中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

B級グルメの食べ過ぎに注意 その12 お粥

2006年11月06日 | B級グルメの食べ過ぎに注意

 20年ほど前の冬。ボクたちのジャズバンドは、宝川温泉で合宿を行った。バス停から宿までは除雪していないので、交代でラッセルして行かねばならず、楽器を抱えた身にはひどく厳しかったことを憶えている。

 当時の合宿というのは、ほとんど遊びのようなもので、毎日、朝から晩まで温泉に浸かり、あとは酒三昧だった。二日目の夜、露天風呂で酒を飲んでいると、金髪碧眼の美女が入ってきた。北欧の人らしく、開けっぴろげで堂々としており、ボクたちは端の方でコソコソと眺めるしかなかった。

 しばらくすると、彼女は火照った身体を鎮めるため、露天風呂の縁の岩場で横座りになった。雪明りに照らされたその姿は、まるで人魚姫のようであった。おかげでボクたちは、湯船から出るに出られなくなり、フラフラになってしまったのが情けなかった。

 入浴後の宴会は、鍋料理が待っていた。一同、人魚姫の話題で盛り上がり、3升ほどの酒が空になった。そして、しこたま呑んだあとは、鍋に残った汁を使って定番の「おじや」を作ることに…。通常ならばY先輩とボクが鍋奉行になるのだが、この日は、うっかり者のエヌ氏に任せてしまったのがまずかった。

 一口食べて、全員がいきなり吐き出してしまった。なんと、ソース味だったのである。本来、ソースを使うべきものに醤油を使っても、あまり差し障りはない。しかし、その逆はひどいことになる。せっかくの「おじや」が台無しになってしまった。あれ以降ボクたちは、エヌ氏とふぐチリを囲むたびにソースを隠すようになった。

 ところで、「おじや」と似たものに「雑炊」と「お粥」がある。この三種の違いは何か。簡単に言えばこうだ。

 「お粥」は大量の水で米から炊いたご飯、「おじや」は鍋料理の残りにご飯を入れてやわらかくしたもの、そして「雑炊」は出し汁にご飯や他の食材を入れて作るもの、ということができる。つまり、「おじや」は残り物だが、「雑炊」はメニューにも載る、まっとうな料理なのである。

 しかし、そんな雑炊にも、残り物以下の食べ物という不遇な時代があった。
 ときは昭和21年。戦後の復旧も始まり、国電桜木町駅前に活気が戻ってきた頃だ。広場には炊出しをする「露店」が、いくつも出ていた。売られている商品は、いろいろなものを煮込んだ雑炊だった。なかには、駐留軍から出た残飯をぶち込む店もあった。

 かつて、闇市をやっていた人の話を聞いたことがある。残飯の中にはタバコの吸殻やチューインガムなどが入っていたそうだ。それらをザルですくい出し、雑炊を作っていたのだ。この雑炊屋から始まった有名レストランも多いという。

 ここからは余談であるが、やがて駐留軍から、「駅前の露店が汚くて邪魔だ」とのクレームがくるようになった。この問題を解決したのが、露天商「飴徳二代目・肥後盛造親分」という男だった。その年の秋、野毛坂に自身の露店を出すと、次々と出店する者が現れた。駅前の露店も移動し、半月もしないうちに、あらゆる品物が出揃った。街角には「Japanese Only」という看板も出た。野毛坂マーケットの始まりである。

 これが野毛本通の露店街へと発展していく。桜川沿いには、棟割長屋のような「カストリ横丁」が出現した。カストリ酒を呑ませる酒場の集合体である。少し奥まった所には「クジラ横丁」もできた。

 しかし、野毛・桜木町周辺の雑多な活気は、いつまでも続かない。やがて、「邪魔だ」、「見苦しい」、「不衛生だ」といった声が高まり、移転を余儀なくされていく。酒場や露店を収容したのが「桜木町デパート」だった。旧中区役所横にあった伝説的な雑居ビルである。
 30年ほど前、その桜木町デパートも解体撤去された。現在、跡地は駅前駐車場や関内方面へ向かう桜川新道の一部となっている。

【中華街のお粥】
謝甜記
安記
菜香
馬さんの店・龍仙
中華楼


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