映画音楽が先行し、主演がクラウディア・カルディナーレということで話題となったイタリア映画です。
監督はフランチェスコ・マゼリですが日本ではほとんど無名で、日本公開作品はこの他に『豊かなる成熟(1961)』の挿話だけなので無理もありません。
マッゼリは1953年、生え抜きのイタリアン・レアリスタであるチェーザレ・ザヴァティーニ総監督のオムニバス『巷の愛』の一編を監督、
またミケランジェロ・アントニオーニらの助監督をつとめています。
その後短編ドキュメンタリーなどを手掛けていたようですがわが国では公開されておりません。
1955年に『Gli Sbandati (逃亡者)』というレジスタンス映画で長編デビューし、『太陽の誘惑』は二作目になります。
映画のタイトルは『 I DELFINI 』で、直訳すれはイルカですが、上流階級の御曹司を意味するものです。
物語を簡単に紹介すると
イタリア貴族や資本家の二代目たちが高級車を乗り回し酒と好色におぼれていた。
ある夜にその中の一人が発作で倒れ、医師とその恋人が駆けつける。
医師の恋人であるフェドラ(カルディナーレ)は上流階級に興味を持っていた。
やがて主人公の二人もその世界に入り込んだものの、荒んだ世界に嫌気をさして去っていく。
といった内容。
自分は何の力もないのに親の地位と金にモノを云わせて思うがままに酒と女に遊び呆ける御曹司たち。
世の中の不条理と無気力な姿を冷静かつ細微に写実して進行します。
荒廃した上流社会の描写は、カメラを絞ってできる限り暗く撮影していて、未来もなく価値もない人間の暗部を連想させます。
逆にそんな世界から主人公の二人が夜明けに抜け出すラストシーンは明るい将来を予測させ、その対比が鮮やかです。
モノクロ作品ならではの強い陰影のタッチが社会の矛盾に対する憤りを反映するかのような力作でした。
ロベルト・ロセリーニ、ヴットリオ・デ・シーカで始まったイタリアンリアリズムは1953年ころから現実直視という初期の意気込みが軟化しましたが、その精神は新たな旗手のフェデリコ・フェリーニやミケランジェロ・アントニオーニに受け継がれて開花していきました。
また、イタリアン・リアリズムと商業主義との折り合いを図ったピエトロ・ジェルミの登場で、イタリアの新たな時代が始まります。
この流れに追随した新進のマウロ・ボロニーニやヴァレリオ・ズルリーニもしっかりとイタリアン・リアリズムの精神を継承しています。
フランチェスコ・マゼリもイタリアン・リアリズムの継承者と思えるような才能を持ち合わせていたはずですが、その後作品に恵まれていないため、その実力は図り知ることはできません。
振り返って1960年前後の公開作品を並べてみると、その数年がイタリア映画の過渡期であったことを物語っています。
1957年 『道』『カビリアの夜』(以上フェリーニ)、『屋根』(デ・シーカ)
1958年 『崖』(フェリーニ)、『白夜』(ルキノ・ヴィスコンティ)、『鉄道員』(ジェルミ)
1959年 『さすらい』(アントニオーニ)、『青春群像』(フェリーニ)、『わらの男』(ジェルミ)
1960年 『甘い生活』(フェリーニ)、『ロベレ将軍』(ロセリーニ)、『若者のすべて』(ヴィスコンティ)、『刑事』(ジェルミ)、『激しい季節』(ヴァレリオ・ズルリーニ)
1961年 『ふたりの女』(デ・シーカ)、『ローマで夜だった』(ロセリーニ)、『鞄を持った女』(ズルリーニ)、『太陽の誘惑』(マゼリ)
1962年 『情事』『太陽はひとりぼっち』『夜』(以上アントニオーニ)、『ウンベルトD』(デ・シーカ)、『2ペンスの希望』(レナート・カステラーニ)
1963年 『イタリア式離婚狂想曲』(ジェルミ)、『祖国は誰のものぞ』(ナンニ・ロイ)、『ビアンカ』(マウロ・ボロニーニ)、『シシリーの黒い霧』(F・ロージ)
1964年 『家族日誌』(ズルリーニ)、『山猫』(ヴィスコンティ)、『ブーベの恋人』.(ルイジ・コメンチーニ)、『堕落』(ボロニーニ)
いずれも名作揃いです。
『太陽の誘惑』はそんな新旧作家の織り交ざった時期の貴重な一編でした。