遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

源氏物語『野分』四方盆と源氏絵「野分」

2021年07月31日 | 漆器・木製品

源氏物語『野分』の和歌と絵が刻まれた沈金四方盆です。

21.5 x 21.5㎝、高2.3㎝。明治―戦前。

沈金技法で、和歌と絵が刻まれています。

 風さわき
         むら雲
           まよふ
            ゆふ
 わすれる      へにも
   まなく
     わすられぬ
           きみ

「風さわぎ むら雲まがふ 夕べにも わするる間なく わすられぬ君」

 

小川の畔に、菊と女郎花と思われる花が咲いています。

 

この和歌は、源氏物語第28帖『野分』で詠まれた歌です。

第28帖は、源氏の次男、夕霧をめぐる女性たちの物語です。登場する女性は、紫の上、玉鬘、雲井雁、花散里、明石の姫君などです。

夕霧、15歳の初秋、野分(台風)が来襲します。大風がおさまった後、夕霧は、各所をお見舞いに訪れます。帰ってから、夕霧は、相思相愛であった雲井雁に和歌を贈ります。
「風さわぎ むら雲まがふ 夕べにも わするる間なく わすられぬ君」
 (風が吹き荒れ、雲が乱れ迷うほどの夕べでしたが、片時もあなたのことを忘れることはありませんでした)
これほどまでに貴方のことを思っているのですよと、雲井の雁に熱い思いを語りかける歌です。
でも、「わすられぬ君」とは、雲井雁ではなく、実は、継母、紫の上をさしていると思われます。なぜなら、大風の後、見舞いで訪れた時、紫の上の姿をちらっと見て、夕霧の心は大きく揺り動かされました。以来、紫の上のことで頭がいっぱいだったからです(^^;

 

源氏絵「野分」、21.9 x 25.8㎝。江戸中期。

盆の絵は、女郎花と菊で、秋の情景を表しています。が、野分とは直接の関係はありません。

一方、この源氏絵では、女性が一人、嵐が去った後の荒れた庭を眺めています。草々はなぎ倒され、垣根も倒れています。

この女性が誰かは不明です。私としては、紫の上と思いたい(^.^)

 

源氏物語和歌シリーズの盆も、今回の『野分』が最後です。

これで、10枚の源氏盆のブログアップが済みました。

第4帖『夕顔』「寄りてこそ・・」      能『半蔀』『小督』『楊貴妃』
第7帖『紅葉賀』「立ち舞うべくも・・」 能『船弁慶』
第10帖『賢木』「神垣は・・」        能『野宮』
第18帖『松風』「身を変えて・・」 
第22帖『玉葛』「恋わたる・・」   能『玉鬘』
第28帖「野分」「風さわぎ・・」
第37帖『横笛』「横笛の・・」      能『落葉』
第44帖『竹河』「竹河の・・」
第48帖「早蕨」「この春は・・」
第49帖『宿木』「宿り木と・・」

これらの四方盆は、源氏物語の和歌と絵を沈金で描いたものです。能や謡曲を意識して作られた物ではありません。にもかかわらず、半数の品が、能と関係していました。能、謡曲が、源氏物語のような古典を取りこんで作られていることがよくわかります。

 

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源氏物語『宿木』沈金盆と源氏絵「宿木」

2021年07月29日 | 漆器・木製品

今回の品は、輪島塗源氏物語『宿木』四方盆です。

21.4 x 21.5 ㎝、高 2.3㎝。明治―戦前。

沈金技法で、和歌と絵が刻まれています。

        宿りきと
      おもいいてすハ
        このもとの
             旅寝も
                 いかに
      さひし
          からまし

 「宿り木と 思い出でずは このもとの 旅寝もいかに 寂しからまし」

源氏49帖『宿木』の一場面です。
この巻では、源氏の子、薫を中心に様々な人間模様が描かれています。この歌は、薫が浮舟について尋ねようと、晩秋、宇治の弁の尼(八宮の老女房)を訪問した時に詠まれたものです。

尼からいろいろな話を聞き、その夜は山荘に泊ります。やがて夜が明け、薫は歌を詠みます。

宿りきと 思い出でずは このもとの 旅寝もいかに 寂しからまし

(昔泊った宿と思い出さなかったなら、この木の下(宇治山荘)の旅寝もどんなに淋しかったことでしょう)


薫の独白にも似たこの和歌に対して、弁の尼が詠みます。
「荒れ果つる 朽木のもとを 宿りきと 思ひおきけるほどの悲しさ」
 (荒れ果てた朽木のもとを、昔泊まった家と覚えていて下さったのが悲しいです)

薫の詠んだ歌に、第49帖『宿木』の題名が由来します。
それにちなんでか、今回の盆には、幹に別の木が生えた松の木が描かれています。

ん!宿り木は、まん丸に近い形では?
図鑑を調べてみると、これは、よく見られる丸いヤドリギではなく、松に寄生するマツグミという宿り木であることがわかりました。
ですから、これでOKですね。

が、ここで再び?
第49帖『宿木』のこのくだりに、松は全く出てこないのです(^^;
「宿り木の・・・」の歌は、次のような一節のあとに来ます。
「木枯しの堪へがたきまで吹きとほしたるに、残る梢もなく散り敷きたる紅葉を、踏み分けける跡も見えぬを見渡して、とみにもえ出でたまはず。いとけしきある深山木に宿りたる蔦の色ぞまだ残りたる。こだになどすこし引き取らせたまひて、宮へと思しくて、持たせたまふ。」
(木枯らしが、たえ難いほど吹き抜けるので、木の葉も残らず散って、敷きつめた紅葉を踏み分けた跡も見えない光景を見渡して、すぐにはお帰りになりません。たいそう風情ある深山木にからみついた蔦の色がまだ残っています。この蔦だけでもと、少し引き取って折られました。宮へとお思いだったのでしょう、それをお持ちになりました。)

 ここでのポイントは、蔦ですね。秋の日、木の葉が散って裸の木々に絡みついた鮮やかな蔦。

やどりぎ(寄生木)は、植物に寄生、半寄生、着生する木々の総称で、ヤドリギ、ツクバネ、マツグミなどとともに、蔦も含まれるそうです。
蔦の別名は、「宿り木」。本物の寄生木ではないですが、木の幹、枝を借りて成長するのでこのように呼ばれるのでしょう。
ですから、今回の盆に描かれた松とマツグミの絵は、ハズレということになります。

 

そこで、手元にある源氏絵「宿木」を較べてみました。

源氏絵『宿木』。21.5x25.7㎝、江戸中期。

 

確かに、薫とおぼしき若者が、蔦の一枝を取ろうとしています。

今回の「宿木」は、色づいた蔦のことだったのですね(^.^)

ただ、蔦が絡まった木の葉はまだ青々しているし、足元にはびっしりと散りばめられた紅葉が描かれていません。晩秋の雰囲気が出ていない・・・・・絵師の手抜きですね(^^;

 

薫を見つめる弁の尼も、やけに若い(^^;

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源氏物語『竹河』沈金盆と源氏絵「竹河」

2021年07月27日 | 漆器・木製品

源氏物語盆シリーズです。

今回は、源氏物語第44帖『竹河』です。

21.3 x 21.7㎝、高 2.2㎝。明治ー戦前。

 

沈金技法で、和歌と水辺の竹が刻まれています。

    竹川の
        はし
         うち
          出し
  ひとふしに
         ふかき        底は
      こころの            しり
                             きや

 「竹河の橋うち出し一節に 深きこころの底は知りきや」
             
源氏物語第44帖は、 髭黒関白を亡くした後の玉鬘とその子供たちをめぐるお話しです。
玉鬘の二人の娘は美しく、特に姉、大君は評判の器量良しでした。源氏の子、薫や夕霧の子、蔵人の少将は、大君に思いを寄せていました。
薫は、三男藤侍従を訪れ、玉鬘邸で、夜、酒を飲み、琴を弾き、歌を謡います。歌は、催馬楽の竹河です。蔵人の少将も一緒です。しかし、皆の注目は、薫に集まりました。
先に帰った薫は、翌日、藤侍従に手紙を届けます。そこに添えられていたのが次の和歌です。

「竹河の橋うち出し一節に 深きこころの底は知りきや」
 (昨夜、竹河を謡いましたが、その一節に込められた、私の深い心の内をわかってくださったでしょうか)
手紙は藤侍従宛ですが、この歌の相手は明らかに違いますね。
私の心をわかって欲しいのは、玉鬘、それとも大君でしょうか。

 

源氏絵「竹河」、22.2x25.9㎝、江戸時代中期。

これは、「竹河」の源氏絵ですが、先ほどの竹河の歌よりも少し後のお話しです。薫と藤侍従が冷泉院邸を訪れた時に、庭の藤を愛でている場面です。一方、先ほどの和歌の場面に相当する源氏絵は、室内で、数人の男たちが酒盛りをしている所です。同じ帖でも、複数の源氏絵が存在します。
この絵で、川べりに竹が描かれているのは、竹河を意識しているからでしょうか。

竹河の歌の場面の源氏絵が載っている江戸の源氏物語版本もどこかにあったと思うのですが、見あたりません。いつもの事です。捜しておきます(^^;

 

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源氏物語『早蕨』四方盆と源氏絵「早蕨」

2021年07月25日 | 漆器・木製品

『源氏物語』第48帖「早蕨」の和歌を刻んだ輪島塗沈金四方盆です。

21.6 x 21.5 ㎝、高 2.2㎝。明治ー戦前。

和歌と蕨が入った籠が沈金技法で描かれています。

      みねの
            さわらひ

  このはるハ
       たれ
          にか
            みせん
かたみに       なき人の
  つめる

「この春は たれにか見せむ 亡き人の かたみに摘める 峰の早蕨 」

 

『源氏物語』第48帖「早蕨」は、源氏の子、薫、源氏の外孫、匂宮と宇治八の宮の娘、中君の間の微妙な関係のお話しです。この和歌は、48帖の冒頭の部分、中君の父の師、阿闍梨からの早蕨に添えられた和歌を巡る部分です。
時は早春。父八宮と姉大君の両方(母は幼少時に死亡)を亡くした中君のもとへ、阿闍梨から例年通り、蕨と土筆が送られてきました。傷心の中君を慰めようとの心遣いです。
添えられた歌は、
「君にとて あまたの春を つみしかば 常を忘れぬ 初蕨なり」
(八宮の君のためにと、年毎の春に摘んできました。今年も例年通りの初蕨です)
この歌に対する中君の返歌が、今回の盆に刻まれた和歌です。
 「この春は たれにか見せむ 亡き人の かたみに摘める 峰の早蕨 」
(この春は、誰に見せましょうか。亡き人の形見に摘んだ峰の早蕨を)

 

 この場面を描いたのが次の源氏絵です。

源氏絵「早蕨」:22.0 x 25.7 ㎝。江戸中期。

 

中君、脇に女房が座っています。その前には、蕨の入った籠が置かれています。
中君は、文を読んでいます。籠に入っていた蕨、土筆に添えられた阿闍梨からの手紙です。慰みの言葉とともに、「君にとて」の歌が 添えられていました。中君は、阿闍梨に返事を書きます。この時に添えられた歌が、「この春は たれにか見せむ 亡き人の かたみに摘める 峰の早蕨 」です。

このように、静かな宇治の里で傷ついた心を癒していた中君ですが、都へ出て匂宮と結婚します。そして、匂宮の後見人、薫と・・・・・例によっての展開となるわけです(^^;

第48帖「早蕨」の冒頭部は、そんなどろどろとした物語を予感させない静かな展開です(^.^)

 

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源氏物語『松風』四方盆と江戸時代版本『まつかせ』

2021年07月23日 | 漆器・木製品

これまで、源氏物語からの和歌を刻んだ輪島塗四方盆のうち、能、謡曲と関係のある物をいくつか紹介してきました。

それらの盆は、元々、能、謡曲を意識して作られたのではなく、源氏盆に刻まれた和歌が、謡曲に取り入れられた物を紹介した訳です。

残りの盆は、能、謡曲とは直接関係はありませんが、せっかくですから、漸次紹介します。

輪島塗沈金松風四方盆、21.6x21.5㎝、明治ー戦前。

 

みをかへて
 ひとり
かくれる
      山さとに
ききしに
      にたる
    松風そふく

「身を変へて 一人帰れる 山里に 聞きしに似たる 松風ぞ吹く」

松の木に風が強吹いています。

 

『まつかせ』11.3 x 14.2 ㎝、21丁、江戸中期。

   ↑ ↑ 尼君、明石の君の歌

源氏物語第18帖『松風』の一場面が描かれています。

源氏は、上洛をためらう明石入道に対して、都の明石入道の旧邸を修復して、そこに明石の君とその母、尼君を呼び寄せました。源氏の訪問がない中、松風が強く吹くある日、源氏の形見の琴を弾いていると、松風がまるで合奏するかのように吹きすさんできました。横になっていた尼君は起き上がって歌を詠みます。
 「身を変へて 一人帰れる山里に 聞きしに似たる 松風ぞ吹く」
(尼の姿に変わって 一人帰った山里に かつて聞いたような松風が吹いています)
それに対して、明石の君が返します。
 「故郷に 見し世の友を 恋ひわびて さへづることを 誰か分くらん」
(故郷で懐かしいあなたを恋しく思い、琴をひいているのですが、私が弾いていると誰が分かってくれるでしょう)

挿絵は、この時の情景を描いています。四方盆の松は、この絵の右上部の松を彫ったものだと思われます。

源氏物語54帖の中の一場面を描いたこのような絵は源氏絵とよばれ、数百種が知られています。

 

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