遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

そこまでやるか萬古焼4

2019年02月21日 | 古陶磁ー国焼
異国趣味の焼物

 馬上杯、ワイングラス・・・・よく似た形の焼物4点です。
 日本には元々なかった形の品で、幕末、異国との交流が盛んになってから、焼かれ始めた陶磁器でしょう。



一つずつ見てゆきます。















少しボテッとした半陶半磁の器胎に、犬山の押印、犬山焼です。















呉須赤絵写しに、犬山の書き銘。典型的な、犬山焼です。
















先の2点より、薄造り。焼きも堅い。絵付けは、呉須赤絵と南蛮風の中間。犬山か萬古か?高台の土見せに、釉薬をペタリとひとしずく置いていることから、犬山で、いかがでしょうか?

問題は、最後の盃です。



高さ5cm程の小さな盃です。精緻な絵付け、細工が施されています。ステム部は、複雑骨折を賢明に修理した跡があります。
これは、何焼き?似た形の杯洗をどこかで見た記憶が・・・・・・焼物の名称だけは、覚えています。
安東焼。早い時期に、萬古焼から分かれ、三重県安東村(現、津市安東)で焼かれた南蛮風の焼物です。



底に、「嘉永年製」と書かれています。日本の陶磁器に、「(大明)成化年製」以外の銘が書かれるのはまれです。何か特別の理由があったのしょうか?
 安東焼(古安東)はやがてすたれ、嘉永6年に再興されることになるので、その辺りに関係があるのかもしれません。


阿漕焼 VS. 萬古焼

再興された安東焼は、阿漕焼とよばれ、明治期、有節萬古風の盛り上げ絵付けの品を多く産出しました。

この品は、明治の阿漕焼です。


明治22年、画工、東江(大河内又四郎)による蝉笹図菓子鉢です。
当時流行のアールヌーボーの影響も少々。ほとんど無名の職人に銘をゆるすとは、ずいぶんすすんでいます。


裏側は、高台に阿漕の押印が10時の位置にあります。が、全体としては、締まりに欠けた造りです。

一方、これは、同時期と思われる萬古焼。日本的な絵付けの皿です。




裏側に、夏蜜柑の果実の残りが・・・・心憎いばかりの品です。
 阿漕焼と萬古焼、完全に、本家、萬古焼に軍配があがります。

 その後、再興安東阿漕焼は急速に衰退し、消滅と再興を繰り返すのですが、古萬古、古安東の趣をもった焼物が生まれることはありませんでした。



       焦熱代焦熱の 焔煙雲霧
       たちゐに隙もなき 冥土の責めも度重なる
       阿漕が浦の 罪科を
       助け給へや旅人よ 

 阿漕が浦は、能「阿漕」の舞台となった所です。禁を犯して密漁を行い、殺された老漁夫が、地獄の責めに苦しむ能です。
 今夜は、久しぶりに謡本を出し、阿漕の世界に浸ってみます。





コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする