遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

初期伊万里染付草花虫紋中皿

2019年10月30日 | 古陶磁ー全般

初期伊万里の中皿です。

生がけの釉薬の下に、中国風の絵付けがなされています。

          径 21.1㎝、 高1.9㎝

 

裏面も、典型的な初期伊万里です。

焼成前からの高台のソゲを除けば、疵はありません。初期伊万里としては、無傷の皿といってもよいでしょう。

 

 

雲気紋の下には、虫(蝶?)が飛んでいます。

 

 

花は、丹牡?

 

このサボテンのようなものは?

 

裏面には、初期伊万里の定番通り、陶工の指跡がついてます。向かい側にも3個の指跡。

表には、これまた定番の鉄分のシミや降りものがあります。

 

少しゆがみがありますが、全体の形は平板な円盤状です。中央が非常に分厚く、外に向かって、急速に薄くなっています。

 

圏線は、高台の内側に2本、外側に3本。

内側を多く削り出して、低い高台が作られています。

畳付けは、内、外の両側から削られて、鋭い稜線状になっています。

 

伊万里焼は、秀吉の朝鮮出兵時に日本へ連れてこられた陶工たちによって始められました。

陶工たちは、どんな気持ちでこの皿を作ったのでしょうか。

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里芋皮むき器

2019年10月27日 | ものぐさ有機農業

里芋の収穫時期になりました。

今年も大量の処理をせねばなりません。


そこで、里芋皮むき器の登場です。

この道具については、2月のブログでも報告しましたが、もう里芋シーズンは終わりでした。掘ってから数か月の里芋を使っての皮むき器の評価でしたので、本当のところははっきりしていません。

そこで、新鮮な里芋ならどうだろうか、ということで今回のブログです。

 

通販で買った『農家の友 マルチ洗浄器』。里芋、ジャガイモの皮むきだけなく、少量の洗濯にも使えるとのうたい文句です。

左側にタイマー、右側に強弱切り替えスイッチ。

 

こんな具合に分かれます。

バケツ状容器の底にフィンがあって、そこへ芋と水をいれてスイッチを入れます。攪拌時間は15分が標準。水流は、数十秒ごとに反転します。

 

 早速、里芋を掘ってきました。出来はまずまず。

 

 

 芋が浸るくらいに水を入れ、


スイッチ(タイマー兼)を入れます。かなりの勢いで回ります。

 

6分攪拌後は、この通り。

 

きれいに剥けました。

 

あとは、

「適当に味付けしておいてくれ」

と、連れ合い殿に渡せば、気分も爽快(^.^)

7800円の出費は、元がとれました(笑)


里芋の通常の皮むき、包丁ですれば時間がかかります。手もかゆい。そして、大量の皮が生ゴミとして出ます。

以上をすべてクリア。


いいとこずくめのようですが、問題も。

こんなにうまく皮がむけたのは、里芋が若く、かつ、新鮮だからです。皮が柔らかい。

ところが、里芋の本番はこれから。次第に皮は分厚く硬くなります。

また、私の所では、大量の里芋を保存する場合、芋を水洗いし、天日で一日干します。日もちはよくなりますが、その分、皮は硬くなります。

このように、皮がコワくなる(岐阜弁(^^;)、硬くなる)と、皮むき器は15分以上回さねばならなくなりますし、それでも残る部分が多くあります。この時には、先のブログで紹介したような台所汚れ落し用不織布でこそげ取らねばなりません。相当の手間です。


それでも、「男は黙って里芋ピール(peel)」(^^;)

そしてことさらぶっきらぼうに、

「適当に味付けしておいてくれ」(笑)


                 コワい芋は怖い(^^;)

 

 

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師匠の笛で萬斎・海老蔵が舞う

2019年10月25日 | 能楽ー実技

即位の礼が終わりました。

要は、儀式。退屈にきまってます。

でも、さすがに、あの総理大臣が万歳三唱の音頭をとった時には、背中を冷たいものがはしりましたね(**;)

万歳も含め、こんな儀式がなされるようになったのは、明治になってから。富国強兵の日本づくりとセットだったんですね。

そのあと、外国要人に対する歓迎レセプションがもたれました。メインは、日本文化の紹介。三番叟(さんばそう)と石橋が上演されました。

これで、やっと儀式の味気無さが少し中和されました(^^;)

特に三番叟は、能、歌舞伎、文楽のコラボレーションという珍しいものでした。共演は、狂言師の野村萬斎、歌舞伎俳優の市川海老蔵、文楽人形遣いの吉田玉男。

この出し物の中で、囃子のベースとなる旋律をずっと吹いていたのが、私の能管の師匠、竹市師です。

師と狂言、萬斎とは、当然、同じ舞台を何度も踏んでいますが、海老蔵とは、何年か前、カーネギーホールで公演をしました。また、能楽師、梅若玄祥(実)が世界最古の劇場「エピダウロス古代円形劇場(世界遺産)」で、ギリシャ神話を題材とした新作能「冥府行」を上演した時も、師匠の笛が、夜の円形劇場に響きわたりました。

能楽界、特に、囃子方では、押しも押されぬ若手のホープです。私とは、親子ほども歳がちがいますが、不肖の弟子にも、懇切丁寧に指導してくれます。そのおかげで、少しは能管が吹けるようになりました(^^;)

師の笛、その音色の美しさと迫力には出色のものがあります。元来が職人かたぎの一匹狼(一匹子羊の私とはウマがあう?(^^;)。不断の精進をかかさない姿勢には、頭が下がります。そこへさらに円熟味が加われば、後世に語り継がれるような能楽師になるでしょう。

今回の舞台は、その意味で、ひとつの転回点となるかも知れません。

Yutube: 師匠の笛で萬斎、海老蔵が舞う『三番叟』)(約19分)


なお、師匠は、今週日曜夜のTV番組にも出演します。

古典芸能への招待「第二回 古典芸能を未来へ~能楽・歌舞伎 囃子」10月27日(日)Eテレ午後9時00分~ 午後11時30分

 

 

 

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織部と黄瀬戸の融合、美濃笠原鉢

2019年10月20日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

美濃の笠原(現、多治見市笠原町)で焼かれた笠原織部大鉢です。

美濃の茶陶が終焉を迎える頃、江戸初期からしばらくの間、生産されました。

大きな見込みいっぱいに描かれた、奔放な絵付けが見どころです。

 

この品は、以前、「雑器の黄瀬戸」のブログで、比較用に一度取り上げました。https://blog.goo.ne.jp/chisei/e/dd26b96c3ac7901ef45efc5d9a96f036

今回、じっくりと眺めて、いくつかわかった事がありますので、あらためて本ブログで紹介します。

 

         径35㎝、高10㎝、高台径16㎝

 

ススキと河骨(葛?)が、鉄釉で、すばやく軽妙に描かれています。

また、グルッと大きく織部緑釉が垂らされています。

底が抜けそうなほど大きな窯疵があります。

 

所々に、石噛みがあります。


笠原鉢は、雑器だったこともあり、伝生品はほとんど残っていません。

この品も多分、物原からの物だとおもいますが、釉薬の風化は全く見られません。

大きな窯疵はは、一部、裏まで抜けています。

後の瀬戸・美濃の代表的な雑器、石皿に比べれは、高台の作りは、華奢で上品です。そして、石皿よりもはるかに弱く、毀れやすい。

裏側を見て、驚かされます。総施釉なのです。高台内側はもちろん、畳付にも釉薬が塗られています。こんな施釉は、大量生産される日用の器には、まず見られません。

高台の幅も、鉢の大きさからすれば、かなり細くて華奢です。

このような器形と総施釉は、端正な中国金属器を手本とした、桃山の黄瀬戸の特徴です。

表から見ると織部、裏からすると黄瀬戸。笠原鉢は、両方を融合した、新しいタイプの美濃陶と言えるのではないでしょうか。

 

もう一つ、笠原鉢で変わっているのは、目跡です。普通では考えられれないほどイレギュラーに散らばっています。

上の写真では、上部に2個、下部に6個、計8個がに散らばっています。

下の目跡6個は、1辺が4㎝の正三角形、二つから成っています。二つの正三角形の間隔は10㎝。

調べてみると、笠原鉢を焼いた窯跡から、3本脚の窯道具が見つかっていました。丁度、3本足のスツールのような形です。二つの正三角形目跡は、これを用いてできたものなのです。

高台をもう一度、詳しく見てみました。

畳付部にも、施釉されているのですが、細長く釉薬を拭った部分(5㎝)が2か所あります。これが、3本足スツール型トチンの台部を載せた場所です。間隔は、10㎝。表側の二つの三角形の目跡に対応しています。

上部には、丸い傷跡が4か所あります。これは、表側の上部の目跡2個に対応します。この場所には、三つ又トチンを用いたと考えられます。

少ないトチン(4個)で、細い高台の大鉢を重ね焼する工夫がなされているのです。

 

これまで、笠原鉢は雑器の代表のように言われてきました。

確かに、お茶用の器を主に焼いてきた桃山の美濃窯からすれば、ランク落ちの陶磁器という感じは否めません。

しかし、それは、我々、後の人間だから言えることであって、この品は、当時としては画期的な品で、高級な日用品であったのではないでしょうか。もし、本当の雑器なら、畳付にまで釉薬を施すはずがありません。美濃の桃山陶器の流れは、表側の織部模様だけではなく、裏側の総施釉という黄瀬戸の流れも入っているのです。鉢にはそぐわない華奢な高台も、高級品の黄瀬戸にならぴったりです。

かつて、ある骨董屋が、笠原鉢を、「黄瀬戸の鉢」と言っていましたが、あながち商売上のキャッチフレーズだけではなかったのです。笠原鉢の釉薬は、焼き上がりはほとんど灰釉のものばかりですが、技法としては黄瀬戸の精神が生きていたのです。

茶道具が終わって、日用品の製造を考えた場合、当然求められるのは食器です。まだ、伊万里焼が発展していない段階では、焼き締めではなく、釉薬に包まれた白い器は、人々にとってとても斬新な物だったに違いありません。

もちろん、こういった品が、すぐに庶民にまで手が届いたはずはありません。実際、江戸の武家屋敷跡から、笠原鉢の陶片が多く出土します。ある程度資力のある武士階級の人々が、モダンな食器、笠原鉢に食べ物を盛って利用したのでしょう。

ですから、短期間に、かなり大量の品が生産されたはずです。しかしその後すぐ、伊万里焼に代用される磁器の食器の生産が本格化するとともに、陶器の笠原鉢は人気を失ったと考えられます。

骨董を始めたばかりの頃、美濃物を多く扱う店で、主人が言った言葉が耳に残っています。

「あれだけ栄えた美濃の窯が、なぜ、江戸時代になると急に廃れたのか、わからない」

(この主人、岐阜県の文化財の保護委員をしているといばってましたが・・・)

それ以来、私は物事の盛りよりも、それが終わったり、消えていく事に興味をもつようになったのです。

今回、ブログを書きながら、ほんのわずかですが私なりに手がかりが得られ、満足しています。 

 

 長々と、私的解釈を書き連ねて、疲れてしまいました。こんなブログに付き合って下さる方は、なおさらでしょう。

で、ここで気分転換。

先ほどの、鉄釉で描かれた草と目跡の写真です。

上部の2つの目跡をじっと見ていると、やさしげな少女の顔が浮かんできませんか?

谷内六郎?

 

その上には・・・・

よさこいを踊る鈴木さん(笑)

相変わらず、自分勝手な強引見立ての遅生でした(^^;)

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上手品か半端もの? 亀山焼染付山水紋台鉢

2019年10月17日 | 古陶磁ー全般

 

ふたたび、亀山焼です。

ずいぶん昔、骨董の右も左もわからない頃、地元の田舎古道具屋で買った品です。高かったです。もちろん、亀山焼と気づいたのは、ずっと後になってからです。

先日のブログで紹介した染付山水紋深皿と非常によく似た構図の絵です。

 

           径21.2㎝、高5.7㎝

 

前に紹介した山水紋深皿よりも、さらに鮮やかな染付です。

これが唐呉須というものでしょうか。

 

 

筆使いは、非常に細やかです。

前の染付山水深皿と同様、純白の細やかな胎土です。

造りは、やはり、伊万里焼よりも分厚くしっかりとしています。

 

外周に、フリル状の飾りがついた凝った造りです。

圏線は、先に紹介した深皿と同じく、高台の内側に1本、外側に3本あります。

また、高台の畳付も、広く、真平です。

 

銘は、「亀山」か「亀山製」かよくわかりません。

 

結構風格のある、台鉢だと思います。

「実用品が多い亀山焼の中で、ついに上手品をゲットしたぞ!」

 

と有頂天になっていた時、手許の図録をパラパラとめくっていたところ・・・・


よく似た品が載っているではないですか。「染付山水紋蓋物」とあります。

もしこれだとすると、上手には違いないのですが、下側が失われた半端物。くそっ、道具屋のオヤジにいっぱい食わされたか?

一息入れて、私の品を冷静にもう一度見てみました。

図録の品のふたの部分、形は非常によく似ていますが、表側に(裏がわは不明)精緻な山水紋が描かれています。私の品では、同じ部分には、桜の花びらが六枚、描かれているのみです。山水紋は、反対側に描かれています。

一方、私の品では、高台(と思われる)の内外に圏線が4本と高台内に銘が描かれています。さらに、高台の部分(図録の品では、蓋を持つ部分)が、11.3㎝と非常に大きく、手で持つには大きすぎます。また、外側のフリルは、蓋につけてもゴミがたまるだけで、意味がありません。図録の蓋物には、フリルは付いていません。

 

 

以上のことを総合するなら、やはり、私の品はこの向きに置くのが正解でしょう。

うーん、なかなか風格のある上手品、これぞ亀山焼。

それにしても、あのボロ道具屋に、どうしてこの品があったのでしょうか。

 

コメント (13)
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