港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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前衛映画

2013-06-05 12:08:44 | シネマ

映画は芸術だと考える作家たちはさらにその可能性を求めていきました。
芸術的な映像は『純粋映画』や『絶対映画』と呼称されて娯楽映画とは一線を画すことになります。
ダダイズム、シュールレアリズム、アブストラクト(抽象主義)などの手法を用いたアヴァンギャルド即ち前衛映画が数多く世に出てきます。
カヴァルカンティや初期のクレール、ブニュエルなどもこれを機に頭角を現します。

前衛映画の主たる作品を並べてみます。いずれほとんど同じ時期に集中しているのが分かります。
 アルベルト・カヴァルカンティ 『時のほか何ものもなし(1926)』『かわいいリリー(1926)』『港町にて(1927)』『目のない列車(1928)』
 ジェルメーヌ・デュラック 『貝殻と僧侶(1927)』
 マン・レイ 『ひとで(1928)』
 ルイス・ブニュエル 『アンダルシアの犬(1928)』『黄金時代(1930)』
 ルネ・クレール 『眠る巴里(1923)』『幕間(1924)』『空想の旅(1925)』『イタリア麦わら帽子(1927)』
 フェルナン・レジェ 『バレエメカニック(1924)』
 ワルター・ルットマン 『伯林-大都会交響楽(1927)』


ルイス・ブニュエル監督『黄金時代』


しかしながら、こういった映画はあえて物語性を排除しており その上難解であるために大衆受けしないのは当然でした。
いくら芸術とはいえ、映画製作には莫大な資本元(パトロン)が必要です。
興行的に成り立たなくなれば当然のことながらその存在も危機に陥ります。

やがてトーキーの出現をきっかけに映画に真の芸術を求める動きは鈍り、芸術と興行の折り合いを求めることになります。
ここに芸術の香りのするリアリズム劇映画が生まれ、ヨーロッパの主流となっていきました。
その後のヨーロッパ映画に芸術の香りが濃く漂っているのはこういった背景によるものではないでしょうか。

映画芸術の完成へ

2013-06-04 14:55:56 | シネマ

特にヨーロッパにおいてその発展が顕著に現れていきました。
スエーデンではヴィクトル・シュストレームやマウリッツ・スティルレルによる写実と神秘の交錯ともいえる映像美学が発達しました。
『波高き日(1916)』『霊魂の不滅(1920)』、『吹雪の夜(1920)』は映画芸術の神髄と言われています。


マウリッツ・スティルレル監督『吹雪の夜(1920)』のラストシーン


ドイツでは当時の芸術の主流であった表現主義が映画にも取り入れられるようになります。
ロベルト・ウィーネの『カリガリ博士(1919)』は≪現実の裏に真実を見る≫という表現主義の代表作となりました。
また、フリッツ・ラングの『ジーグフリード(1925)』は神秘的ロマンチシズムの最高映像美と称されます。




ロシアにおいては、エイゼンシュテインがモンタージュ理論の集大成ともいえる『戦艦ポチョムキン(1925)』を発表します。




一方、フランスでは映像美と文芸を融合させて映画に感情表現が織り込まれていきます。
フラッシュバックの手法を用いたアベル・ガンスの『鉄路の白薔薇(1922)』はその代表作といえましょう。


映画芸術の発展

2013-06-03 15:48:43 | シネマ

映画の初期は連続活劇やドタバタ喜劇が主流で大衆娯楽的存在となりました。
当初は単なる見世物的な存在でしかなかったのですが、やがて映画に芸術の可能性を見出します。
1911年にリチョット・カニュードが、映画は時間空間(文学・音楽・舞踏)と空間芸術(建築・彫刻・絵画)
を統合する芸術であるとして第七芸術という名称を付与します。
これを機に、映像への美学が激しく進化し映像理論が体系化され、リズム理論やモンタージュ理論が登場しました。
映画芸術という概念が認められるようになったのはこの時代でしょう。
サイレント映画はイメージ連鎖のみで成り立っており、各ショットのモンタージュが主体となっています。
映画がサイレントであったからこそ映画芸術が誕生したと言っても過言ではないでしょう。
さらに抽象的な表現手法が加味されて映画芸術が完成していきます。


ヴィクトル・シェストレーム監督『霊魂の不滅』

映画の誕生と進歩

2013-06-02 09:54:02 | シネマ

1895年、リュミエール兄弟によって映画が誕生しました。
モノクロの静止画像が連続して映写されることによって動画となったのです。
1895年頃に数分間の日常記録的な映画が作られました。
『シオタ駅の列車到着』『リュミエール工場の出口』『赤ん坊の食事』『鳩に餌をやる』『水をかけられた水夫』など
やがて、映画にトリックという技術が持ち込まれます。
ジョルジュ・メリエスの『ロベールウーダン劇場での婦人の雲隠れ』(1896)です。
手品師が椅子に座った婦人に布をかぶせ、一瞬にして消してしまい、次の瞬間に骸骨にする。
そして、もとの夫人に戻す、という1分少々のトリック映像でした。
やがて先駆者たちは映画というツールをいかに活用できるかを模索することになります。
1902年『月世界探検』(ジョルジュ・メリエス)で、映画に対する可能性を大きく膨らませることになります。


そして1910年頃には、映画に映像芸術を求める動きが出てきます。
リチョット・カニュードの第七芸術論(1911)です。

映画は連続活劇などで大衆娯楽として発展し、一方で映像芸術を極めるツールとして洗練されていきました。

映画芸術を考える

2013-06-01 08:27:15 | シネマ

ATGの発足と同時に、私の心の中に映画芸術に対する関心が高まりました。
以前、絵画については持論である絵画芸術について述べました。
絵画については、制作する側と鑑賞する側の双方の観点から話すことができました。
しかし、映画については、その製作に携わったこともない一介の素人です。
現場も知らずに鑑賞者としての立場でありながら、鑑賞側の立場から軽はずみに語ることについてご容赦を願います。

映画が芸術であるとすればやはりそこにはそれなりの定義があるべきなのでしょう。
芸術の定義は絵画の項でも記述した通りです。
一般論として、芸術と呼ばれるためには『技術・思想・創造力』が絶対要素といわれています。
それらの要素で仕上げられた作品が媒体となって鑑賞者の心を揺り動かすことができればそれは立派な芸術であるといえるでしょう。
ただ、映画はあくまでも映像の世界です。
時空を利用して映像でその感覚を表現するのが映画芸術の神髄であると思っています。


ルイス・ブニュエル監督『アンダルシアの犬』より