エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

 ネコソギバアサン

2017年05月21日 | 雑感

 

   2017年5月17日

 

 思い立ってここ一週間ほど庭の掃除をしている。

これまで私は、木は電動ノコと電動バリカン、雑草をとるのは電動草刈機でやるだけだった。ただそれだけでは

きれいにはならない。

雑草取りや枝払いはここ何十年もの間もっぱら家内がやってきた。

私の母は「H子さんはなめるようにきれいにしはる」といって家内を上手に使っていたが、実際、そのとおりだ。

彼女の性格もさることながら長年やっていたらそうなるのだろう。


 ところで今回わたしも一念発起、雑草取りに専念した。鎌を使って大きい雑草を、小さい雑草は手だけ、あるいは

小さい根ほり鎌を使って引き抜く、家内と同じやり方に変えた。

花鋏で金木犀の枝を切っていっても結構形はよくなる。切った草花はずいぶんたまった。

                    

ところで、家内が言うには“雑草をとったというが、上の葉っぱをちぎっただけで、土が見えてない。葉っぱの

ついてない長い茎があっちにもこっちにも目立って、これでは雑草取りとはいわない”のだそうだ。

たしかに一番目の写真の右の部分は彼女が除草したあとで、土の表面がでている。30年以上の熟練工と一緒に

されては困る。

 左側は砂利道だが、この部分がかなりあって、ここにネコソギという除草剤をまく。

昔はここも家内は除草していたのだが、そんな余裕はなくなった。“ネコソギ”という言葉は品がないからきらいだが、

ついつい安易に頼るようになった。

                       

 ここで一服、“この写真はネコソギオバサン休憩の図としようかと云ったら、

“年齢からいえば<ネコソギバアサン>でしょう?でも根こそぎってことば、なんだかこわいわねぇ・・・”と家内は云う。

                   

ところで、“雑草と云う草は存在しない”、という人がいる。

人間側として、なにか目的があって農作業をする場合には、“雑草”という部族はかならず存在すると思うのだが。

 


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