【ルーズベルト大統領に宛てた手紙 市丸中将の遺書】
https://youtu.be/SZn9LjB7mUM
セオドアではなくフランクリンです。大東亜戦争末期、硫黄島での戦いにて海軍司令官を務められた市丸中将(当時少将)が総員突撃の前に書かれたルーズベルトに宛てた手紙です。この書の和文の方を通信将校の村上大尉が腹に巻きつけ、英文の方を赤田邦夫中佐(二七航戦参謀)が身に付けました。戦闘終了後、日本兵遺体の所持品を確かめていた米兵がそれを本国に持ち帰り、現在はアナポリスにある海軍兵学校の博物館に展示されています。
日本の守備隊は陸軍が栗林忠道中将率いる1万3,586名、海軍が市丸利之助中将率いる7,347名、合計2万933名です。相手の米軍は、11万の大軍でした。
真紫真さんがこの映像を公開された時(2014/05/28)のコメントより。
「八紘一宇」はアジア植民地の解放を意味する
「八紘一宇」は、日本の初代天皇である神武天皇が建国の詔勅で述べた「八紘をおおいて宇と為さん(人類は みな同胞であり、天下を一つの家のようにする)」という言葉から生まれた標語だ。
同語は戦時中、近衛文麿内閣の下で掲げられた。その背景には、欧米の人種差別や植民地主義により、アジア諸国が大きな苦痛を受けていたことがある。日本はアジアの共存・共栄を目指す「大東亜共栄圏」を形成し、欧米の植民地支配を終わらせようとしていた。
「八紘一宇」の意味は「人類愛」「アジアの安全保障」
この認識は、決して日本の独りよがりなものではない。
歴史学者でカーディフ大学教授のデービット・ウィリアムズ氏も、本誌2014年6月号のインタビューの中で、「八紘一宇」は決して侵略を正当化するものではなかったと主張。この言葉は、理念としては「普遍的な人類愛」、外交的には「アジアの安全保障」として理解すべきだと述べた。
ウィリアム氏は第二次世界大戦について、「連合国がどんなに『日本は間違っていた』と言おうとも、日本の戦いが、アジアにおける欧米の植民地支配の幕を下ろさせた事実は、誰も否定できません」という。
実際、1919年の国際連盟のパリ会議で、日本は世界で初めて、国際会議の場で人種差別の撤廃を掲げた。「人類愛」は決して偽善ではなかった。
侵略を受けたのは日本だ
そもそも先の大戦で日本の開戦のきっかけを作ったのは、アメリカだ。アメリカは日本に対して、国家の生命線である、石油などのエネルギー源の禁輸を行うなどして、日本を開戦に追い込んだ。侵略行為を受けたのは日本だ。
条件反射的に「八紘一宇」を問題視する日本の風潮には再考が必要だ。(冨)
ここまでは、The Liberty Web マスコミが言わない次の日本よりからコピペさせて頂きました。
https://the-liberty.com/article.php?item_id=9338
三原じゅん子議員が2015年3月16日に行った質問と、麻生財務相、安部首相の答弁の全文は以下の通りだという事です。
ハムレットの水車小屋のブログより拝借しております。
https://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/948.html