贋金銀取締り高札
今回は、贋金造りを取り締まる高札。
江戸中期はありそうな、古びた高札で、上部は虫喰いが激しく、屋根の片方は失われています。
長さ60cm、重さ1kg強。裏側は、蟻仕口で2本の木で補強されています。
似せ金銀銭拵ひ候もの候幷売
捌候もの難為御制禁、近年
奥羽筋ハ専ら行候もの有之に付
今度吟味之上、夫々被遂厳科候
就而は右両国は勿論、国々厳敷
可被遂御穿鑿候条、銘々無油断
相改、自然疑敷もの有之は、早々
其筋へ可申出、品々に寄御褒美
被下、其ものより仇をなさゞる様
可被仰付候、若見聞におよび
隠置他所より顕るゝにおゐてハ
其所之もの迄も罪科に可被行候
六月
右之趣従公儀被仰出、之迄彌
領内之輩此旨堅可相守之者也
式部少輔
贋金をつくる者やそれを売りさばく者は、御禁制破りである。近年、奥羽筋には専らこれを行う者がいるので、この度、調べ上げ、それぞれ、厳しく罪を問うことになった。ついては、右の二カ国はもちろん、国々を、厳しく調査する。銘々、油断なく調べ、疑わしい者がいるなら、すぐに関係役所へ通報せよ。その内容により褒美を与える。また、その者が恨みに思って仕返しをしないように申し付ける。もし、見聞きしながら匿って、他から露見した場合、その所の者までも、罪に問われるであろう。
六月
右の趣意は公儀に従って仰せ出された。この旨を、領内の者共は、堅く守るべきものである。
式部少輔
右の二カ国(奥羽筋)とは、常陸国と出羽国。
榊原式部少輔は、江戸前期の老中。
江戸時代には、早くから、贋金造りが横行していたようです。貨幣の信頼性が低下すれば、幕府の根幹がゆるぎかねないので、贋金造りやその流通を厳しく取り締まり、贋金造りには極刑が科せられました。
この高札は、贋金取締りの元になるものですが、なぜか、江戸幕府の法令集、御触書集成には載っていません。
厳しい取締りにもかかわらず、江戸時代を通じて、贋金は流通していました。
そんな中で、この高札と、ほぼ同じ文面の通達が、幕末に、仙台藩に対して出されています。
似せ金銀銭拵ひ候もの候幷売
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其所之もの迄も罪科に可被行候
六月
右之通可被相触候
右書付水野越前守殿御渡被成候間、大目付衆御廻状到来之段、公儀使相達江戸より申来候間、此旨何れも屹度可相心得候。若等閑に成至、後日に願候はば曲事可被仰付条、向々へは不及申御城下検断肝入等在々は村役付等自今厚遂穿鑿、疑敷者有之候はば速に召捕候様、御城下在々共如兼ねて相触候様可有之候 以上
天保十三年八月十七日 豊前 對馬 監物 大蔵
主な文面は、高札と同じですが、最後の段落の部分、右書付・・・以下が大幅に付け加えられています。
「老中、水野越前守(忠邦)から大目付経由で公儀の使者が、江戸から仙台へ、この書き付けを持ってきた。すぐに各所に回し周知徹底せよ。疑わしい者がいたら直ちに召し捕れ。」とあります。
江戸後期には、各藩の財政事情が極めて厳しくなり、秘かに贋金造りをする藩もあったようです。
天保13年は、天保の改革のまっ最中。綱紀粛正の名のもと、厳格な統制を全国規模で行った時期です。贋金造りの本場、奥州がまず狙われたのでしょう。