久しぶりに古陶磁です。
径 20.6㎝、高台径 11.2㎝、高 3.3-3.9㎝(歪み)。中国、明末ー清初。
中国明末頃の芙蓉手染付中皿です。
高台に砂、高台内は放射状に削られています。
典型的な明末の陶磁器です。
円と八角形で縁どられた見込みには、草花があしらわれ、岩上の鳥、そして上方にもう一羽の鳥、二羽が呼び合っています。
縁には、草花、幾何、目出度?模様が連続しています。
一方、以前のブログで、初期色絵芙蓉手大皿を紹介しました。
この大皿と今回の染付芙蓉手中皿を較べてみました。
縁芙蓉手模様:
見込みの図柄:
同じではありませんが、類似点が多くあります。
特に注目されるのは、初期色絵芙蓉手大皿の左上にある紫釉の部分です。
本歌、染付芙蓉手皿では、もう一匹の鳥です。
初期色絵芙蓉手大皿でも、同じ位置に何かがあります。
これは一体何かわかりません。ひょっとしたら、もう一匹の鳥?、それとも何か物体?
初期の伊万里焼には、中国の陶磁器を手本にした物が散見されます。芙蓉手皿は中国が発祥ですから、それを写した品がみられるのは自然です。さらに、染付けと違って、色絵芙蓉手皿は伊万里に特有の品ですから、日本流にアレンジが加えられても不思議ではありません。
この紫釉部分が何か、もう少し検討が必要ですね。
伊万里の色絵芙蓉手皿は、たいてい、初期柿右衛門と銘うたれ、法外な値段がついています。確かに今回の品も、細黒線で輪郭が描かれ、色釉がさされています。しかしこの程度の黒縁取りなら、初期の色絵皿にはいくらでも見られます。デザインも中国の芙蓉手をほぼそのままもらってきていて、大胆に和様化されているわけではありません。
伊万里の色絵芙蓉手皿が、なぜ、初期柿右衛門と言われるのは、わかりません。
伊万里とは違う本歌ならではの重量感というか存在感が感じられます。
色絵皿の初期柿右衛門呼称については、正直なところいつ頃からそうなっているのか
ワタシの浅学では全く判りません。
栗田美術館の館長は下記のような見解ですが・・・
「これらは陶商がオランダ商館から注文を受け有田の陶工画工が製作したものであって
柿右衛門と何等の関係がないものである」
この見解は50年近く前のものですが、今も商売上は「初期柿右衛門」ですよね~・・・。
オランダ東インド会社が、中国から輸入出来なくなった芙蓉手の皿を日本に作らせ、その代用品を買い入れて輸出品としていたことがよく分りますよね。
そのため、この南京染付芙蓉手中皿と以前に紹介された初期色絵芙蓉手大皿との間には、多くの類似点がありますよね。
私は、恐らく、「初期色絵芙蓉手大皿の左上にある紫釉の部分」は、もう1羽の鳥のはずではないかと思います。
日本の陶工が、南京染付芙蓉手中皿の左上に描かれているものが何だかよく分らなかったので、鳥が描かれているとは知らなかったので、それに近い何かを描いたのではないかと思います。
いい加減といえばいい加減、忠実といえば忠実ですよね(笑)。
「伊万里の色絵芙蓉手皿が、なぜ、初期柿右衛門と言われるの」かについてですが、私が愚考するに、日本で色絵を発見したのは柿右衛門であるという戦前の国定教科書の記述がいまだに尾を引いていて、伊万里の初期の色絵物は柿右衛門が作ったものであるとされているからだと思います。
今では、伊万里の初期の色絵物は柿右衛門様式のものではなく古九谷様式のものであったというのが通説ですものね。
なんでもかんでも柿右衛門としたほうが高く売れますから、それも影響しているのではないかと思うんです。
この辺の用語は、もっと整理すべきではないかと、私は思うんです。
中国の古染付は少し大胆な絵付けのイメージがありましたが、この品は緻密で丁寧ですね!
濃淡も美しく確かにこれは真似したくなるよう見事な絵付けですね(^^)
裏側の感じが伊万里の古い手で目にするタイプですのでやはり真似していたんだなあと比較的すると良く分かりますね!
となると私の集めている伊万里は中国磁気の贋作となるような気もします笑
最近はオマージュ?とか便利な言い回しの表現もあるようですが(^^)
それにしても7寸皿が随分小さく見える初期色絵の大きさが圧倒的で素晴らしいです。
どちらも素晴らしいのですが何故かこっちに目が言ってしまいます。笑笑
柿右衛門ならネームバリューがあるし、誰でも一目置きます。それで、あんなに法外な値がついていると考えれば納得しやすいです。
でも、何だか拍子抜けですね(^^;
それはともかく、中国陶磁器と伊万里とも関係は興味深いです。
個人的には、今はもうほとんど見向きもされない漢詩文入りの品が面白そうです。Drのおっしゃるように、日本の陶工は文字を絵と捉えて絵付けしていますから、突拍子もない傑作(^^;)が誕生する事だってあり得ます(^.^)
日本の陶工が、南京染付芙蓉手中皿の左上に描かれているものが何だかよく分らなかったので、鳥が描かれているとは知らなかったので、それに近い何かを描いたのではないかと思います。
なるほど、なるほどです。
確かに、上空を飛ぶ鳥も、見方によっては不思議な浮遊物体ともとれますね。それを陶工が、ムニャムニャと描いたと考えれば、辻褄が合います。
似たような品に○○様式なるカテゴリー名を付与すると、何かと便利なのは確かですね。ただ、便利が独り歩きし始めると、何が何だかわからなくなります。おまけにそこに商魂まで入ったりして(^^;
何だか、純粋無垢な子供が、大人の都合で翻弄されるのに似てますね(^^;
伊万里が中国陶磁器を写したのは必然だと思います。本家の中国でも、連綿として写しを作ってきたわけですから、後発の日本が学ぶべきことは多かったと思います。何を贋物と呼ぶかは、難しいですね。
三杉隆俊という染付専門の学者(数少ない)がいましたが、彼は、世界史的にみて、染付けの広がりと発展は、写し(贋物も?)に負うところが大きいと述べています。
いずれまた、ブログで紹介します。
同じ図柄なら、染付けと色絵では、やはり色絵に分がありますね。中国の古染付でも、極まれに染付けに色をさした(ほんのわずかに)物があります。中国の本歌の芙蓉手で、色絵を発見できたら、ミュージアムピース(^.^)