中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

冷し中華の季節

2007年05月24日 | 冷やし中華
 
 季節到来!! 店頭に「冷し中華」の貼紙が目立つようになってきました。暑い日には、やっぱりコレですね。
 ところで、冷し系の麺類には様々な種類があり、ざる蕎麦、韓国冷麺、つけ麺などは1年中食べられるのに対し、この冷し中華はなぜ夏場しか食べられないのでしょうか? (ヒヤムギ、そうめんも夏場だけだろうって?)
 まあ、今回はその話はなかったことにして、焦点を冷し中華に絞りましょう。

 そもそも、冷し中華というものは、いつ、どこでできたのでしょうか。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に、その発祥の由来について、こんなことが書いてありました。

 解釈には諸説ある。
(1)仙台市の龍亭では、冷し中華を涼拌麺、リャンパンミェンと呼んでいるが、それが誕生したのは、1937年(昭和12年)のこととされる。ただし1937年当時の龍亭の冷し中華は、現代の冷やし中華とは少々違い、湯がいたキャベツ・塩もみきゅうり・スライスしたにんじん・チャーシュー・トマトを具として上に乗せた物だった。
 ちなみに「全日本冷し中華愛好会」(以下、「全冷中」と略す)は仙台の龍亭を発祥と認定している。
(2)他方、東京神保町の揚子江菜館では、二代目オーナーの周子儀が、上海で食べられているもやしと細切りの肉を冷した麺にのせて食べる料理とざるそばから着想を得たとされる。
(3)また、京都の「中華のサカイ」は創業時(1939年)より、ゴマだれを使った「冷麺」(関西での「冷し中華」の呼称)をメニューに載せており、関西では、関東以北の「冷し中華」とは、異なり、独自に発展したとする説もある。
(4)戦後、寿がきやが心太(ところてん)のつゆ(三杯酢)を冷やしたラーメンに掛けたのが今のスープによる冷やし中華の発祥とする説もある。


 そのほかに、発祥の地は特定していませんが、夏場は熱い中華料理の売り上げが落ちてしまうので、夏でも売れる冷たい中華をということで開発された…そんな説もあります。
 どの店が最初だったのかはよく分かりませんが、「夏場の売り上げ減少対策」というのは、「なるほど」という気がします。おそらくこんな思いから、全国各地で自然に発生していったのではないでしょうか。
 そんな生い立ちを考えると、冷し中華というのは夏場しか作らない料理というのも納得。
 でも、これに対して問題提起したのが、前述の「全日本冷し中華愛好会」です。
 『冬にも冷し中華を食わせろ』
 『なぜ夏だけなんだ』
 冬季に冷し中華を食べられないことに憤慨した山下洋輔やタモリなどが「全冷中」を立ち上げたのが1975年。筒井康隆や奥成達などを交え、『夏場しか食べられないからいいのだ』とか『年間を通じて食べたい』とか、冷し中華を食べる時期について大論争が巻き起こりました。
 当時、わたくしは「どっちでもいいから早く決めてくれ」と思いながら激論を眺めていたのですが、最終決着を見ず、両論併記のような形で「全冷中」は4年後に解散したと記憶しています。

 そんなことを思い出しながら本日食べたのは、「新福記」の冷し中華。通常メニューではなく、ランチの一つとして出ていました。だからデザート、ザーサイがついて、さらに麺20%増量で600円!
 トッピングはキュウリ、錦糸玉子、チャーシュー、蒸し鶏といったメンバーで、オーソドックスなもの。タレは甘酢。(このタレに関しても、全冷中では「タレだ」「スープだ」といった論争をしていました)
 麺と皿は異常に冷えていて、≪どうしてこんなにキンキンなの≫と感じましたが…。
 
↓これは食後のデザート。

 丸い粒がタピオカ。透明なトコロテンみたいなものはレモンゼリー、こげ茶のものは亀ゼリーです。これらが甘酸っぱい汁のなかに漂っていました。これは美味しかったですね。
 この店、意外とデザートがイケルかも。

【お店データ】
■屋号 新福記(香港麺粥専門店)
■住所 中区山下町139-1 第2杉山ビル1F
■電話 045-212-0386

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