【誕生日】
☆アナトール・リトヴァク Anatole Litvak (1902.5.10~1974.12.15)
ロシア生まれの多国籍映画作家で、情感を重視した重厚な作品群を撮り続けた映画監督です。
ユダヤ人で銀行家の父親のもとに帝政ロシアのキエフで生まれました。14歳の時にペトログラード(レニングラード)に移り
1923年に劇団で俳優兼助手となり、同年にドイツに渡りアレキサンダー・ヴォルコフの助監督などをつとめた後、1930年に
"Dolly macht Karriere" を初監督、『女人禁制』など二本の作品を監督しましたが、1933年にナチス政権が誕生したことにより
パリに亡命しました。そこで1935年に『最後の戦闘機』、1936年『うたかたの戀』などの佳作を発表しましたが、戦雲が
怪しくなりアメリカに脱出、第二次大戦中はハリウッドで時局映画などを制作しました。
戦後はハリウッドでスリラーなどを撮っていましたが、60年代はアメリカ資本ながらもヨーロッパに撮影の本拠を構えて
欧風色の濃い作品を撮り続けました。
【主要監督作品】
1931年『女人禁制』 Nie wieder Liebe
1935年『最後の戦闘機』 L' Équipage
1936年『うたかたの戀』 Mayerling
1940年『凡てこの世も天国も』 All This, and Heaven Too
1948年『私は殺される』 Sorry, Wrong Number
1948年『蛇の穴』 The Snake Pit
1951年『暁前の決断』 Decision Before Dawn
1955年『愛情は深い海の如く』 The Deep Blue Sea
1956年『追想』 Anastasia
1961年『さよならをもう一度』 Goodbye Again
1962年『真夜中へ五哩』 Le couteau dans la plaie
1963年『将軍たちの夜』 The Night of the Generals
☆クラレンス・ブラウン Clarence Brown (1890.5.10~1987.8.17)
ロマン派を継承する美しい画調でサイレント時代からMGMの大監督と呼ばれたハリウッドの映画作家です。
マサチューセッツ州クリントンシティに生まれ、テネシーのノックスヴィル大学卒業後に第一次大戦が勃発し飛行士として
従軍しました。帰還後は自動車会社の技術者、自動車会社の経営者となりましたが、映画好きでたまらなかったため、総てを
投げ出して1915年にハリウッドへ行き当時ロマン派の総帥と呼ばれていたモーリス・トゥールヌールの門を叩いて助監督と
なりました。1920年にはモーリス・トゥールヌールとの共同による『モヒカン族の最後』で監督となり、この作品によって
以後の作品群にみられる美しい画調をトゥールヌールから学び取ったといわれています。
一本立ちとなって1924年にMGMと契約し、1924年の『燻ゆる情炎』で高評価を得た後、売り出し中のグレタ・ガルボを
迎えて1926年に『肉体と悪魔』を監督、「MGMにC.Bあり」といわれる大監督へと昇っていきました。
その後もガルボ主演作品などで活躍しましたが、ガルボ作品としてはルビッチ、キューカー、マムウリアンなどに比べると
映画としての評価は高くなかったようです。
しかし、興行的には安定した集客力があり、堅実な創作への情熱によって大御所として30年間MGMに君臨しました。
【主要監督作品】
1920年『モヒカン族の最後』 The Last of Mohicans
1924年『燻ゆる情炎』 Smouldering Fires
1926年『肉体と悪魔』 Flesh and the Devil
1928年『恋多き女』 A Woman of Affairs
1930年『アンナ・クリスティ』 Anna Christie
1933年『夜間飛行』 Night Flight
1935年『アンナ・カレニナ』 Anna Karenina
1936年『妻と女秘書』 Wife vs. Secretary
1937年『征服』 Conquest
1943年『町の人気者』The Human Comedy
1944年『ドーヴァーの白い崖』 The White Cliffs of Dover
1945年『緑園の天使』 National Velvet
1946年『仔鹿物語』 The Yearling
1947年『愛の調べ』 Song of Love
☆アルフレード・ワイデンマン Alfred Weidemann (1916.5.10~2000.6.09)
独軍のプロパガンダ映画出身で、戦後は劇的構成で実在人物を描いた映画監督です。
シュツットガルトに生まれ、芸術短期大学を経てドイツの名門誌『ベルリーナ・イルストリールテ・ツァイツング』の通信員を
務めた後にドイツ軍の宣伝部門で広報と映画部門の部門長を務め、1935年には脚本家兼監督としてヒトラーの宣伝映画を製作、
1943年にはプロパガンダの長編映画である "Junge Adler" を監督しました。
1945年のベルリン陥落でソ連軍の捕虜となり解放された後は児童書などを執筆していましたが、1953年頃から映画界に復帰して
1954年にはカナリス将軍を描いた『誰が祖国を売ったか?』、1957年には対米軍機撃墜記録を持つマルセーユを主人公とした
『撃墜王アフリカの星』を監督、実在人物を素材にして劇的構成で描く映画作家として話題をまきました。
しかし、1958年のロミー・シュナイダー主演の "Scampolo" (スカンポロ) 以降はB級娯楽映画に専念、1970年代に入るとTV
ディレクターに転身してしまいました。
【主要監督作品】
1956年『誰が祖国を売ったか?』Bumerang
1957年『撃墜王アフリカの星』Der Stern von Afrika
1959年『裏切り』Bumerang
1963年『女と男のある限り』Das Grobe Liebesspiel
1965年『ヴィエナ超特急』Secret Agent 11011 Our Man in Vienna