エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

子供の頃のこと(3)すいば

2016年10月05日 | 雑感

                                                                                                                             2016年10月5日

                                                                                        2015年5月21日記

 

家内に付き合って、B病院に行った。ここは私が学んだ小学校近くにあり、昔から、そして今でも私のテリトリーだ。

 私が小学生だったころは、ここはまだ島津源蔵(島津製作所の創立者)の別荘だった。

                   

 最初の写真は病院本館、その前の道路の右側は絶壁だ。ここまでが島津の別荘だった。

2枚目の写真が絶壁の下で、いま病院の第三駐車場になっている。

                  

 ここを左手に沿って登って行くと白幽子仙人(江戸時代、白隠禅師に内観の法を教えた)が住んでいたという洞穴、狸谷不動尊、“水飲み対陣”跡を経て比叡山頂に至る。

 60年以上前、私ら小学生はこのあたりを猿(ましら)のごとく走りまわって遊んでいた。

さて、いまは第三駐車場となっているこの広場が、われわれの“すいば”だった。

 ごく一般的な表現と最近まで思っていた“すいば”はネットで調べても載っていない。

われわれの造語だったかもしれない。

 私の理解では、広義では“好いた場所”、“秘密の場所”と云う意味、狭義には、“イタドリ、アケビ、沢蟹、カブトムシ、クワガタ、ブンブン、魚などがふんだんにとれる場所、他人に教えたくはない場所だ。

わたしに云わせれば、漁師が魚・貝類を獲る、猟師が鹿・猪を獲る、松茸・天然のマイタケなどが沢山採れる自分だけが知っている秘密の場所は“すいば”と呼ぶべきだ。

 

さて、駐車場の幅60メートルもないこの広場は、60年前には私らにとっては密林だった。道はほとんどない。向こうの崖の下のあたりに幅1m位の谷川ともいえないほどの細い流れがあった。遠く、比叡山系の山から発する清澄な流れだ。

 

夏になれば、この川に沢蟹が湧く。毎週日曜日になると、朝早くからバケツをもって獲りに行く。石をそっとのけると、カニがひっそりと身を縮めている。

ずいぶん獲ったと思っても、次の週にはまた沢山湧いている。

 

そして小川の左手、今の駐車場広場の密林はくぬぎ林で山からの水でじめじめしていた。

 ブンブン、カミキリ、クマガイ、ゲンジ(クワガタ)、ヘイタイゲンジ、カブトムシ、ボウズ(カブトムシの雌)などのすみかだ。

 ときには七色に光る玉虫もいた。

 藍色、赤、紫、緑の斑紋で着飾ったきれいな“みちしるべ”が我々の前を行ったり来たりして、道案内をしてくれる。

 めったにゲンジやカブトムシにはお目にかかれなかったが、たまに出くわすとどきどきしたものだ。

 

しかし、密林の奥までは怖くていけなかった。

 

30年ほど前に、娘と息子をつれて、「お父さんの“すいば”を教えてやろう」と、比叡山の方から下ってきたことがある。

その時、密林がとっぱらわれて今のような広場になっているのを見て茫然となった。

 

あれほど、私たちを怖がらせた密林は、たったこれだけのものか!

 

怖くて入って行けなかった密林の終点は、いまのB病院の崖、その上に島津源蔵の別荘があった。その位置関係が薄暗い密林の中に入ればわからなかった。

 というわけで、“今は昔”。Time never returns.

 

当時の元気溌剌の小学生は、いまや結構老人となった。なにかと、身体の不調が出てきて医者通いが多くなる。

 

そして、沢蟹やカブトムシをとりに行く代わりに、昔の“すいば”に出来た病院に常連として行くようになった。

 

ここに来ると、昔の仲間によく出会う。ぼんやり歩いていると、声をかけられる。一度離れた昔の仲間がテリトリーに帰ってくる。

 だから来た時はいつも、一応、仲間が来ていないか、ぐるっと病院内を一巡するくせがついた。


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