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『11月13日』

2019-11-12 22:19:22 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆アルベルト・ラトアーダ Alberto Lattuada (1914.11.13~2005.7.03)



第二次大戦後にリアリズム手法による文学の映像移行で名を残したイタリアの映画監督です。
オペラの作曲家フェリーチェ・ラトアーダの子息としてミラノに生まれました。大学在学中に文化評論誌「コルレンテ」の編集や
反ファシズム雑誌『カミナーレ…』の編集に加わり小説や造形美術批評などを執筆、同時に「ドムス誌」で映画批評も書くように
なりました。1940年には映画界に入り脚本家および助監督などをつとめ、1943年に "Giacomo l'idealista" (理想主義者ジャコモ)で
監督デビューしましたが国内では評価が分れたようです。監督としての名声を決定的にしたのは1949年の『ポー河の水車小屋』で、
客観的な立場から社会運動に参加し、フェデリコ・フェリーニの脚本により20世紀初頭の労働闘争を再現、ネオ・リアリズムの
傑作の一作品となりました。1950年にはフェリーニとの共同監督による『寄席の脚光』で人情噺をコメディタッチで描きましたが
その後は文芸作品や青春作品などで話題を呼んだものの並の映画作家に埋ずもれてしまいました。

【主要監督作品】
1949年『ポー河の水車小屋』 Il mulino del Po

1950年『寄席の脚光』 Luci del Varietà

1951年『アンナ』 Anna

1952年『外套』Il Cappotto
1953年『巷の恋』 L'amore in città
1957年『芽ばえ』 Guendalina

1958年『テンペスト』 La tempesta
1960年『十七歳よさようなら』 I dolci inganni 

1966年『マッチレス殺人戦列』 Matchless


☆オスカー・ウェルナー Oskar Werner (1922.11.13~1984.10.23)



ウイーンの名門「ブルグ劇場」の一員で国際的にも活躍したオーストリアの映画俳優です。
ウィーンに生まれ、少年の頃から舞台に憧れ、ブルグ劇場に籍を置いて地方公演などに参加しました。第二次大戦では兵役に
つきましたが終戦後にブルグ劇場に戻って中堅俳優としてシェイクスピア劇などで名声を高めました。1948年にカール・ ハートル
監督の "Der Engel mit der Posaune" (トランペットを持った天使)で映画デビュー、1950年にイギリスでリメイクされてこれにも
出演し映画俳優としてのスタートを切りました。1962年のフランソワ・トリュフォー監督の『突然炎のごとく』のジュール役が
出世作となり、その後も欧米の作品に招待されて国際的スターの地位を固めました。

【主要出演作品】
1949年『エロイカ』 Eroica 
1951年『暁前の決断』 Decision Before Dawn
1955年『歴史は女で作られる』  Lola Montès
1962年『突然炎のごとく』 Jules et Jim

1965年『愚か者の船』 Ship of Fools

1965年『寒い国から帰ったスパイ』 The Spy Who Came in from the Cold
1966年『華氏451』 Fahrenheit 451

1968年『しのび逢い』 Interlude
1968年『栄光の座』 The Shoes of the Fisherman 


☆グンナール・ビヨンストランド Gunnar Björnstrand (1909.11.13~1986.5.26)



王位ドラマ劇場で修業を摘みイングマール・ベルイマン作品で主要な役を演じたスエーデンの俳優です。
舞台の名優という父親の血を継いでストックホルムに生まれました。早くから子役として舞台に立っていましたが、1933年に
王立ドラマ劇場付属俳優学校で演技の基礎を学びました。余談ですが同校の同期生にイングリッド・バーグマンがいたそうです。
その後数本の映画に出演していましたが、1943年の "Natt i hamn" (夜の港)で本格的に映画界入りし、イングマール・ベルイマン
監督の初期作品となる1946年の『われらの恋に雨が降る』に出演して以後ベルイマン作品の常連として重厚なドラマから軽快な
コメディーまでオールラウンドにこなせる役者として重宝されました。

【主要出演作品】
1946年『われらの恋に雨が降る』 Det regnar på vår kärlek
1955年『夏の夜は三たび微笑む』  Sommarnattens leende

1957年『第七の封印』 Det Sjunde inseglet 

1957年『野いちご』 Smultronstället 

1959年『魔術師』Ansiktet
1961年『鏡の中にある如く』 Såsom i en spegel 

1962年『冬の光』 Nattvardsgästerna

1963年『沈黙』 Tystnaden
1966年『ペルソナ』 Persona
1968年『恥』 Skammen 


☆ジーン・セバーグ Jean Seberg (1938.11.13~1979.8.30)



セシル・カットのヘアスタイルで注目を集めヨーロッパで活躍したアメリカ出身の国際女優です。
スウェーデンからの移民の子として米国アイオワ州のマーシャルタウンに生まれ、地元のハイスクールの演劇部リーダーだった
頃から既に注目されていました。1957年にオットー・プレミンジャー監督の『聖女ジャンヌ・ダーク』の主役公募に参加して
18,000人の中から選ばれて映画デビューを果たし、ついで同監督の『悲しみよこんにちは』の主人公を演じ、セシル・カットと
呼ばれたボーイッシュなヘアスタイルが話題となって人気スターの仲間入りを果たしました。
1959年にはヌーヴェルヴァーグの新人監督ジャン・リュク・ゴダールの『勝手にしやがれ』に出演し、その後はヨーロッパを
中心に活動を続けました。
ただ、アメリカで黒人民族主義運動や黒人解放闘争を展開していた過激組織ブラック・パンサーの支持者であったため、FBIから
危険人物としてマークされたことによって精神に異常をきたし、遺書を残して失踪し遺体で発見され、わずか40年の短い人生に
自ら終止符を打ちました。

【主要出演作品】
1957年『聖女ジャンヌ・ダーク』 Saint Joan

1957年『悲しみよこんにちは』 Bonjour tristesse

1959年『勝手にしやがれ』 À bout de souffle

1961年『さよならパリ』 Les Grandes personnes
1964年『黄金の男』Echappement Libre
1964年『立派な詐欺師』Le Grand Escroc
1968年『ペルーの鳥』 Les Oiseaux Vont Mourir Au Perou

1969年『ペンチャーワゴン』Paint Your Wagon


☆ミゲル・アセベス・メヒア Miguel Aceves Mejia  (1915.11.13~2006.11.06)



「ファルセットの王」と称されたメキシコでは超有名な俳優、作曲家、歌手です。
メキシコのチワワで生まれ、新聞の売り子などをした後にフォード社でメカニック助手として働き、そのフォード社が実施した
歌唱コンテストで奨励されて歌手の道を歩き始めました。ロス・ポルテーニョスのトリオに参加した後、メキシコシティに行き、
ボレロ歌手として大成し、60本を超える映画にも出演、日本では殆ど無名ですがメキシコでは超有名なカリスマ的存在でした。

↓はミゲル・アセベス・メヒアの『ラ・マラゲーニャ』【YOUTUBEより】
(「あほ~」「あほや」「あほか」という掛け声は関西人にとっては強烈なインパクトでした)


↓はミゲル・アセベス・メヒアの『祈り』【YOUTUBEより】



【ご命日】

★ヴィットリオ・デ・シーカ  Vittorio De Sica (1901.7.07~1974.11.13)



ロセリーニと共に第二次大戦直後に世界を震撼させたネオレアリスモの旗手となったイタリアの映画監督、俳優。
主な監督作品として『靴みがき』『自転車泥棒』『ミラノの奇蹟』『ウンベルトD』『屋根』『ふたりの女』などがある。


★カルロ・ルスティケッリ Carlo Rustichelli (1916.12.24~2004.11.13)



オペラや劇場音楽の出身で、イタリアを代表する抒情派の映画音楽家。
主な映画音楽作品として『鉄道員』『刑事』『ローマの恋』『禁じられた恋の島』『ブーベの恋人』などがある。


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