遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

日本人が使っていた李朝箪笥

2021年09月09日 | 古陶磁ー高麗・李朝

先のブログで、李朝の箪笥バンダチを紹介しました。

実は、同じような品がもう一つあります。

幅 83.6㎝、奥行 42.5㎝、高 78.3㎝。李朝時代。

先のバンダチより一回り半小さいです。

使われている松もそれほど良い材ではありません。また、先の品のように、木材を組んで箱を作っているのではなく、単に釘で打ち付けただけの箱です。

 

前金具は、かなり豪華に見えます。

把手は打出しです。

が、金具の金属は薄くペラペラなので、写真右上のように、端が捲れている所があります。

このバンダチは古い物なのですが、上手品とはとても言えません。

鍵は、時代物。

このバンダチの価値は、内部にあります。

前蓋を開けると、内側の板に、何やらベタベタと。

日本語とハングル混じりの紙が貼ってあります。

 

バンダチの蓋の内側が一番きれいに残っています。

これは、野菜品種の紹介、宣伝パンフレットですね。戦前、日本統治下の朝鮮で出されたものです。内側にも、同じような紙がいっぱい貼られています。なかには、昭和16年や18年と読める物をもあります。

どうやら、この李朝箪笥は、戦前、朝鮮半島に滞在していた日本人の農業関係者が使用していた物のようです。

李朝と日本人と言えば、まず。浅川伯教、巧兄弟が浮かびます。まだ誰も注目していなかった、陶磁器をはじめとする李朝の文化に美を見出し、その保存に尽力した稀有な日本人です。特に、浅川巧は、農業技術者として赴任して熱心に指導する一方で、日本統治下で毀されていく朝鮮文化を守りました。彼は人々の中で暮らし、40歳で朝鮮の土となりました。今でも人々は、彼を敬愛し、追慕しています。

浅川巧が亡くなったのは昭和6年ですから、このバンダチの貼り紙(昭和18年前後)とは合いません。が、もしかしたら兄伯教(昭和21年帰国)とは何らかの関係があるかも知れません。

浅川兄弟がその美を見出した、李朝の白磁を置いてみました。

以前のブログで紹介した絵画です。

李景朝『白磁のある静物』

やはり、李朝の白は独特の雰囲気をもっていますね。

実は、遅生の大学時代の親友は、浅川兄弟の遠縁にあたる人でした。このバンダチを手元に置いておいたら、と言ったら、スペースがない、との返事。彼は、都会のマンション暮らしなのでした(^.^)

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする