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『5月29日』

2019-05-28 18:20:57 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ジヨセフ・フォン・スタンバーグ Josef von Sternberg (1894.5.29~1969.12.22)



トーキー初期にマレーネ・ディートリッヒを起用して名作を作り続けたハリウッドの映画監督です。
ウィーンに生まれ、7歳の時に移民として家族でニューヨークに渡りました。一時故国に帰国しましたが再び渡米して職業を
転々と変えるうちに1914年にワールド・フィルム社で撮影技師、編集、脚本などの仕事に就くようになり、1925年に英国の
俳優ジョージ・K・アーサーと共同出資して『救ひを求むる人々』を制作しました。若い青年や孤児が薄汚れた港からもがき
ながら這い上がる姿を描いたもので、これをチャップリン宅に持ち込んで配給を依頼し、ユナイト社からの配給にこぎつけ、
質の良い芸術的映画として高評価を得ました。その後、『暗黒街』『紐育の波止場』などの佳作を発表し、映画がトーキーと
なった1930年にはパラマウントとドイツ・ウーファーの提携による『嘆きの天使』をドイツで撮影することになりました。
作品は当時のドイツの退廃的な社会を象徴するような重厚さで進め、ラストシーンはドイツ表現主義を彷彿とさせる芸術的
シークェンスで締めくくる見事な演出でした。何よりも無名だったマレーネ・ディートリッヒを起用したこともこの映画の
大成功の要因で、ディートリッヒが太腿を露わにして退廃的に唄うシーンは映画史に語り継がれる強烈な名場面となりました。
この大成功に気をよくしたパラマウントは同年にスタンバーグ&ディートリッヒのコンビで『モロッコ』を企画しました。
この時期のハリウッドはトーキーがスタートして間のない頃で、溢れかえる台詞の量と無理やりねじ込んでくる音楽によって
これまで培われたサイレント芸術が崩壊し、俗にガースー映画と呼ばれる作品群が巷にあふれかえっている時代でした。
そんな中でスタンバーグは音響や台詞を抑えてサイレント芸術が残したリアリズムと映像美によって完璧な作品に仕上げ、
特に音響では、近づいては遠ざかる太鼓の音、熱砂の砂煙に旗を揺らす小さな風の音、逆に砂漠を歩くジャリジャリという
音を消して無音ながらもジャリジャリという音を観客に聞かせてしまうテクニックなど、トーキーにおける音響の指針を
示してくれました。この作品によってスタンバーグ&ディートリッヒのコンビは一躍大人気となり、パラマウントはグレタ・
ガルボに対抗する切り札としてディートリッヒの売出しにも成功しました。
その後も、『間諜X27』『上海特急』『ブロンド・ヴィナス』などでディートリッヒの美しさをを際立たせる作品を撮り続け
ましたが、二人の熱愛スキャンダルが流れる騒動になり、やがて1935年の『西班牙狂想曲』を最後にコンビ解消したことで
精気が薄れてしまい、スタンバーグ作品の質と人気が一気に崩れ落ちてしまいました。

【主要監督作品】
1925年『救ひを求むる人々』 The Salvation Hunters

1927年『暗黒街』 Underworld

1928年『紐育の波止場』  The Docks of New York

1928年『非常線』  The Dragnet
1929年『女の一生』 The Case of Lena Smith
1930年『嘆きの天使』  Der Blaue Engel

1930年『モロッコ』  Morocco

1931年『アメリカの悲劇』  An American Tragedy
1931年『間諜X27』  Dishonored

1932年『上海特急』 Shanghai Express

1932年『ブロンド・ヴィナス』 Blonde Venus
1934年『恋のページェント』 The Scarlet Empress
1935年『西班牙狂想曲』 The Devil Is a Woman

1936年『陽気な姫君』 The King Steps Out


☆ボブ・ホープ Bob Hope (1903.5.29~2003.7.27)



ブロードウェイ、ラジオ、映画、テレビなどで活躍した20世紀のアメリカを代表するコメディアン、映画俳優です。
ロンドンのエルタムに石工の子として生まれ、4歳の時にオハイオ州クリーブランドに移り住みました。12歳の頃には新聞の
売り子などをしていましたが、チャップリン扮装コンテストで入賞したのを機にヴォ―ドビリアンになることを決意しました。
やがてブロードウェイやラジオに出演していた時にパラマウントから声が掛かって1938年の『百万弗大放送』で映画デビュー、
豪華客船の船内放送アナウンサーという傍役でしたが劇中でシャーリー・ロスとのデュエット曲『思い出によみがえる』が
ヒットして他の主役たちよりも目立ち、一気に人気スターになりました。
その後も「腰抜けシリーズ」や「珍道中シリーズ」など多くのコメディ映画に出演、特に1948年の『腰抜け二挺拳銃』の劇中歌
『ボタンとリボン』で大いに人気を集めました。
以降も皮肉な毒舌とユーモアで第一線級の芸能活動を続け、100歳の生涯を全うしました。

【主要出演作品】
1938年『百万弗大放送』 The Big Broadcast of 1938
1940年『シンガポール珍道中』 Road to Singapore

1941年『アフリカ珍道中』 Road to Zanzibar
1942年『モロッコへの道』 Road to Morocco

1944年『姫君と海賊』 The Princess and the Pirate
1946年『アラスカ珍道中』 Road to Utopia
1948年『腰抜け二挺拳銃』 The Paleface
(YOUTUBEにとびます)
1952年『腰抜け二挺拳銃の息子』 Son of Paleface
1952年『バリ島珍道中』 Road to Bali
1955年『エディ・フォイ物語』 The Seven Little Foys
1959年『腰抜け列車強盗』 Alias Jesse James
1959年『五つの銅貨』 The Five Pennies
1962年『ミサイル珍道中』 Road to Hong Kong
1963年『腰抜けアフリカ博士』 Call Me Bwana
1967年『一家8人逃亡す』 Eight on the Lam


【ご命日】

★G・W・パブスト George Willhelm Pabst (1885.8.25~1967.5.29)



リアリズムによる社会風刺劇を重厚な演出で映像化したドイツの映画監督。
主な監督作品として『喜びなき街』『パンドラの箱』『淪落の女の日記』『三文オペラ』『炭坑』などがある。


★ロミー・シュナイダー Romy Schneider (1938.9.23~1982.5.29)



ウィーン出身でドイツを中心に国際的に活躍した女優。(元アラン・ドロンの婚約者)
主な出演作品として『プリンセス・シシー』『モンプチ』『制服の処女』『ボッカチオ'70 』『審判 』などがある。

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