃあんた、番組を作って世界に紹介してあげてもいいけど、天皇陛下がでなければ話にならんでしょう。なんていっても没落国なんだから」

 こんなことをキューバから言われたらどう感じるか。おそらく、ウヨでなくてもいささかの愛国心があらば、馬鹿にするなと怒るであろう。これほど左様にマスコミの感覚はずれている。と、厭味ったらしく思ったりした。



隕石衝突事件

2010年05月13日 23時05分53秒 | 日記

平成22年5月2日。今日は、ミゲル・バヨナ氏の案内で、市内を巡ってみることとする。まず、向かったのは、アバナ・ビエハのアレマス広場にある国立自然史博物館だ。この博物館を訪れてみたのはわけがある。

 白亜紀末にユカタン半島に激突した隕石によって恐竜が絶滅したことは有名だが、現在地球上でその記録が一番残っているのがキューバなのだ。
地質学では生物が絶滅した毎に時代を区切っている。白亜紀後は、哺乳類が繁栄する「第三紀」、そして、人類が登場する「第四期」になるのだが、数字が入っているのは、以前は1~4まで時代を区切っていた名残だ。しかし、その後研究が進んで、大量絶滅のほとんどが隕石によるものであることがわかってきた。
 このことを最初に指摘したのが、アルバレス親子だ。その発想のきっかけは元素にある。白亜紀と第三紀の境は、KT層と呼ばれるのだが、イリジウムを大量に含んでいる。イリジウムは宇宙塵としても今も日々降り注いではいる。だが、異常な濃度を達成するには、論理的に見てKT層の時間が異常に長かったか、KT層の間にのみ、降り注ぐ濃度が多かったかの二つしかない。では、濃度を多くするにはどうするか。イリジウムを大量に含むものが降ってくればいい。こうして、アルバレスの隕石衝突仮説は誕生した。
 そして、ユカタン半島の地下に当時の隕石が見つかったことから、仮説は俄然信憑性を得る。さて、隕石由来のインジウムを大量に含むと呼ばれるこの特異な地層は、日本でも見られる。北九州市を訪れた折には、わざわざそれを見るためだけに若松海岸まで足を運んだことがあるのだが、たった数センチの厚さしかない。だが、キューバのピナル・デル・リオ州ではなんと700mに及ぶ地層があるという。隕石激突によって吹き飛ばされた地球の土砂が海底を流れ下った記録がキューバに保存されていたのだ。
 このことは、拙著「1000万人が反グローバリゼーション」で書いたことがある。

 ちなみに、松井孝典博士がキューバに着目した理由がいい。
 ユカタン半島の隕石については、米国が草の根も生えないように調べつくしてしまっている。だから、日本のような遅れた国がいまさら後追いしたところで、さしてアカデミックな成果が得られない。所詮は米国にかなわないのだ。だが、米国が唯一入れず調べられない国がある。より正確に言えば、自ら調査することを遮断してしまっている国がある。
ならば、そこを調べてみればどうか。

 松井博士の直感は見事に適中し、世界最大の地層がチェ・ゲバラの霊廟のあるサンタ・クララ市近郊の山地、そして、ピナル・デル・リオ州内のモンカダ村で見つかったのだ。フィデルのモンカダ兵営攻撃を記念して命名された村で発見されたことから、この地層の名前は「モンカダ層」と言う。そして、この地層のレプリカが国立自然史博物館内にあると松井博士の著作に書いてあったのだ。これは見なければならない。

 で、館内を巡ってみる。地球の進化からプレートテクトニクス、生命の誕生、アノマノカリスの模型等、小さいがレベルは低くはない。そして、このままでは環境破壊で人間は滅んでしまうのだから、というフィデルの地球サミットでの演説とともに、スローガンが書いてあったり、生態系で果たす分解者としてのキノコの果たす役割が重要であることから、キノコを守るための子どもたちの模型があったりして楽しい。だが、肝心の地層のレプリカがないではないか。

 さっそく、ミゲル氏が博物館の学芸員に尋ねてくれた。

「そうです。日本の研究者が来たときに一時的にイベントとして展示コーナーがあったことはあります」

「では、常設展示ではないのですか」

 なんとももったいない。私が博物館の学芸員だとすれば、海外からの観光客寄席のためにも常設コーナーを作るのだが・・・・。

 ちなみに、隕石衝突時の地層の石は、モロ要塞を作るために使われ、モロ要塞で見られるという。モロ要塞は観光地として多くの人が訪れるだろう。だが、

 知識がなければ、モノは見えてこない。たんなる石も嬉しくなるではないか。私は、松井博士の著作を読むことで、そのことを初めて知った。

いつの日にか、隕石衝突が観光メニューとして登場することを願おう。


横文字コンプレックス

2010年05月11日 22時29分21秒 | 日記
朝、6時。トロント・ピアソン国際空港出発ゲート。昨日、日本から約12時間をかけ、やっとトロントについた。これから8時25分発のAC970便でハバナに向かおうとしている。トロントからハバナまでは2300キロ。時速785キロの旅客機では約3時間半のフライトとなる。

 さて、ピアソン空港の出発ロビーには書店がある。そこで、機内で読むための本を物色した。今では、紀伊国屋や丸善まで足をわざわざ運ばなくても、アマゾンで簡単に買えるのだが、どんな本が今出ているのかを実際に書棚を眺めてみることは楽しい。もちろん、私が買うのはたいがいノンフィクションだけで、昨年5月にキューバを訪れたときは、ペンギンの『Common Wealth Economics for a Crowded Planet』とヨハムド・ユヌスの『Creating a World Without Poverty』を買った。

 今年はどんな本があるのだろうか。

 まず、目に入ったのがアフリカの飢餓問題やオバマの本。また、ピーク・オイル関係の本も目立つ。では、農業は。そう思って棚を見ていくと、ポール・ロバートというジャーナリストの書いた「食料の末期」。そして、デヴィッド・スズキの「続グッド・ニュース」が何冊もおいてあった。ロバート氏は「石油の終わり」を2005年にも書いている。端的に言えば、石油がなくなれば食料は潤沢には手に入らなくなるという本だ。著者はジャーナリストだから、アカデミックな内容ではない。

「おい、わかっていると思うけど、これからの世の中の食い物は悲惨になるぜ。このままじゃ大変なことになっちまうぜ」

 この手の本はアジテートするだけだから、どうしたらいいかを知りたければ、最後の章だけ読んでみればいい。
 そこで、300ページから始まる最後のエピローグだけページをめくってみる。

「キューバはまだ自給はできてはいない。だが、これからの持続可能な食料生産に向けた貴重な実験をしている唯一の国だ」

 このフレーズが目に入る。

「ほう、やはりキューバかでてくるわけか」

 買うことにした。

 もうひとつのデヴィッド・スズキの本も何冊も置いてある。「グッド・ニュース」の旧版は枝廣淳子さんの監訳で日本語版が出ているが、新版が2010年に出ていることは不勉強で知らなかった。

 政治から始まり、生物多様性、気候変動、森林保全、水、海洋、農業、そして、最後はエコな仕事と経済という章立てとなっている。そこで、農業のセクションを斜め読みしてみる。スローフード、CSA、ロカヴォアという先進国のおなじみの内容から始まり、アフリカのサヘルでのザイ農法、そして、キューバの有機農業が紹介され、最近キューバを調査しているオハイオ州の研究者、ジョエ・コヴァッチの発言が引用されている。

「25年も農民たちと働いてきてが、これまであった中で、キューバの農民は最も幸せそうだし、楽天的で金もちゃんと支払われている」
 そして、国際環境技術アセスメントの見解を高く評価し、ビル・ゲイツのアフリカでの緑の革命にケチをつけている。

「なるほど、やはり、キューバが出てきて、そういう展開になるわけか」

 デヴィッド・スズキが日本のアカデミックで、どれだけ評価されているのかは私は知らない。だが、拙著『新世紀農業~アグロエコロジー計画』で紹介したバリ島の灌漑についての情報は、日本語版「グッド・ニュース」で知ったのだし、この本も買っておいて損はないだろう。450ページもあって、23カナダ・ドルとそんなに高くもない。

 買うことにした。

 ちなみに、デヴィッド・スズキは、バンクーバー生まれの日系三世である。大東亜戦争が始まると、なんら罪がない無垢の市民でありながら、ただ日系人というだけで、デヴィッドとその家族を含む約二万人が「敵性外国人」と見なされ内陸の収容地に強制移動させられた。その後、ドイツやイタリア移民と異なり、日系人だけを収容したことを人種差別に基づく誤りであったと1988年にカナダ政府は認め、謝罪している。

その後、デヴィッドは、米国に留学し、カナダを代表する最も著名な生物学の研究者として知られるまでになる。だが、日本では、リオの地球サミットで伝説的なスピーチをした少女、セヴァン・カリス・スズキ父親として紹介した方がピンと来る方も多いだろう。この父にして、この娘あり、というわけだ。

 さて、空港の書店をテーマに、いささか長い与太話をしてみたのは、日本で流布している情報にはやはりズレがあるのではないか、ということを知っていただきたかったからなのである。書店といったが、写真をみていただきたい。ここはあくまでもトロントの出発便の待合所の一角にある本屋であって、ファッションやスポーツ雑誌、小説が中心で、ノン・フィクションや専門書のコーナーは本当に一棚しかない。日本のイメージで言えば、羽田空港やJRの新幹線の駅内にある小さな本屋のようなものだ。だが、そこに、ベストセラーとして、さりげなく、食料問題の本がおいてある。ピーク・オイルでカナダがどうなるか。「炭素のシフト」という本もベストセラーとして、山済みされている。

 長野と東京間を新幹線で移動するため、JR構内の本は時々のぞくことがあるが、日本のビジネス・コーナーは、どうも違う。ピーク・オイルや食料危機の関連本はまず手に入らないし、売れない。これを民度の差、国民の問題意識の違いといわずしてなんと言おう。
 いささか自己PRになるが、デヴィッド・スズキの論理展開も、拙著「食料自給率40%が意味する日本の危機」で書いたこととほとんど違いがない。つまり、ネット情報を積み上げた拙著はグローバルなインテリ水準からさほどずれてはいないということだ。いささか安心するとともに、やはり、英語情報を読み続けなければならない、というのが小さな本屋で受けたショックだった。

「欧米だけが進歩していて、日本が遅れている。実に安直な発想だ。欧米にコンプレックスを持っているのではないか」

 と問われれば、「そのとおりだ」と答えるしかない。だが、デヴィッド・スズキやロバートの本が、グローバルなコンセンサスであるのならば、少なくとも、その内容の要旨を知った上で物事を考えなければ、国際感覚がどんどんずれてしまうと思うからだ。

 もちろん、日本でもアカデミックな学術研究者は違う。プロのアカデミックにとっては、そんなことはあえて口にするまでもない常識中の常識であって、それをベースにオリジナルな学術論文を横文字で発信し続けている。海外の大学に留学している一流の大学生たちもそうだろう。

 だが、そこまではいかないサラリーマン。つまり、新書程度は買って読むという私と同程度のプチ・インテリ大衆の間では、「農業省の食料自給率40%がでまかせである」という本がベストセラーのトップを走っているのだ。

 もちろん、そうした本もあっていい。だが、それだけではバランスを欠く。多少は農業や環境に興味を持つサラリーマンや主婦、学生を対象に、英文のこうした著作のコンテンツを紹介していくこと。つまり、プチ・アカ・ジャーナリズムの仕事にはそれなりの意味がある。そう思ったりした。