遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

古九谷写『葉型陽刻色絵山水紋変形皿』

2024年04月27日 | 古陶磁ー全般

先日のブログで、『葉型陽刻色絵網漁人図変形皿』を紹介しました。しかし、この品は、はたして古九谷なのか、古九谷写しなのか、はたまた、悪意のある贋物なのか、判然としませんでした。

この皿を入手してから数年後、同じような皿をみつけました。それが今回の品です。

13.7㎝ x 16.4㎝。高台 8.7㎝ x11.0㎝。高 2.4㎝。明治。

楕円形の変形皿です。大きな葉形の陽刻があります。中央の縦形のキャンバスには山水紋が描かれています。

先日のブログで紹介した『葉型陽刻色絵網漁人図変形皿』と同手の皿です。

葉形模様の配置が違うように見えますが・・・

180度回転すれば、同じ配置です。

この二つは単なる模様違いの同手皿か?

せっかくですから、少ししつこく(^^;二つを較べてみることにしました。

まず、今回の品は以前の物より少し大きいです。そして高さが少し低い。扁平です。

また、素地が今回の品は白いです。さらに、染付けは併用されておらず、赤絵のみの絵付けです。

高台の違いは大きいです。

以前の皿の高台はやや内向きに作られていますが、今回の品は垂直な高台で、少し低いです。

先の皿は見込みが厚く、端は薄くなっています。

光にかざすと陽刻の葉脈も見てとれます。

今回の皿は、全体が薄造りです。はっきりとはわかりませんが、陽刻の葉脈はどうも無いようです。

以前の品(向こう側)の高台畳付には、融着を防ぐためでしょうか、細かい砂が付いています。今回の品(手前)には、付着物は全くありません。

この皿の周囲には、鎬が3か所あります。二つの皿でその位置は同じなのですが、凸凹の具合が微妙に異なります。

以前の皿(上側)と今回の皿(下側)を較べると、下の皿では鎬の数が少ないように見えます。その理由は、両端の稜線が下側でははっきりしない(無い?)からです。

また、今回の品には、以前の皿の右上にあった一本の稜線がありません(5枚目の写真)。

裏側面の折松葉模様自体は同じですが、描線の走りに大きな違いがあります。

上側はピュッと走った直線的な松葉紋なのに対して、今回の品では筆の運びが遅く、でこでこした曲線になっています。描きなれていないのですね。

どうやら、今回の品は、少し手抜きをして、以前の品の写しを作ったと考えてよいでしょう。

染付を併用せず、赤絵のみを使った絵付けや簡略化された地紋の放射線なども、そのことを裏付けています。

以上の事柄を総合すると、今回の皿は、以前紹介した『葉型陽刻色絵網漁人図変形皿』と同時代に造られた物ではなく、近年の作であろうと推定されます。

絶対的な製作年代を特定することは困難ですが、このような手の込んだ変形皿が江戸前期に造られたとは考え難く、1700年代に入ってからの作でしょう。その意味では、『葉型陽刻色絵網漁人図変形皿』は、骨董屋が言う江戸中期の古九谷と言ってよいのかもしれません(^.^)   一方、今回の品、『葉型陽刻色絵山水紋変形皿』は、明治以降につくられた写しと思われます。

 

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古九谷?写?『葉型陽刻色絵網漁人図変形皿』

2024年04月23日 | 古陶磁ー全般

今回の皿は、古九谷かその写しか、いまだ決めかねている品です。

13.0㎝ x 15.8㎝。高台 8.6㎝ x10.8㎝。高 3.2㎝。江戸時代前期?

色絵と染付けが併用された変形皿です。

二本の染付線の内側には、漁から帰る(へ行く?)人物が二人描かれています。あまり見かけたことの無い図柄です。

両サイドには一枚ずつ葉が陽刻白抜きされ、葉脈も表されています。

茶色の地の部分は鎬になっています。

かなり手のこんだ造りです。

少し高めの高台はやや内向き。

中央には福の銘が書かれています。二重圏の外線の半分は脱落しています。

高台の櫛歯紋はしっかりと描かれれています。

問題の多い折松葉紋も、今回の品にはめずらしくスピード感があります。

この品は、古九谷と言ってもいいかも知れません。

二人の人物が描かれた見込みの絵は、あまり見たことが無いなあと思いながら、大阪阪急百貨店骨董街、滝川峰晴堂の図録(昭和49年)を繰っていたら・・・・

似たような図柄の皿が載っていました。

おお、これはいけそう。

ということで、ずーーッと、奥にしまってきました。

ーーーーー To be continued -----

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古九谷写『貼花梅鶯紋長方皿』

2024年04月21日 | 古陶磁ー全般

今回も、古九谷とコピー品の狭間を彷徨う日陰者です。

12.7㎝x16.8㎝、高台 7.6㎝x11.6㎝。高 2.8㎝。江戸後期ー明治。

少し陶器がかった胎土の器に、様々な色模様が施された変形四方皿です。

見込みには、梅に鳥(鶯でしょう)が凸型で表されています。

周囲は、古九谷風の色絵が帯状に囲んでいます。

色釉の剝脱が激しいです。

皿側面の模様もそれらしい雰囲気。

この手の皿は、骨董市でも時々見かけます。

江戸中期の古九谷皿として売られていることが多いです。

この品もその一つ、古九谷なら江戸前期のはずだが!?と思いながら、何も言わずに品物を抱えて骨董市を去った内気な初心者の私でした(^.^)

さて、コレクター人生も最終コーナーになった今、この皿をもう一度眺め直してみました。

型押しか彫りの陽刻だとばかり思いこんでいた梅に鶯の凸模様は、どうも普通の陽刻とは様子が違います。

どうやらこれは、粘土の模様板を張り付けた、いわゆる貼花ですね。

貼花は、伊万里初期、超上級品に対してわずかに試みられた技法で、今回のような品に用いられるはずはありません。

日本が大きく変わる時代、江戸後期から明治にかけて、いろいろな焼物が作られるようになりました。そのような中、貼花と古九谷様式を組み合わせたこの品が作られたと考えるのが妥当でしょう。

日陰者にもそれなりの居場所を用意してやるのが、ビンボーコレクターの最後のおつとめか・・・・(^.^)

 

 

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古九谷写『色絵花鳥紋菱形皿』(5枚)

2024年04月19日 | 古陶磁ー全般

桜は終わりました。が、桜の掛軸はまだ掛かっています。近いうちに替えねばなりません。

面白古文書『吾妻美屋稀』の方も20回に達しました。

ずっと紙物とにらめっこをしてきたので、少々疲れました。

この辺で、少し趣向を変えます。

古九谷写しの菱形皿、5枚です。

かなり昔、駆け出しの頃に地元の骨董屋で入手しました。

その後ずっとしまいっぱなしになっていたのを、ゴソゴソ引っ張り出して、じっくりと見てみました。

11.4㎝x11.4㎝、高台 5.9㎝x5.9㎝、高 3.0㎝。江戸後期ー明治。

菱形の器に、色釉で花鳥図が描かれています。

ホツやニュウはありませんが、一部、色釉の剝脱がみられます。

5枚の内の一枚です。

古九谷らしい図柄ではあります。

色釉の剝脱なども好ましい(^^;

しかし、

裏面の造りは後世のそれです。

さらにその後の私の苦い経験によると、裏面が松葉模様の品はほとんどが後世。

こりゃ、足元を見られたな・・・・・・

冷静になって、もう一度5枚の皿を並べてみました。

見込みの鳥や草木、岩などの描き方が、5枚の皿で微妙に異なっています。後ろを振りむいた鳥までいます。陶工が鼻歌まじりに描いているような感じです。色釉の置き方もおおらか、早い話がいい加減(^^;)。そこそこの時代はありそうです。

どうやら、いかにも古九谷といわんばかりにカッチリとした近年のコピー品ではなく、幕末~明治にかけて作られた古九谷写しではないかと思います。

懇意にしていた骨董屋の主人(すでに故人)によれば、こういう類の古九谷もどきはけっこうあるらしい。本物として売るにわけにもいかず、さりとて贋物でもない。値の付け方が難しい、骨董屋泣かせの品だそうです。

江戸後期以降、九谷では、再興九谷で名のある諸窯以外の窯でも、多くの古九谷写しが作られたらしい。

でも、あえてそれを集めようという奇特なコレクターはいないでしょう。もちろん、骨董雑誌の記事に登場することはありません。

日陰の身なのですね(^^;

 

 

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古伊万里片身替染付宝相華紋陽刻瓢箪形皿

2024年03月06日 | 古陶磁ー全般

以前、色絵丸文が描かれた唐草陽刻瓢箪形中皿を紹介しました。17世紀後半に作られたと思われるこの皿は、唐草紋の陽刻が施された細長の瓢箪形ボディに3つの色絵丸紋が描かれています。かなり以前にこの皿を入手しました。

【古伊万里色絵丸文唐草陽刻瓢箪形中皿】(細長の瓢箪形皿)     16.1㎝x12.8㎝。高台、9.9㎝x7.8㎝。高 2.4㎝。江戸前期。

以来、瓢箪形の皿に興味をもち、骨董市やネットオークションでかなりの数の品を見てきました。そして、いくつかの事に気がつきました(あくまでも個人的見解です(^^;)。まず、瓢箪型の伊万里皿は、明治までずーっと作られていること、色絵が多い事、瓢箪の形は、ふっくらとした安定型が多く、細長い瓢箪皿は、江戸後期以降、量産されるようになった事です。

よく目にするのは、このような形の瓢箪形皿です。

【伊万里唐草陽刻色絵松竹丸紋瓢箪形皿】(ふっくら瓢箪形皿)   12.7㎝x12.7㎝、高 1.9㎝。高台径 7.4㎝x7.4㎝。江戸時代中期以降。

その他、時代が下がるにしたがって陽刻がシャープでなくなり、江戸後期以降は陽刻無しの品物が多くなりました(大聖寺伊万里、コピー品などはこの限りではありません(^^;) 。

瓢箪の形からすると、私の古伊万里色絵丸文唐草陽刻瓢箪形中皿(最初の写真)は、細長で近代の品ということになります。しかし、これは、どうみても江戸前期の品です。でも、同じような品を他に見たことが無いのです。すると、何かの拍子にたまたま造られた品か?

うーん、わからない・・・・

ということで、悶々とした日々を送っていた(相変わらず大袈裟)ところ、最近、ネットオークションで次の品を見つけ、入手しました。

15.9㎝x12.8㎝。高台、9.9㎝x7.4㎝。高 2.4㎝。江戸前期。

おおこれは、他に類例があるのかと悶々としていた細長の瓢箪形皿そのものではありませんか。しかも染付け、さらに片身替わり。

皿の左側に、染付けで唐草紋が描かれています。陽刻の唐草紋と同じ図柄です。墨弾きで輪郭線を描き、地の部分は濃、花びら、葉は淡、と濃淡で塗り分けています。細長色絵瓢箪形皿の場合には気づきませんでしたが、染付け部分には、陽刻が施されていません。一方、上のふっくら形の色絵瓢箪形皿では、全面が陽刻です。細長色絵瓢箪形皿も陽刻模様は今回の染付片身替瓢箪形皿と全く同じで、左側に陽刻はありません。そして、三つの色絵丸紋も、この陽刻の無い部分に描かれています。

それにしても、この図柄は珍しい。ず~~っと御無沙汰(10年?)の柴コレを探ってみることにしました。8巻まで全部目を通すとなると気が遠くなるが・・・と、まずⅠ巻をひもとくと・・

早々に、似た模様がありました(57頁)。

1660~1670年代とあります。

今回の品は、陽刻部が唐草紋であるだけでなく、さらに、片身で染付の唐草紋が描かれています。いわば、ダブル唐草(^.^)  しかも、古典的な唐草紋です。そこで、敬意を表して、「宝相華紋」としました。名付けて、「古伊万里片身替染付宝相華紋陽刻瓢箪形皿」。「宝相華紋」は、「染付・・・・」と「・・・・陽刻」の両方にかかっています(^.^)

実は、今回の品を入手する2週間ほど前に、同手の瓢箪型皿がネットオークションに出ました。あれよあれよという間にどんどん上昇。最終的には、諭吉センセーが17人も並ぶという、トンデモナイ落札額になってしまいました。当然、ギブアップ。

その後すぐ、別の業者さんが同種の品を出品され、めでたく私の手元にやってきた次第です。

その訳は、

高台にホツ(写真右下)有り、発色(特に裏面)がイマイチ、だからでしょう(^^;

しかし・・・

箱の中に、古い紙きれが。

「粟田美術館蔵 額入皿と同様  秋田市”辻兵”家旧蔵の品」

粟田美術館に、同じような品が額に入って展示されている。秋田きっての素封家、辻兵に所蔵されていた品。

これが本当なら、やはり、細長の【古伊万里色絵丸文唐草陽刻瓢箪形中皿】は、悶々とするだけの意味がある品だったのでしょう(^.^)

 

 

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