本日は晴天なり

誰しも人生「毎日が晴天なり」とは行かないものです。「本日は晴天なり。明日はわからないけどね」という気持ちを込めました。

男と女の間には深くて長い川がある

2006年01月20日 17時59分33秒 | 家庭内事情
うちのパートナー殿は今どき流行のカウンセラーの卵であります。

普段は家事も手伝ってくれたり、いい人ではありますが、一番私がムムッ、コイツは、と頭に来るのは、時に妻のワタクシに対しカウンセラーモードが顔を出すことであります。

過去においては、職場のことで悩んでいた頃、不満がつのっていてよく彼にグチを言っていたところ、だんだん疲れて来たのかしまいには「ふーん、キミはそう思うんだ~。」とのたまうようになりました。
これは、カウンセラーの常套手段、「共感なき傾聴」だったか、そんな手法であります。相手の言うことに必ずしも賛成はしていないが、言いたいことは一応理解した、というわけです。

そういうテクニックがあると知っている私にあえてそのテクニックを使用する、そういう態度が私を余計に逆上させます。女はときに話を聞いてもらって、気持ちを分かち合ってもらいたいのだ!「キミの気持ちは分かるよ」となぜ言えないのだ、それが分からなくて何がカウンセラーなのか!と詰め寄るとテキは自分の陣地に立てこもり籠城します。

....とこんな風に、幾度か小競り合いを演じた後、ようやく最近では、二人の間に緊張感が走り始めると、お互いの間にある深くて長い川を睨みつつも尊重するようになって来ているように見えます。まあ、別の言葉で言えば、アキラメとでも申しましょうか。

まあ、それでもやはり、ときにはその川を越えて矢が飛び交うこともあります。
今朝も、私が、「ある人の行動について私はこう思う」というようなことを言っていたところ、「キミは以前も他の人のことで同じようにこだわっていたけど、それはキミ自身に何かこだわってしまう理由があるんだと思う」とエラそうに申しました。それはその通りかも知れないけれど、じゃあ、どうすりゃ良いのだ、どうしても考えてしまうんだから仕方ないじゃないか、こちとらあんたんとこの心理学教の信者じゃない、心理学の分析の範囲内で生きてるわけじゃないんだ、私には私なりの信念があるんだ!... という言葉は途中から飲み込み、テキからしばし距離を取ります。

そのとき、テキの陣地でガラガラガッシャーンという大きな音と共に「あ~!」と言うテキの声。何かを壊したか、倒してしまったようです。それだけなのになぜだか嬉しくなり、「天罰テキメ~ン!」と叫ぶと、テキは悔しそうな顔をしながらも時間切れのため勤めに出かけたのでありました。

そして後に残ったワタクシは、なんとなく憂さを晴らせたような気持ちになったのでした。