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お仕事(精神科看護)日記

精神科看護歴20年以上が経過しました。
なのに、なぜか現在訪問看護に在籍中!

近況報告

2011年10月08日 | 日記
7月初め、階段から落ちてしまい、全治1ヶ月の捻挫をしてしまいました。
休日の出来事だったんですが、怪我をした瞬間、
「明日の仕事…」と頭を過ぎりましたねぇ。

骨折線は結局確認できなかったんですが、
受診した医者には、
「骨には傷が入っていると思うから、骨折と思って扱って。」
と受診するたびに言い続けられました。

今はもう走れるほどに治っています。


ところが、この怪我から数日後。
友人の車に乗せてもらっていたら、
トラックに後ろから追突されてしまったんです。
幸い、友人も私も大きな怪我には至りませんでした。


なんだか私自身が疫病神にでもなった気がして、
これはもう、お祓いしてもらうしかないだろう、ということで
7月末、友人と一緒に近くの大社に行き、厄払いをしていただきました。


怪我の間、病棟には多大な迷惑をかけてしまい、
仕事は休まず出勤させてもらったんですが、
詰所でコロのついた椅子に座って電話当番をする毎日。
それでもいいから、と出勤することをOKしてくれた課長にも、
そんな私のフォローをたくさんしてくれたスタッフにも
大感謝の1ヶ月でした。


ちなみに、階段の1番上から落ちたため、
いまだに階段の降り口に立つと、一瞬躊躇してしまいますねぇ。
車の運転も、トラックとすれ違ったり、後続にこられると怖いですね。
運転していた友人は、遠くへの運転をしなくなりました。
怪我も、事故も、
その後の生活に確実に影響を及ぼすのだと実感しています。


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被災地

2011年04月20日 | 日記
大きな災害から1ヶ月以上が経過しました。

連日、地震・津波による被害状況をTVで見ながら、
結局、自分にできたことは、
自分の生活をきちんと送ることだけだったように思います。

私の生息地域も海に面した地域です。
勤務病院は市内を流れる川の河口間近にあり、
津波を受ければ真っ先に被害の及ぶ場所でもあります。
もしもの場合はどうしたらいいんだろう…。
そんな会話が患者さんとも日常の中で増えました。
そういうことを考えるのも、今自分にできることの1つであろうと思います。

nursmanさんが、地震当日、
病院での避難ドキュメントを紹介されています。
避難訓練と現実避難の違いなど、医療者には読んでおく価値ありと思います。
ぜひ、ご一読を。


ところで。
ここ最近、
このブログに足を運んでくださっている方が少しずつ増えており、
何ゆえ?!と驚いているところです。
もしかすると、その中には被災地の方もいらっしゃるのでは?と思うと、
やはり、私も何かしら無関係ではないのかも知れない、と思う今日この頃。


皆様が1日のうちわずかでもいいので、笑顔になれる時間がありますように。



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運命って?

2010年12月30日 | 日記
今月半ば、Rくんが交通事故で亡くなりました。
彼の死を知ったのは昼休憩中、
ニュースを見ていたデイケア時代の同僚からの連絡でした。

彼は、私が精神科デイケア勤務時代の通所メンバーで、
私の精神科看護への考え方に大きく影響を与えた人でした。


当時、私は精神科看護についていろいろと考えることが多くなっていました。
精神科デイケアに勤務したことをきっかけに、
病棟勤務していた時とは違う何かを感じており、
でも、それをきちんと言葉にすることができず、
でも、今までの私の考えていることには違和感を感じている、
そんな日々を送っていました。

Rくんはすでに社会復帰を果たし、仕事に就いていました。
3ヶ月に1回受診を兼ねてデイケアに顔を出しては
スタッフやメンバーとしゃべって、息抜きをして帰って行きました。
なので、彼に会うのは年に数回でした。


デイケアで心理教育に取り組んでいたある日、
いつものようにひょっこりと彼が現れました。
ふと、私は彼に質問をしたのです。
『ねぇ、Rくんはなんで2度と入院しなくてすんでるの?』

ちなみに、彼は隔離室で1ヶ月混乱を極め、その後安定し退院したのですが、
再入院することなく数年経過していました。
そして、デイケア→バイト→パート勤務→就職(正社員)と前進していました。
デイケアには入院を繰り返すメンバーもいましたし、
デイケアから一歩出ることができないメンバーも多くいました。
だから、私にとってもお手本である彼に、聞いてみたかったのです。

すると、彼は言いました。
「chunkさんたち病院の人が、オレらを治すんじゃないんよ。
 オレらが自分で病気を治すんよ。
 オレら精神科だけに限らず病気を持ってる人間も、病院の医者や看護師も
 そこんところを勘違いしちゃダメなんよ。」
と言ったのです。

面食らっている私に、さらに彼はこう続けました。
「病気になったのはオレら自身のせいではないと思ってるよ。
 でもねぇ、病気になってしまったからには、
 自分の病気をコントロールしなきゃいけないし、
 自分の病気に責任を持たなきゃいけないんだよ。
 病院の医者や看護師はその治し方を知っている専門家なんだから、
 その知識をオレらが教えてもらって、自己コントロールするべきなんよ。」

彼の言葉は、衝撃でした。
本当に鳥肌が立つほど感動したし、嬉しかったし、
彼が言うところの勘違いをしていた自分がいたことも事実で、
まさに私が悩んでいたことの120%の答えでした。


彼の言葉は今も私の看護を考えるときの基本です。


2ヶ月前の10月、市内の本屋で偶然彼に出会いました。
彼はヘルパーの資格を取るために頑張っている真っ最中でした。
さらには介護福祉士の資格を取りたいと話してくれたのです。

さらにさかのぼること半年前のこと。
私がデイケアを離れてからも時々病棟に顔を見せに来てくれていた彼が、
「ちょっと目指してみようと思うことができてね。
 今は内緒。
 ちゃんと形になったら報告するから。
 でもねぇ、それはあんたの言葉がきっかけなんだよね。」
と、照れながら話してくれました。


私が彼に何を言ったのかも今となってはわかりませんが、
その目指していたものが何だったのかも分かり、応援していた矢先の訃報でした。
そして、彼が見据えた未来は、
『介護施設職員』と報道されたTVの情報で
形になりつつあったのだということも知ったのです。

本当に、本当に残念でなりません。
そして、もうあの人懐っこい彼に会えないことが寂しくてなりません。

彼は私に大きな影響を与えてくれた人です。


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今年は

2010年01月01日 | 日記
病棟に異動になり、早3ヶ月。
10年ぶりに勤務した内科病棟は、ずいぶん様変わりした部分と、
当時とあまり変わらない部分とがありました。
でも、何かと「えぇっ」と驚くことが多く、
気分はもう『浦島太郎』でしたよ。えぇ…


10年前、私は今の病棟で一スタッフとして勤務していました。
当時勤務していたスタッフは、
何事にも「とりあえずやってみようよ」の精神の持ち主が集まっていました。

「田舎にいたって、個人病院の看護師だって、
 ちゃんとアンテナを高く広げることで、情報をキャッチすることはできるし、
 自分たちの看護の質は、いくらでも向上できる。」

そのためには、
「とりあえずやってみようよ」の精神は必要だったんですよね。
看護雑誌や研修会で新しい情報を仕入れては検討し、取り組んでみる。
やってみなきゃ上手くいくかどうかはわからない。
上手くいかなきゃ、そこからまた考えればいい。

そんな思考を持つ先輩たちと一緒に働く毎日は、
業務に追われて大変ではあったけれど、
ちゃんと看護をしていた日々でもあり、楽しかったなぁと思い出します。


私が大いに感化された先輩たちの大半は、現在病棟3役になっています。
(うちの看護部は各病棟に、看護課長・係長・主任の3役がいます。)

そして今回、私は主任として病棟に戻りました。
10年経っただけ、と思っていたのですが、
スタッフの半分は私より年下となっていました
そして、
「とりあえずやってみよう」というスタッフは1人もいなくなっていました。

毎日、業務をこなすことが最優先で、
業務を手早くこなせる人が優秀な看護師であるかのような風土があり、
個々それぞれが個人プレーのような仕事ぶりを発揮して、
チームワークなんて言葉とは無縁さを感じざるを得ない雰囲気が
今の病棟にはあります。

でも、ほんの少し前、
ある看護雑誌に『地を這うようなすごい実践』と題して、
病棟で行った看護実践レポートが紹介されました。
この記事を読んでから病棟入りしたので、
今の病棟はすごいっと評価していたんですけどねぇ…。

私がまだ馴染めないだけなのかも知れません。
でも、看護に一生懸命取り組んだ、あの面白さを覚えているだけに、
その面白さをまだ感じれないことがちょっと寂しいです。
スタッフ1人1人が優秀なのは認めているんですが、
きっと、私が求めているのは精神論なんでしょうけどねぇ…。


看護の面白さ、もっと感じて仕事したいなぁ。。。
そのためにも周りのスタッフを巻き込みながら、
あきらめず地道にやっていこうと思います。


ということで、
今年もどうぞよろしくお願いいたします

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5/20・21 東京1泊

2009年05月24日 | 日記
新潟を後にし、一路東京へ。

宿泊先は、品川プリンスホテル。
予想以上のホテル規模の大きさに、ちょっと尻込みしてしまいました。。。


ホテル到着後、1人ホテル内をウロウロ。
でも、時間も遅かったため、ほとんどの施設が終了していましたが、
よしもとの劇場があると知り、入り口まで覗きに行ってみました。
入り口から、お笑い好きなNちゃんに電話。
すると、中から1人の芸人さんが出てきました。
私の真横をすれ違って行ったのは、池乃めだか氏でした


この夜の出来事は、この1点のみ。
あとは部屋に戻り、おとなしくTVを見て寝ました。


翌日、品川駅周辺でウロウロして過ごした後、羽田空港へ。
帰路は、大阪・伊丹経由で帰ることになっていたんですが、
ここで、予想外の大ハプニング


羽田から伊丹空港まで飛んだ後、次の出発までの時間を過ごしていました。
ふと、ANAの掲示板を見ると、
搭乗予定の便に『天候調査』の文字が。

ふっと嫌な感じが頭をよぎりました。

すると、出発予定時刻30分前にアナウンスが流れました。
「現在、現地の天候の調査中」だと。
自宅に電話すると、地元はすごい強風で、
市内で行われたイベントにも影響があったとのこと。
まさかねぇ。。。と言いつつ、アナウンスを待ちました。

しかし、出発予定時刻20分前には改めて案内をすると言ったきり、
アナウンスはなく、
そのまま、予定時刻になってしまいました。

すると、急遽欠航のアナウンスが響き渡り、
搭乗口で待っていた30人ほどの人たちの間でどよめきが広がりました。

帰るためには、JRの利用か、違う空港への乗り換え。
しかし、違う空港は本来帰りたい空港から車で3時間も離れた場所。
乗り換えても、地元には帰れません。
そして、ANAから提示されたJRの利用には、時間的余裕がありません。

すでに時刻は16時。

迷っている時間さえありませんでした。
とにかく、新大阪へ向かい、新幹線で帰るしか他ありません。
払い戻しを受け取り、慌てて荷物を受け取りに走り、
空港~新大阪駅行きのリムジンバスに乗り込みます。

まさか、リムジンバスの料金を取られるとは思いませんでしたが。。。

バスの中は、同じ手段を取った乗客が他にもたくさん乗っており、
皆、それぞれに携帯片手に連絡を取っています。

すると、1人の人が話す声が聞こえてきました。
『(JRの地方線も)停まっている』と…。

新幹線の時刻と、JR線の連絡を調べるため、
携帯で時刻を調べますが、ANAから提示された新幹線に乗れなければ
JR線が動いていても、目的地への最終便に乗れないことが分かりました。
しかし、乗車すべき新幹線の時刻は、刻一刻と迫っており、
リムジンバスが新大阪駅に到着したのは、新幹線発車5分前。
とうてい間に合いませんでした。

結局、1本遅いのぞみで帰ることに。

そして、広島発の地元に向かうバスに乗り換え、
どうにか帰ることができました。
空港に置きっぱなしの車を取りに行くため、父に空港まで送ってもらい、
結局、自宅に帰りついたのは、日付が変わる直前

本当に疲れ果てました。。。


飛行機に乗るなんて、人生4回目くらいなのに、
それで、こんな目に遭うとは思いもせず、でした。
やっぱり、人間地に足をつけていないといけないという教訓でしょうか(笑)


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