写楽老人写真館!

葛飾北斎は晩年「画狂老人北斎」と画号にしたとの事、私も「老いても写真に楽人で有りたい」と思います。

別所温泉IN岳の幟

2014-07-15 13:12:17 | 祭り
 川端 龍子(かわばた りゅうし)(1885年6月6日 - 1966年4月10日)は、戦前の日本画家、俳人。弟(異母弟)は「ホトトギス」の俳人川端茅舍(ぼうしゃ)であり、龍子も「ホトトギス」同人であった。日本画家・川端龍子は、松尾芭蕉の俳句の魅力にさそわれ、1951年から5回にわたって『奥の細道』ゆかりの地を巡遊し作品を残しています。その体験から、「『奥の細道』こそは、単なる行脚記録では無くて、創作とされた部分のあること」を知ったと龍子は述べています。芭蕉も目にしたであろう風景を「記録」するのではなく作品化していくことは、画家の創作意欲を強く刺激したに違いありません。
 橋本 明治(はしもと めいじ)(1904年8月5日 - 1991年3月25日)は、日本画家、日本芸術院会員、文化勲章受章者。島根県那賀郡浜田町(現・浜田市)生まれ。1929年より帝展に出品、1931年東京美術学校日本画科卒、松岡映丘に師事。1937年新文展で特選。1940-1950年法隆寺金堂壁画模写に従事。戦後、日展に出品。1948年創造美術結成に参加するが、後に脱退して官展に戻る。1951年芸術選奨文部大臣賞受賞。1952年日展審査員。1955年日本芸術院賞受賞。1958年日展評議員。1969年日展理事。1971年日本芸術院会員。1972年日展常務理事。1974年文化勲章受章、文化功労者。

     「佳人好在」川端龍子(大正14年)絹本着彩、額装        「まり千代像」橋本明治(昭和29年)紙本着彩、額装
          

 岳の幟 別所温泉に伝わる雨乞いの祭り。青竹に色とりどりの反物をくくりつけた幟の行列が練り歩き、笛や太鼓に合わせてささら踊りや三頭獅子舞も奉納されます。国の選択無形民俗文化財に指定された珍しいお祭りです。

      カーブミラーに映る岳の幟
              

 由来・次第
 上田市塩田平は、昔から水不足にたいへん悩まされていた土地で、灌漑用のため池が数多くつくられたり、さまざまな雨乞い行事が行われてきた。岳の幟行事も、雨乞いの祭りである。言い伝えによると、16世紀初め、室町時代の永正年間にひどい日照りが続き、水が涸れて作物がほとんど緑を失ってしまったとき、夫神岳(おがみだけ)の山の神様に雨乞いの祈願をしたところ、雨が降り作物がよみがえったという。以来、夫神岳の山頂に祠を建て、九頭竜神(おかみ))をまつり、毎年各家で織った布を奉納し、感謝と祈願をしたのが始まりだったとされています。

     笛や太鼓に合わせて踊るささら踊り
            


   2014年7月13日 上田市別所温泉で室町時代の1504(永正元)年に干ばつを機に始まったとされる国選択無形文化財の
 
      雨乞い行事「岳の幟」があった。色とりどりの反物を結んだ長さ6メートルの竹ざお60本を掲げ、温泉街をゆくりと練り歩いた。

                                      信濃毎日新聞 7月14日地域版の記事より     写 楽 老 人