養老を紹介した小冊子です。
13.3cm x19.1㎝。72p。岐阜県。昭和8年。
小冊子ですが、しっかりとした作りです。
岐阜縣が発行元なのですね。
養老の滝:
養老公園全景:
当時流行りのパノラマ地図も付いています。
養老公園の描き方は、これまで紹介してきた浮世絵などとは違って、随分平坦です。実際、養老の滝まではそれほど急峻な道ではないので、この図の方が実感に近いです(^^;
写真や絵図はこの手の品にはつきものですが、今回の小冊子は、本文で、かなり真面目に「養老」を紹介しています。
なんと、養老の滝を登っていく(登坂?)と、スキー場があったのですね。
雪が降ってもすぐ溶けてしまう低い養老山脈ですから、スキー場があった話は聞いたことがありません。昭和初期には、今よりずっと多くの雪が降っていたのでしょうか。
最後の頁に、養老方面への交通(伊勢電鐵)が載っています。
伊勢電鉄は、大正から昭和にかけて、三重県を中心に伊勢神宮への鉄道として作られました。養老へは、東海道線経由、大垣で伊勢鉄道に乗り換えて養老へ行くのが普通ですが、伊勢電鉄のルートに従えば、名古屋方面からは、伊勢神宮だけでなく、桑名を経て養老へも行くことができます。当時はかなりの利用客があったものと思われます。
伊勢鉄道は、その後、近鉄となり、さらに現在は養老鉄道として運営されています。典型的なローカル線ですが独特の風情があります。桑名から養老まで50㎞ほどを、濃尾平野の西端、養老山麓を、コトンコトンと揺られながら、伊勢街道(美濃街道)を往来した古人に思いをはせるのも一興かと思います。なんせ、あのヤマトタケルが伊吹山の荒ぶる神に敗れて、この街道を南下したという伝説があるくらいですから(^.^)
それでは、「養老」の紹介も、かなり真面目なものになるのでしょうね。
誇張されることもなく、割と淡々と忠実に紹介されているのでしょうね。
遅生さんの近くには、昭和初期にはスキー場もあったのですか。
今よりも雪が多かったのですね。
これも、温暖化の影響でしょうか、、。
私の子供の頃までは、伊吹山のスキー場が定番でした。それも今では開いているのかどうかはっきりしません。もっと近くの揖斐高原には、近くの医者でスキー狂いだった人が、午前の診察が終わって、夕方の診察までの間の数時間、ダーッと滑りに行ってました(^^;
今は近場でのスキー、聞いたことがありません。
今では至るところに人工物の観光スポットがありますが当時はこういった自然が観光のメインだったんですかね!?
県が出版するなんてなかなかの力の入れようなのではないでしょうか?
養老乃瀧は行ってみたいですね(^^)
養老の滝は、古代からの名所ですから、戦後の衰退はもはや歴史書に刻まれるべき事象です(^^;
一時は、居酒屋「養老の滝」がブイブイいわせてましたが、それもいつのまにか風前の灯火(^^;
だいたい、孝行息子なんてどこを探してもいません(^-^)