【誕生日】
☆ジャン・ルノワール Jean Renoir (1894.9.15~1979.2.12)
印象派の画家オーギュスト・ルノワール の次男でフランス映画黄金期を支えた映画監督です。
ピエール・オーギュスト・ルノワールの次男としてパリのモンマルトルに生まれました。中等教育を終えてから1913年に
仏軍に入隊して第一次大戦で重傷を負い、その療養中に映画に出会い生涯の職業とすることを決意しました。
1924年にはピエール・シャンパーニュの協力を得て第一作『水の娘』で監督デビューを果たしました。この作品は父親と死別
した娘が困難を乗り越える物語でしたが、娘の見る夢のシーンで当時の芸術映画の主流と言われた前衛映画の影響を受けて
アルベルト・カヴァルカンティ並みの映画手法を取り入れていました。次いで1926年の『女優ナナ』では文学的自然主義と
絵画的印象主義の融合を実践した作品として高い評価を受けたのですが興行的に失敗したため大きな赤字を残してしまい、
その後はアンデルセン童話の『マッチ売りの少女』などの5本の商業映画を撮らざるを得ない状況に置かれました。
トーキー時代に入ってトーキーにおける映画のあり方を模索しながら数本の作品を撮っていますがプロデューサーとの衝突
などもあって自身の思う作品を撮れない不本意な日々が続きました。
1934年に独立プロを設立したマルセル・パニョルの支援を受けて『トニ』を監督、南フランスの自然風景を舞台にイタリアや
スペインからやって来た季節労働者たちが展開する純真素朴な心情・絶望・悲劇をロケ撮影による徹底したリアリズムで描き、
その後のイタリア映画界などに大きな影響を及ぼす力作となりました。
1936年にはゴーリキーの戯曲をフランス風にアレンジした『どん底』で、社会の底辺に落ちこぼれた人々の人生縮図を描き、
第一次大戦のドイツ軍の捕虜収容所を舞台に人道的立場から戦争を鋭く批判した反戦映画『大いなる幻影』、愛欲の結末の
おそろしさを描いた『獣人』などの良質な作品群を発表し続けました。
1939年の『ゲームの規則』を撮り終えた後、ナチス・ドイツの侵攻によりリスボン経由でアメリカに逃れてハリウッド入りし
フォックス社と契約を交わしましたが、自由に自身の思い描く作品を撮ることができず、アメリカ南部の移住農夫一家の貧しい
生活をヒューマン・タッチで描いた『南部の人』などの作品を残して1949年にインドに渡り、1951年の『河』でガンジス河の
美しい自然を父親ゆずりの色彩感覚で三姉妹の青春を綴りあげ、1953年にイタリアで芸人たちの生活を鮮やかな色彩で描いた
『黄金の馬車』を撮り上げてフランスに戻りました。
1954年にはルノワール最後の傑作といわれた『フレンチ・カンカン』を監督、ベル・エポック時代のモンマルトルの風俗画を
おおらかな色彩で描き切り、興行的にも大成功となりました。
しかしながら、絵画的な色彩撮影に没入したことから鋭いリアリズムが反比例するように欠落していき、本来の持味であった
深みある人生観が俗っぽくなってしまい、1959年の『草の上の昼食』も完全に期待はずれに終わってしまいました。
【主要監督作品】
1924年『水の娘』 La Fille de l'eau
1926年『女優ナナ』 Nana
1928年『マッチ売りの少女』 La Petite marchande d'allumettes
1932年『素晴らしき放浪者』 Boudu sauvé des eaux
1933年『ボヴァリィ夫人』 Madame Bovary
1935年『トニ』 Toni
1936年『ランジュ氏の犯罪』 Le crime de Monsieur Lange
1936年『どん底』 Les Bas-fonds
1936年『ピクニック』 Partie de campagne
1937年『大いなる幻影』 La Grande illusion
1938年『ラ・マルセイエーズ』 La Marseillaise
1938年『獣人』 La Bête humaine
1939年『ゲームの規則』 La Règle du jeu
1945年『南部の人』 The Southerner
1946年『小間使いの日記』 The Diary of a Chambermaid
1946年『浜辺の女』 The Woman on the Beach
1951年『河』 The River
1953年『黄金の馬車』 Le Carrosse d'or
1954年『フレンチ・カンカン』French Cancan
1956年『恋多き女』 Elena et les hommes
1959年『草の上の昼食』 Le Déjeuner sur l'herbe
1961年『捕えられた伍長』 Le Caporal épinglé
☆ジャック・ベッケル Jacques Becker (1906.9.15~1960.2.21)
繊細な感覚で描写の名人といわれ、1940~50年代に活躍したフランスの映画監督です。
パリで生まれ、リセ・コンセルドを卒業して蓄電池会社、汽船会社などに勤務した後、画家のポール・セザンヌの勧めで
ジャン・ルノワールと知り合い1931年から1938年までルノワールの代表作品の助監督をつとめました。
1942年に犯罪探偵映画『最後の切り札』を初監督し、興行的にも成功を収めました。第二次大戦の占領下で『赤い手グウピ』
『大騒ぎ』などを撮り、大戦後の1945年には『偽れる装い』は生粋のパリジャンらしくパリの街を背景に人々の生活と人々の
命をルノワール直伝のリアリズムによって描き上げました。
1947年からはベッケルの「パリ市井三部作」といわれる『幸福の設計』『七月のランデヴー』『エドワールとキャロリーヌ』を
次々と発表、簡潔なリアリズムによる巴里庶民風俗の神髄を繊細な感覚で描いた快作となり、この三部作によって描写の名人と
呼ばれるようになりました。
その後、1952年に渾然たる散文詩といえる『肉体の冠』を発表し、1954年にはフィルム・ノワールの最高傑作と称賛された
『現金に手を出すな』において老ギャングの悲哀をうたい上げました。
1960年には遺作となった『穴』を発表しました。サンテ監獄からの脱出劇なのですが、この手の作品は1957年に同系列の
ロベール・ブレッソン監督の秀作『抵抗』があったため残念ながらその後塵を拝する結果となってしまいました。
【主要監督作品】
1942年『最後の切り札』 Dernier Atout
1943年『赤い手グウピ』 Goupi mains rouges
1945年『偽れる装い』 Falbalas
1947年『幸福の設計』 Antoine et Antoinette
1949年『七月のランデヴー』 Rendez-vous de juillet
1951年『エドワールとキャロリーヌ』 Édouard et Caroline
1952年『肉体の冠』 Casque d'or
1954年『現金に手を出すな』 Touchez pas au grisbi
1957年『怪盗ルパン』 Les Aventures d'Arsène Lupin
1958年『モンパルナスの灯』 Les Amants de Montparnasse
1960年『穴』 Le Trou