生きている?木彫達磨
達磨さんの頭、白くなっています。松ヤニが出たときに、家人があわててティッシュで拭いてしまい、ちぎれた紙がヤニで固まってしまって、取れません(笑)。
木彫の達磨です。
私が物心ついた時、床の間の隅にありました。祖母が嫁いできたときには、もう同じ所にあったと言ってましたから、優に百年は、そこにずーっと居続けたことになります。
高さ24cm、巾6cm。ずっしりと重い。
腰の辺には、枝が出ていた跡が。
よく見ると、裾の下に、右足が少しのぞいています。
顔の表情がいい。こちらを一喝するのではなく、この世の哀しみを自身で引き受けていらっしゃる風に見えます。額のヒビは、怒りではなく苦悩の印でしょう。
掛け軸などに描かれた達磨の像も、良い品は、厳しさの中に、優しさをつつみこんだ風貌です。厳しさは自身に、優しさは衆生に、ということでしょう。
素材は、松です。表面にブツブツが。特に、胸と頭に多くあります。
松ヤニです。松ヤニは、木の表面に滲み出たときはネチャネチャしていますが、時間がたつと固くなります。
出たばかりの時、布で拭き取ってやると、ツヤツヤとした木肌になります。
肥松の盆などは、こうやって世話をしていくと、長年の間に得も言われぬ味わいに育ちます。
実は、祖母から、「この達磨さんは生きている」と聞かされていました。何故かというと、この木彫からは、毎年、春と秋の2回、松ヤニが出てくるのです。
毎年、何十年間、それをきれいに拭き取っていました。小さかった私も、祖母から布をもらい、一生懸命ヤニを取りました。この松ヤニを、石けん液に少し入れて吹くと、とても艶のある割れにくいシャボン玉ができたからです。
漆の採取は季節仕事だそうですから、松ヤニの出方に季節があっても不思議ではないでしょう。
しかし、この松は、切られてから何十年と経っています。それでも、昔の記憶を枯れ木の中に留めているのでしょうか?やっぱり不思議です。
達磨は生きている?
漆やゴム、そして松ヤニ。みな、木の傷口からしみ出して、やがて固まります。傷を修復する仕組みには驚かされます。
そう言えば、ここ何年間、ティッシュが頭に付いたままの木彫達磨から、新しいヤニは出てきません。傷口が塞がっているのですね。
今、迷っています。このまま、傷を塞いでおくか、それとも、取り除いてピカピカに磨いてやるか。
いつのまにか祖母の年を越えてしまった私としては、固まったヤニを取って、生きた達磨に戻してやりたいと思っています。そして、松ヤニを入れて、シャボン玉をもう一度、吹いてみたいのです。