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今回の野毛飲ん兵衛ラリーは来年の3月31日までという長期間の開催である。ラリーを開始した9月頃には皆さん、一斉にハシゴ酒に繰り出したようで、パスポートを片手に店を物色する酔客を大勢見かけたものだが、最近はどうなっているのだろうか。 状況視察を兼ねてラリーに参加してきた。 今回入手したパスポートは、7NG(チケット7枚)が綴られた特別仕様。通常より1枚多いプレミアム版である。1NGの店なら7軒ハシゴができるわけだ。 ![]() スタートは「KONISHI」。 新参のバーと思われるが、ここは野毛の老舗レストラン「小西」の流れを汲むダイニングバーである。「小西」のルーツは終戦直後の野毛ヤミ市での雑炊屋というから、ここは60年以上の歴史を誇る店なのだ。 私は以前、ヤミ市の歴史を取材したことがある。そのとき、元露天商から聞いた話。 桜木町駅前にヤミ市が並び始めたのは、終戦の年だったかな。いろんなものを売る店、いや店なんて言えねえか、屋根も壁もない路上販売がたくさん出ていた。 市民が群がったのは、やっぱ食べ物を売るとこだ。 料理? まともな食いもんを出すところもあったけどな、今みたいに食材が何でも揃うなんて時代じゃぁなかったからよぅ、なかには進駐軍から手に入れた兵隊の残飯をぶっこんだ雑炊を食わせる露天もあったんだぜ。 残飯ったて、おめぇ、お嬢さん方がきれいに食べ残したもんじゃねぇぞ。むさくるしい兵隊の残りもんだ。しかも、入っているのは食い物だけじゃねぇ。タバコの吸殻やガムなんかが混じっているから、そりゃぁ大変だった。ザルでそんな異物をすくい取って食わしていたんだぜ。 あの当時は、こういうところでなければ食べられなかったのさ。それだって旨かったもんだ。そんなこと、おめぇたち知らねぇだろ。 私は生ビールを飲みながら、野毛のそんな過去を思い出していた。 このヤミ市は次第に大きくなり、やがて通行に支障をきたすようになる。衛生的にも問題が生じ、これらをまとめて別な場所に移転させなければならなくなった。 当時の市役所では、そんな厄介な作業、今風に言えば駅前再開発をできるわけがなかった。だが、それを任せた男がいた。肥後盛造という親分だった。(その辺の事情については過去記事を参照してください) ![]() ラリー2軒目は「玉ちゃん亭」。 店名の由来は、ご主人の名前、玉城だという。その名前からも分かるとおり、沖縄料理の店である。 ![]() そこでいただいたのは、泡盛とゴーヤーサンドイッチ。このサンドがバカウマだった。 ![]() 3軒目は「八十八」。 以前はもっと関内寄りにあったのだが、いつだったかこの場所に移転してきたのだ。 この店には前回のラリーの際に初めて入った。人当たりの良いご主人、そして、お店を手伝う小学生のお嬢さんと、なかなかいい感じのお店だったのである。もちろん料理も申し分なかった。 で、今回も入店。時間が遅かったせいか、店にはご主人が一人だけだった。 ![]() ビールはキリンの秋味。専用のビアジョッキで飲ませてくれる。焼酎のウーロン茶割りも、このジョッキだ。 ![]() ツマミは、なんと2種類も! 絶妙なポテトサラダに鯵の南蛮漬け。うますぎてもう1本ビールを注文しそうになるが、まだ先が長いのでグッとこらえる。 そういえば、ここのランチも美味しかったなぁ…。 そのことをご主人に伝えると、今はランチをやっていないとのこと。残念だ。 ![]() 4軒目は定番の「村田屋」。 むかしは良く通った店である。“飲みに”ではなく、“ランチに”。 ![]() ここも1NGで日本酒1合に煮物が2品。 ![]() そろそろ酩酊状態になりつつある5軒目。「ホッピー仙人」に突入。 本当は「はる美」に入りたかったんだけどね、混んでいたので「ホッピー仙人」へ。 ここは都橋商店街という、大岡川に張り出した雑居ビルにある。 最近はだいぶ変わってしまったが、10年ほど前までは、このビルの1階には靴屋さんがたくさん入居していた。2階には今と同じように小さな飲食店が並んでいた。 この不思議な商店街ができたキッカケは、東京オリンピックだった。桜木町駅前のヤミ市が野毛マーケットにまとめられ、昭和30年代にはテント張りの露天が野毛本通りにズラリと並ぶようになっていたため、これでは横浜の景観を損ねるし、外国人が見たらみっともないということで、それらを収容したのが都橋商店街だったのである。 この建物にはかなりの店舗が入居しているのだが、昭和20年代から40年代まで、桜木町駅前にはこれよりもっと大規模な雑居ビルがあった。 「桜木町デパート」。 名前はデパートであるが、いわゆる今で言うところの百貨店ではない。一部、荒物屋みたいなものが入っていたものの、大半が飲食店という2階建ての雑居ビルだった。総店舗数は100軒以上。毎日ハシゴ酒したって、全店制覇するには1年くらいかかる飲兵衛の殿堂であったという。(まだ未成年だった私は、残念ながら入ったことがない) このデパートに店を構えていた飲み屋さん、もとをただせば桜川沿いに並んでいたバラック小屋の酒場である。通称「カストリ横丁」といった。カストリ焼酎を飲ませるところから、このような名前で呼ばれるようになったようだが、その近くには鯨肉を食わせる「クジラ横丁」なんていう路地もあった。 昭和27年、桜川を埋め立てて道路を造ることになり、横丁の酒場は立ち退きを迫られた。その収容先として建設されたのが「桜木町デパート」だったのである。毎晩、サラリーマンで賑わっていたという。 ちなみに埋め立てられた川は桜川新道となり、今では「紅葉橋」とか「雪見橋」などバス停にその名残をとどめてる。 さて、その「桜木町デパート」も解体される日がやってくる。今度は派大岡川を埋め立てたうえで桜川新道を関内駅方面へ延伸する計画が持ち上がってきたのだ。 昭和39年、派大岡川の中に橋脚を建てて根岸線が開通し、桜木町から磯子方面への足が確保されたわけだが、その線路に沿うような形で新しい道路を建設するということになり、その障害物となったのが「桜木町デパート」だった。 その結果、昭和47年ごろ建物は解体撤去され、中に入っていた酒場は市内各地へ散った。そのうちの40数軒は長者町8丁目に新しく建築した「エイトセンター」へ入居。さらに一部は都橋商店街にも移転したと聞く。 ![]() 6軒目。「バジル」。 いつもは混んでいるのだが、このときは幸運にも3人入れるスペースがあり、即入店。 生ハムとワインで乾杯。酔いと疲れで立ってるのがツライ。 本来のパスポートならば、ここでお開きとなるのだが、我々の持っているのは野毛の重鎮から頂いた特別仕様。もう1枚、おまけがついているのだよ。ラッキー。 ![]() で、7軒目。「とも」。 ここは普通でもスゴイのに、このパスポートの威力だろうか、ツマミが2品も付いてきた。 まずは金針菜の塩炒め。百合のツボミだ。中華街ではよく使われている素材だが、野毛の酒場でも出て来るんだねぇ。 ![]() 続いてマテ貝焼き。こちらは3人なのに4個も出てきた! この日は7軒のハシゴ酒であった。このあとは「三陽」のラーメンで〆。久しぶりに堪能した野毛の町だった。 ところで、今回の特別仕様パスポートを提供してくださった重鎮によると、クジラ料理の試食会があったそうだ。そのときのメニューを見せてもらったら、各店で開発したクジラ料理が並んでおり、その中に、環境保護団体が怒り狂うようなとんでもないメニューがあった。正確な名前は忘れてしまったが、こんなことが書いてあった。 “グリーンピースも一緒に食べちゃおう” クジラの竜田揚げ グリーンピース添え ことの是非は何とも言えないが、野毛でクジラ料理を出そうという気持ちは分からないでもない。終戦直後にはクジラ横丁なる路地があって、庶民にクジラを提供していたということもあるし、そもそも横浜が開港するキッカケとなったのは、アメリカが捕鯨のための拠点を求めて開国を迫ってきたことにあるのだから。 まあ、それにしてもあの書き方は、ちょっとね…。冗談が行き過ぎているかもしれない。 ![]() 「ハマる横浜中華街」情報はコチラ⇒ ![]() |
初めまして
横浜育ちのyyです
今日の私のブログは沖縄です
宜しかったらご覧下さい。。yy
7軒+三陽です。
きつかったぁ。
◇yyさん
沖縄いいですね。
桜木町デパートはうっすらと記憶があるようなないような…
なんにせよ、食べ過ぎと飲み過ぎにはご用心♪
私も記憶が定かではありません。
建物を見ているのですが、その形を思い出せないのです。
飲みすぎは、たまにですので…