堀川環境保護(塵芥捨等禁止)高札
ゴミ捨て禁止、釘拾い禁止の札です。
珍品です。
巾60cm、厚さ3cm、重さ2.7kg。堅固な造りですが、真ん中で割れていて、今にもバラバラになりそうです。やむなく、裏から、鎹で止めました。陶磁器では無理ですが、木ならできる(笑)。
高札場以外の所に掲げてあったのでしょう。三カ所、穴があいています。釘で打ち付けて、固定したと思われます。
屋根がついていないせいか、風化がすすんでいます。墨書は残っていません。
例によって、横から強力ライトをあてて、何とか解読できました。
一御触書之通
此川筋塵芥
捨累遍可ら須
一釘飛らひ裳
不可入候事
上立売通小川南入
堀之上町
裏面: 天保十四年
卯月五月 建之
一、御触書の通り
この川筋に
塵芥を捨てるべからず
一、釘拾いにも
入るべからず
上立売通小川南入
堀之上町
天保十四年
卯月五月 建之
この札は、幕府や藩の出す高札ではありません。かといって、全くの私的高札でもない。
発給主体は、「上立売小川南入 堀之上町」です。この町は、今も、京都市内を南北に走る堀川通りに沿った所にあります。現在の堀川は小さな水路や暗渠にすぎず、水もほとんど流れてませんが、江戸時代は、巾8丈(24m)の河川で、木材などの船運が盛んでした。
この高札から、江戸後期、町中の川は、現代と同じような問題を抱えていたことがわかります。
「御触書にあるとおり、この川筋にゴミをすてるな。釘拾いにも川へ入るな」
昔から、川は、安易なごみすて場だったんですね。
また、江戸時代、鉄は貴重品で、釘を拾えば金になった。火事の焼跡は釘拾いの人間でいっぱいだったと言われています。川に入って川底をかきまわして、釘をさがす者も多かったのでしょう。火事場に行かなくても、釘が拾えるのですから。
このような行為を戒めるため、堀川筋には、何度も触書(町触)が出されました。それでも、不届者があとをたたないので、このような高札を出したのでしょう。河川環境保護のさきがけですね。
京都町衆の自衛、自治精神の発露というべきでしょうか。