エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

ビデオテープ廃棄の記(2) ―絶叫歌人・福島泰樹

2018年03月07日 | 雑感


 “終活”、という、好きでない言葉のなかでずいぶんガラクタを始末した。その中には沢山のビデオテープもあった。

前のブログでは、関西のある高級料亭の女将の不正隠しの言動を記録したテープを取り上げた。

の女将の言動は、私の身近な人間とそっくりで、腹を抱えるほど笑えた傑作だったから録画したものだが、

自分でも決して趣味がいいとはいえないこのビデオは廃棄行きとなった。

そんななか、家内の友達、S子さんがくれた、福島泰樹のデビュー25周年記念コンサートのビデオが

見つかった。 長いあいだ忘れていた。 当然これは廃棄の対象ではない。

 

 “福島泰樹”: 私より2歳下、1960年代の大学紛争の早大闘争を経て「バリケード・1996年2月」で

デビューした人だ。

                                        


私と家内は25年ほど前、京都の居酒屋であった福島泰樹のライブに行った。

彼と、4人の仲間、名前は忘れたが、家内が名付けたドラムの“雷さん”、尺八奏者の“虚無僧さん”、

ピアノの恰好いい男、帽子をかぶったギター・ハモニカの・・・・、すべて名前は憶えていない。

彼らの演奏とともに福島泰樹だけが前に置いてあるコップから酒を飲みながら絶叫する。

“この人、毎回これだけ飲んで演奏して、将来どうなるのやろな”、そう思いながら

私もビールを飲みつつ ライブを楽しんだ。

 

音楽音痴の私だが、この破格の絶叫朗読は豪快で楽しかった。

彼は、中原中也とか、宮沢賢治などの優れた詩人の作品を自分の詩と織り交ぜ絶叫する。

私はそれまで彼についてなにも知らなかった。

こういう詩を作って独自の世界観を朗読のステージの中で繰り広げている人だということをこの時、初めて知った。

                 

                                        

たとえば、中原中也の場合。

中也の「雪の賦」、が先に出て、そして「汚れちまった悲しみに」がつづいて朗読される。

 

    汚れつちまつた悲しみは

    なにのぞむなくねがふなく

    汚れつちまつた悲しみは

    倦怠のうちに死を夢む   


そして、次に福島泰樹の「リボン」の短歌が出てくる。

   雪が降るリボン結んでいとけなくきみのおぐしに差してやるのだ

   憂愁に満ちた雪夜はかなしくもまた美しくも・・・・・・


中也も自分の詩も含めてすべて一つの作品として福島泰樹は朗読する。

人の作品を自分の作品に取り込めばふつう許されない。 ところが彼の場合そうではない。 

そのことが私にはきわめて新鮮だった。

中也も、宮沢賢治も福島自身も渾然一体となって、そして演奏者も聞いている者も渾然一体となってその世界に

陶酔する。 (陶酔するのは私ではなく家内、念のため)


というわけで、今回はこれまで。

次は、25年前のあのときに、ビデオテープとライブで聴いた宮沢賢治と福島泰樹の絶叫、そのあとさらに、

賢治について書く。

 


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