没落屋

吉田太郎です。没落にこだわっています。世界各地の持続可能な社会への転換の情報を提供しています。

逆説の未来史21 崩壊の作法(11) 科学と技術

2013年09月07日 23時50分22秒 | 逆説の未来史


■未来には科学は失われる?

 「冬来たりなば春遠からじ」の詩で知られるイギリスのロマン派詩人、パーシー・ビッシュ・シェリー(Percy Bysshe Shelley, 1792~1822年)は、オジマンディアス(Ozymandias)という詩を書いている(4)

  古代の国エジプトから来た旅人はいう
  胴体のない巨大な石の足が二本
  砂漠の中に立っている その近くには
  半ば砂にうずもれた首がころがり

  顔をしかめ 唇をゆがめ 高慢に嘲笑している
  これを彫った彫師たちにはよく見えていたのだ
  それらの表情は命のない石に刻み込まれ
  本人が滅びた後も生き続けているのだ

  台座には記されている
  「我が名はオジマンディアス 王の中の王
  全能の神よ我が業をみよ そして絶望せよ」

  ほかには何も残っていない 
  この巨大な遺跡のまわりには
  果てしない砂漠が広がっているだけだ(5)

 オジマンディアスとは古代エジプトのファラオ、ラムセス大王の別名である。シェリーは実際に遺跡を見たことはなかったが、大英博物館の王の胸像に触発され、エジプト文明がたどった運命には関心を抱いていた(4)。グリアはこの詩についてこう書く。

 シェリーの詩、オジマンディアスの粉砕された彫像のように、消え失せた時代のサイクロトロンやその観測所があった荒野にいつの日にか立てる(2-10)

 なんと、グリアは産業文明の没落によって科学が失われることを想定し、次のように続ける。

 近代社会において、科学・研究が果たしている役割には巨大なものがある。他の時代に宗教が担っていた役割を現在は科学が果たしている。地球はどのように誕生したのか。人類の未来はこれからどうなるのか。人々が想いをめぐらすときにまず鍵となるのも科学だ。そして、大学、研究所、財団、出版者からなる巨大な科学研究機関のネットワークは、政府から何十億もの補助金も受けている。このことからすれば、近い将来に科学が失われる可能性について論じることは非現実的だ。けれども、過去を顧みれば、科学の脆弱性が明らかになる(2-12)。現代文明の脆弱性の問題点に真面目に取り組んでいる人は最近ほとんどいないが、それは、過去にどれだけのものが失われたのかが広く認識されていないためだ(2-11)

■古代ローマ音楽はたった25秒しか残されていない

 古代ローマ時代、カピトリヌス丘陵の上には、ユピテル・オプティムス・マクシムス神殿(Jupiter Optimus Maximus)があった。マヤもジャングルに呑み込まれる以前には、ティカルやコパンに神殿があり、多くの神官がいた。彼らの役割は科学と同じであったであろう。文明が知的エリート階層に資源を投じて大切にするのにはわけがある。産み出される成果に投資をするだけの価値があるからだ。けれども、文明が衰退し崩壊するときには、まず打ち切られるのがこの補助金だ。ローマのジュピター寺院は教会の石材用に取り壊されたし、マヤの占星師たちにまとめあげた複雑な惑星の記録も神殿の廃墟内で腐った(2-12)

 ハンガリー出身の米国の歴史学者、ジョン・ルカーチ(John Lukacs, 1924年~)によれば、ローマ世界は歴史の変化に対する感覚を欠いていた。ローマ帝国が黄昏を迎える中でも、ローマ時代の歴史家は、紀元前13世紀のミケーネ文明の崩壊に着目せず、ローマ帝国の過去を未来に対する羅針盤として扱うことはなかった。ローマ文明をまったく異なる未来に対して継承する必要があるという発想は、後期ローマ帝国の人たちには思い浮かんでいなかった。そのため、ローマ文明の遺産をサルベージするというタスクは、数世紀後にアイルランドの修道院に託された(2-11)

 ちなみに、ローマ崩壊後のヨーロッパはあらゆる種類の侵略や災難に見舞われたが、アイルランドだけは別天地のように蛮族たちの破壊とは無縁で、平和が長く続き、学間が盛んに行われた。この時代は「聖者の時代」と呼ばれ、聖職者や信者たちは、福音書の研究や写本の装飾に没頭した。そして、6~7世紀には、多くの聖職者が、スコットランドやイングランドはもちろん、ヨーロッパ各地に赴いて、修道院や教会を設立し、独自の学校を建設した。8世紀末にバイキングが侵入するまでは、アイルランドが西欧の文化の中心であり、まさに「聖者と学者の島」として、アイルランドは他地域ではほとんど消滅したキリスト教文明の保存地としての役割を担ったのである(5)

 けれども、アイルランドの聖職者たちが、ローマの遺産の継承という仕事に着手した時にはすでに莫大な量の資料が永久に消え失せていた。帝国が崩壊を始め北アフリカにある小麦畑からイタリアの波止場への穀物船の渡航が途絶えたときには、誰もが必需品は各自で自給しており、古代の都市国家がどのように機能していたのか想い出すものは誰もいなかった。
文学、科学、哲学の主要作品の大半も失われ、ギリシャ・ローマ文化の最大級の創作品は、中世の暗黒時代に偶然に作られた書物の断片的な引用として残存しているだけなのだ。文化部門の中には全部が喪失してしまったものもある。例えば、ローマの音楽の伝統は、人類史のどの音楽とも同じほど豊かで複雑なものであったが、残存しているのは、たった25秒で演奏できてしまうたった一つのメロディーの破片だけなのである(2-11)

 文明崩壊時には、こうした記憶の損失が一般的である。すなわち、文化遺産を保存・伝達するための仕組みが不十分であれば、伝承の糸が切れ、死滅した文明の不可解な廃墟だけが唯一の遺産となる(2-11)

■21世紀は脱電化が進み、電気が失われればサーバー情報は消失する

 おそらく、私たちも後期帝国のローマ人たちとほぼ同じ状況にいる。ローマ人たちと同じく、巨大な文化遺産を手にしてはいるものの、そのほぼすべては没落の影響に対して脆弱である。同時に、祖国やそれ以外の場所でローカルな民俗文化の遺産を消し去るために、最善を尽くしている。

 パソコンのキーボードを叩くだけで、地球上のどこでも音楽がダウンロードできるこの時代に、このようなことが再び繰り返されるとは、杞憂のように思えるかもしれない。最新テクノロジーによって大量の情報をコピー・格納することが可能となり、情報アクセス革命によって、以前よりも多くの人々が文化遺産にアクセスできるようになり、文化の損失よりも文化の過剰な負荷の方がよほどありえそうに思える。けれども、それ以外の近代生活の様式と同じく、文化資源にアクセスする情報テクノロジーは、化石燃料や産業化時代が没落した以降には持続可能ではない複雑な技術に依存している。

 しかも、その情報は産業社会の独自技術によって保存されている。例えば、インターネットのサーバー上に保存されたデータは、サーバーの電力やスペアーパーツがあることによってのみ存在し、産業文明が維持できなければ使えない(2-11)

 インターネットは突然の危機には耐えられるかもしれない。けれども、メンテナンスの失敗、資金やスペアパーツの不足、停電の影響等では死滅していく(2-5)。1930年代は米国の農村で電化がなされた10年だった。全国的に無電化の村にまで通電された。けれども、21世紀の電力事情は、20世紀の映画を逆送りしたように見えるであろう。2030年代は農村の脱電化の10年となり、永久に村から送電線がなくなるかもしれない。2100年には電力は1900年時の状態となり、石炭による火力発電や水力発電、風力発電による都市のアメニティーはほとんど金持ちにしか使えないであろう。その後には風力や水力は残るであろうが、石炭もほとんど枯渇し、それ以外の化石燃料も色褪せた記憶と化すであろう。そして、都市は、事業所に業務用の電力を供給したり、各家庭に適度な明りをもたらす自家発電のグリッドを持っているであろう(1-3)

 化石燃料がなくなれば、同じことが、それ以外のほとんどのデータでも起こる。CDであれ、マイクロフイルムであれ、レコード盤であれ、機械がなければ情報が読み取れないが、こうした機械技術そのものが、まさに喪失に対しては脆弱である。例えば、1960年代にNASAが収集した宇宙に関するデータのほとんどは、今日、倉庫に使われずに眠っている。オープンリールのテープを解読するのに必要なソフトウェアがもはや存在しないからだ。おまけに、いまのデータを保存しているほとんどのメディアは寿命が短い(2-11)。突然の崩壊によって図書館が放棄された二年後には、埃まみれであってもほとんどの書物は判読可能であろう。けれども、200年後には、書物はおがくずに砕け散っている。酸性紙で印刷されていたり、雨に濡れて腐るからだ(2-5)。それ以外のメディアはさらに短寿命だ。未来に残された西洋音楽のただ一つの痕跡が、ビング・クロスビー(Bing Crosby, 1903~1977年)の25秒のメロディの断片となってしまうことは、考えているよりもずっと近いのかもしれない(2-11)

■軍事研究しか残らない

 エネルギーや資源が不足する未来社会は、水や大地、人力エネルギーに依存しているであろう。経済が縮小し技術が衰退すれば、現在の科学プロジェクトも維持できない。今日の先端研究所のほとんどの設備は、板に囲まれるか、放棄されるか、さもなくば、政府が原材料を調達したり、貧困層が略奪しているであろう。

 もちろん、エネルギーや軍事部門に適用できる応用科学部門は、資金がある限りは大切にされよう。基礎研究も一部は残されるかもしれない。けれども、それ以外の大半の部門は、それを支えるスペアー資源が枯渇し、スクラップと化しているであろう。将軍や官僚たちに対するほんの一握りの科学アドバイザーを除いて、科学者は、自ら進んで自分の時間や資金を割いて研究を行うしかなくなろう(2-12)

 とはいえ、ダーウィンの自然選択説もメンデルの遺伝学も、今の水準からすれば、中学の理科教室以下の設備の中で産まれた。したがって、こうした未来においても、かなり重要な科学的発見がなされているかもしれない。けれども、そこには問題がある。今日では、手製の設備しかない試験室で自分で研究を行える科学者はまずいない。20世紀に、才能を持つアマチュアが追求するものから、政府や企業から資金提供された職業へと科学が完全に変貌したからである。科学が絶滅の危機に直面することになるわけはそこにある。科学を未来にもたらすには後援者が必要いる。さもなくば、科学はおそらく完全に消え失せてしまうであろう(2-12)

■ゆるやかな没落が技術を奪う

 逆説の未来史16「サルベージ社会の時代」で指摘したように、放棄された建物や機械は再利用できるかもしれないし、エネルギー供給源として機能するよう水力発電ダムも復活できるかもしれない。再び電気が流れ始めれば、インターネットも一部は復活できよう。崩壊以降に生き残びた人々は、崩壊以前の世界で育っているから、近代社会を運営するうえで必要なスキルを体得している。黒死病以降にヨーロッパ中世の文化が再建されたように、そう遠からず今日のような文化が再建されるかもしれない。

 けれども、そうした復興が可能となるのは、危機の余波がさほど短期間しか続かないときだけだ。ずっと衰退が続くことを考えてみてほしい。ゆるやかな没落は長い時間がかかる。このプロセスが終わるときには、高度な文明が以前にどのように機能していたのか覚えている人たちは墓の中にいて、腐敗しやすいものは、はるか前に滅び去ってしまっている。

 他の文明の黄昏期のケースでは、長い没落の間に危機に何度も見舞われ、危機時の緊急ニーズを切り抜けるため、利用可能な資源はすべて利用されてしまった(2-5)

 危機の時期には、その時代が求めるものとは直接関連しないものは、戦争や暴動等で破壊されなくても、メンテナンスや維持のためにスペアーパーツのために裸にされたり、温める燃料として燃やされる。つまり、困難な時期にバランスを見つけ出すための社会のホメオスタシスの働きは、突然の破局から生存者が回復するのを助ける一方、スローな没落の影響を増幅してしまう。かくして、それぞれの危機はボトルネックとなり、文化や知識のごく一部だけしかそれを通り抜けられない。このプロセスが頻繁に繰り返えされれば、全くわずかしか残されない(2-5)。したがって、科学技術は、遅かれ早かれゆっくりと失われていく。そのため、没落の時代を切り抜けることを容易にする貴重な知識は失われるリスクを抱えている(2-11)

■技術的なトリアージ

 さらに、ルイス・マンフォードが指摘するように、現代工業社会のほとんどの技術は複雑に相互連結して他の技術に依存している。ロベルト・ヴァッカ(Roberto Vacca, 1927年~)は『来るべき暗黒時代』(The Coming Dark Age,1973)で、この極端な相互依存が、工業化社会のアキレス腱になると論じた。度を過ぎて相互連結すればシステムは不安定化し、同時多発的なシステム破綻を引き起こし、それが工業文明の崩壊につながる。このヴァッカの考え方は、SF作家、アイザック・アシモフ(Isaac Asimov, 1920~1992年)にも大きな影響を与えた。今日の複雑に相互連結する工業技術の深刻な脆弱性をヴァッカは見抜いていた。今日の多くの技術は、産業システムに完全に依存し、たとえ理論上は可能であっても、現実に産業システムが解体すれば機能できない。この観点からすると、技術は次のように分けられる。

①完全に他の技術に依存している

②少しは他の技術に依存している。

③他のシステムとはまった無関係で、産業社会が解体しても、滞りなく実施できる

 この技術の三区分は、戦場において医者が用いるカテゴリー、「トリアージ(Triage)」と気味が悪いほど類似している。トリアージとは「トライあるいはテスト」を意味するフランス語に由来する言葉である。戦場において負傷した兵士の数が、治療できる医療従事者や医薬品、投じられる時間を超えれば、治療を合理化するため、負傷兵は三クラスに分類される。

①たとえ治療をしたとしても死ぬ兵士

②治療をすれば生き残るがしなければ死ぬ兵士

③たとえ治療を施さなくても生き残る兵士

 厳しいトリアージの状況下では、利用可能な資源は、②番目の兵士にすべて投入されることになる。酷であるとはいえ、この論理が、生存者数を最大化することになる。

 来るべき脱工業化社会にも、ほぼ同じやり方で技術に対応することが求められよう。けれども、技術のトリアージでは、戦場以上に複雑な判断が求められる。さらに、技術は、三つではなく以下の四つのカテゴリーに分類できる。

①何をしても保存できない技術

②私たちが行動をすれば保存され、しなければ失われてしまう技術

③失われたものの復活することができ、いま何らかの処置が講じれば、活用できる技術

④何をしなくても保存される技術(2-5)

 つまり、文化遺産を保存させるためのどんな努力でも、無慈悲なまでの選別が求められ、莫大な量の現在の文化遺産は、必然的に失われるであろう。そして、生きた伝統として手渡せる音楽は、生きのびる可能性が高い。それは、フォーク・ミュージックがベートーヴェンの第九交響曲よりも残されるチャンスがあることを意味する。さらに、脱工業化社会時代へと転換していく最も厳しい時代に、人々が日々サバイバルに苦闘しているときには、文学、音楽、芸術、科学は、優先リスト上ではさほど上位にランクされないかもしれない(1-5)

■人はどの技術が未来に大切か誤って判断する

逆説の未来史18 「さまよえる○○人」では、こう書いた。

「今から40年先の世界をイメージしてみよう。化石燃料の生産は毎年落ち込み、使う余裕があるのは生産国だけだ。その国でも国民の半分が自給農業に従事し、ない国ではその率は90パーセントに及ぶ。工場でもサルベージされた資材を手工具を用いて変換する以外の仕事はほとんどない。公衆衛生は悲惨なまでに劣化し、貧困や飢餓が広まり、識字率も着実に低下している。多くの国家が崩壊し、海面が上昇して降雨ベルトはシフトし、人々の移住が始まっている。米国では、鉄道網を復活させることはできず、かつ、燃料不足で無用の長物と化している。自動車はまさに金持ちの贅沢品だ。代わりに、シャベルを片手に昔の運河網が必死で掘り返えされている。陸軍部隊は西部山岳一帯でのゲリラ掃討に従事し、日本からの餓えた難民が太平洋海岸に次々と一団となって漂着してくる」(2-12)
 
 実は、この後にはグリアの文章が続く。

「こうした世界において、近代科学にどんな役割があると言えるだろうか」(2-12)

 けれども、グリアはこう続ける。

「ここで把握しておかなければならない厄介な事実は、科学やその産物のほとんどが、近代人たちが想定しているよりも、人間が生き伸びるためにはそれほど必要ではないということだ(2-12)。例えば、食料を生産するための技術をないがしろにして、ビデオゲームのための術を保存しても仕方がない。そこで、技術的なトリアージをするにあたって、次のリストが問いかけられる必要があるであろう。

1 脱工業化する世界において、どれほど長期にわたって燃料供給できるか

 石油生産が減少しコストがあがれば、石油だけでなく、潤滑剤、溶剤、プラスチックの供給もカットされる。同じく、メインテナンス資材やスペアーパーツ他も全体が影響される。

2 脱工業化する世界において、どれほど長く製品を製造・交換できるか

 今日のエレクトロニクス機器のように複雑な技術を製造力は、それを動かすのに必要とされる能力よりも早く失われる。したがって、もはやその製品が製造できなく後も、何年も何十年も動かせる機械が「遺産テクノロジー」として残る。この遺産テクノロジーの管理は、脱工業化時代が進むにつれて大きな矛盾の源となる。

3 脱工業化する世界において、どれほど長く役立つか

 私たちがいま手にしている技術の多くは、今日でさえも有用なものではない。さらに、脱工業化する時代には使えなくなる他の技術のためだけに存在価値のあるものも多くある。例えば、燃料費が高騰し飛行機の時代は終焉すれば、航空会社や空港を維持するために必要とされる技術は、その存在理由を失い、それを保存することは無意味となろう。

4 脱工業化する世界において、どれほどの時間をかければそれが有用になるのか

 米国やその同盟諸国は、それ以外のあらゆる運輸手段を排除して、自動車技術に投資した。そのため、豊富な石油資源を確保することが必要となり、それがイラク戦争につながった。木造船を建造して帆を張る技術は、現代社会では、過去に対する魅力から保存されているだけで、まさに遺物の形態で残存している。けれども、今から100年、あるいは200先には、1800年代に大陸を結んでいたそれらは、再び海運業の基礎になるであろう。したがって、「時代遅れ」の技術をピーク・オイル以降も実施できるようにしておくために、現在、あるいは近い将来に講じられる対策は、将来に大きな見返りをもたらす。今日は趣味や博物館にしか残存していない多くの技術が価値を持ち、欠かせないものになる。

5 その技術でどれだけ決定的な人間のニーズを満たせるのか

 いくつかの技術は、それ以外のものよりも重要だ。食料、水、家、そして、安全性。人間が生きる上で欠かせないものは、それ以外のなによりも勝る。そして、これらを効率的にもたらす技術は、トリアージ・リストのトップに属する。これが、脱工業化時代の潜在的な技術を探す際に、有機農業が、とりわけ、注目に値する理由だ。もちろん、その基本以上のことでは、優先リストは異なる。例えば、どちらか、ひとつを選ぶことが必要になるとき、薬草では直せない病気を治療する能力よりも、書物を印刷する能力の方がいくぶん重要となるのではないだろうか。

6 その技術でどれだけの幅の人間のニーズを満たせるのか

 いくつかの技術はごく狭いニーズを満たし、ある技術は幅広いニーズを満たす。例えば、レンズ研磨技術はレンズを作れてもそれ以外は作れないが、有機農業は、食料、ハーブ薬剤、燃料、潤滑剤用の油脂作物、クラフトや小規模な産業用の原材料と眼がくらむほどのものを産み出すために使える。レンズや農作物だけに着目すれば、いずれの技術も価値を持つが、資源が不足するときには、さらに別の優先度も考慮されるだろう。

 つつましいエネルギー供給と限られた資源の未来において適切になる技術や文化的、芸術的、そして、スピリチュアルな伝統は、保存されるべきリストのトップに属する。アイルランドの聖職者によって保存された古典の詩や哲学から、中世初期の創造的なマインドが、多くのインスピレーションを引き出したように、来るべき数十年先、数百年先にわたって継承される文化遺産のうえに、私たちの後継者となる社会は構築されるであろう(1-5)

 ここから導かれる結論は、いま最も重要なことだと私たちが思い込んでいる技術進歩は、未来の世代からはさして評価されないであろうということだ。20世紀の最大の科学の成果を人に問いかけてみるがいい。アポロの月面着陸やコンピューターの発明、遺伝子コードの発見といった回答が返ってこよう。けれども、未来への遺産として何を残すべきかという過去の判断は概して良いものではなかったし、おそらく私たちも違わない。

 例えば、中世には、スコラ哲学が、人間精神の最高の成果だと考えられる一方で、ゴシックの大聖堂やジーン・ギンペルが著作『中世の機械』で時系的に記録した技術進歩、さらに、その後に議会政治や陪審裁判制度へと発展した英国の封建法は、ささいな事だと考えられていた。

 今日では、少数の保守的なカトリックの大学以外、誰もスコラ哲学等には関心を払おうとはしない。その一方で、ゴシック建築は、いまも空間や光のあり方を考えるうえで重要だし、私たちを取り囲む機械類のほぼ半分は、時計や風車の発明者から発展した法則によって動いている。また、サクソン族は誰が犯罪を犯したのかを決めるため、グループで議論するという奇妙な慣習を持っていた。これをノルマン王は借用した。多くの国々の政治や法制度は、これに由来している(2-5)

■逆説の未来史への教訓~千年先の未来は有機農業を評価する

 言いかえれば、文化的な業績の長期的な評価は、未来が下すということだ。けれども、推測はしてみたい。今から、千年、二千年、あるいは、一万年後の未来の人々が20世紀をふり返り、その業績について語るとき、そのリストのトップには、月面着陸もコンピューターも、二重らせんもあがらず、政治的・文化的な物事はさらにそうであろう。もし、私が正しければ、それは、ずっとつつましく、けれども、ずっと重要なものとなるであろう。そう、有機農業だ(2-5)

【引用文献】
(1) John Michael Greer, The Long Descent: A User's Guide to the End of the Industrial Age, New Society Publishers, 2008.
(2) John Michael Greer, The Ecotechnic Future: Envisioning a Post-Peak World, New Society Publishers, 2009.
(3) John Michael Greer, The Wealth of Nature: Economics as if Survival Mattered, New Society Publishers,2011.
(4)ウィキペディア
(5)壺齋散人(引地博信)「壺齋閑話」より
(6) Nakamura Toshimi『エールスクエア』アイルランドの歴史より

シェリーの画像はウィキペディアから
ラムセスの像はウィキペディアから
ルカーチの写真はこのサイトから


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