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お仕事(精神科看護)日記

精神科看護歴20年以上が経過しました。
なのに、なぜか現在訪問看護に在籍中!

持つべきものは

2008年03月16日 | 精神科看護
先週の話になりますが。
『夜の主任会』がありました。
昼間、正式な『主任会』が行われた夜、毎度飲み会をするわけですが、
その夜の会に参加してきました。


うちは、1つの病棟に、看護課長・病棟係長・主任の3役がいます。
その主任が数回/年ほど集まり、
各自病棟での1年間の取り組みについて話し合い、
主任同士の横のつながりを持つようにしています。

私は現在リハビリ部所属のため、この『主任会』には出席していませんが、
今後、精神科デイケアと重度認知症デイケアに関して、
主任会でローテーションすることが病院の方針で決定しているため、
いずれ私も看護部(病棟勤務)に戻ることになります。
なので、互いの情報交換のため、夜の会だけは継続参加しています。

で、私はそのローテーション第1号になります。
そのため、主任会メンバーにはまだデイケア経験者がおらず、
勤務年数が長くなればなるほど話が合わなくなっているのも事実で、
何となく気が向かないままの参加となりました


参加すると案の定、話題は昼間の『主任会』の延長になり、
話についていけません
何となく引き気味な気分で黙々と食べていたところ、
そのうち話題は精神科デイケアのことに。


今年度、私の勝手な目標ではあったんですが、
「今年は、院内の職員に対して営業をしよう
と言い続け、
折に触れては院内で精デイの今年度の取り組みを紹介してきました。

その取り組みについてが話題となり、主任たちから
「あんた、よぉ、頑張っとるじゃん
との言葉をもらうことができたのです。


営業をすると言いながらも、
じゃあ、どれくらい精デイの取り組みが伝わったのかも分からずにいたため、
この言葉は、本当に嬉しい言葉でした

私が精デイに異動が決まった際、主任たちが一斉に言った言葉が、
「絶対、精デイだけは行きたくない」でした。
えぇ、もちろん私もそう思ってましたし

しかし、この日主任たちが言った言葉は、
「大変そうだから行きたくないのは変わらないんだけど、
 でも、行ってみてもいいかなぁと思えるようになった」
でした。
この1年半、手探りながらも何とかやってきたことへの、
何よりの評価の言葉でした


そして、地域ケアを目指す必要性も、主任それぞれが感じていることも分かり、
明日への元気をもらえたひとときでした

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思い切り

2008年03月02日 | 日記
珍しく部屋の片づけをしました。
その途中、1通の手紙が出てきました。
それは、20代の終わりに付き合った彼氏の親から送りつけられた手紙でした。


当時、遠距離恋愛をしていました。
お互いに結婚も考えていましたし、
一緒に暮らすようになるのも、そう遠くないと感じていました。

ところが、案の定、親が大反対。
両親にしてみれば、反対する理由はいろいろあったんでしょうね。
それでも、特に強く反対していた母の言葉にひどく傷つき、
やっと立ち直ったと思ったところに、
まだ見ぬ相手の親から送りつけられた、反対の手紙。
立ち直ろうにも、立ち直れない大打撃でした。

後に聞いたのですが、
相手の親の反対理由の1つは、知的障害を持つ私の弟の存在でした。


その後、
私の家族を受け入れてはくれない人たちと、家族にはなれない。
そう判断し、私から別れを告げました。

もちろん、私が別れを決断したのはそれだけではありませんでした。
住所を調べられ、そんな手紙をいきなりよこすような相手の親への怒り、
その親に、抵抗すらできなかった彼自身への不信感、
私の味方になるどころか、敵にしか感じられなかった両親への恨み、
そして、
そうした彼らへの負の感情で一杯になってしまった私自身への嫌悪感…。
前向きな感情を抱けなくなったことも、決断の理由でした。

そして、
結婚は、当事者だけの問題ではないことを痛感させられました。


そんな当時の思いを、一気に思い出させるこの手紙を、
どうしても捨てることができませんでした。
これまでも、引っ越しや片付けのたび、目にする機会はあったのですが、
それでも、やはり捨てることができずにいました。


ところが、今日久しぶりに読んでみると、
不思議と怒りではなく、
「そんなこともあったなぁ」という思いしかありませんでした。

私が、家族を捨てられなかったように、
彼もまた、家族を捨てられなかったんですよね。


当時、私の上司だった課長が、このことを話したとき、
決して相手を恨んではいけない、と言いました。
醜い感情に支配された人間は、醜い人生を歩むことになると。

障害者と共に暮らす環境に身を置いたことのない人にとって、
障害者のいる環境は、想像し得ない。
だからこそ、知らないことに対して忌み嫌うのだと。
それは、誰が悪いわけでもなく、
そういう環境の中でしか生きてこれなかっただけ。
何かのきっかけで、知ることができれば、その人自身変わる可能性はある。
だから、彼の親は障害者を知らないだけ。
決して、恨んではいけないと諭されました。

この言葉は、当時、辛いばかりで
やり場のない感情を抱えて、日々泣いていた私にとって、
本当に温かい言葉でした。


精神の病を持つ人たちについても、きっと同じだと思うんです。
知らないことは罪ではありません。
だけど、知ってもらう機会がなければ、知ることもできません。
そんな機会を作りたいなぁと思い、ここで書き続けています。


これまで捨てられなかった手紙。
今日、やっとシュレッダーにかけることができました。
私にとって、大きな一歩です

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