光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

切られ与三郎の墓と木更津のレトロ建築

2022年12月09日 | 日記

    

  先日こどもまつりを撮影に行ったとき、西口近くの光明寺に寄ってきました。歌舞伎狂言「与話情浮名横櫛」で木更津を一躍有名にした「切られ与三郎の墓」を見るためです。ただ与三郎は実在の人物ではなく、話のモデルになった人物が木更津の紺屋で修行をしていたと言う事で、この光明寺に墓が建てられたそうです。今でも歌舞伎役者がこの話を演じる際には、この墓を訪れています。

 

 光明寺裏手の与三郎通りには、昭和10年(1935年)に建てられた内山洋服店が在ります。現在は営業しておりませんが。ショーウインドウには当時使用したアイロン等が展示されています。

 

 与三郎通りを進むと昔のメインストリートだった田面通り(たもどおり)に突き当たります。その通りを左に曲がって200m程行くと交差点があり、角に洒落たレトロ建築が建っています。旧金田屋洋品店で現在はアンティークショップ「金田屋リヒートミューレ」として営業が続いています。建物は昭和7年(1932年)の建築で、菱形のステンドグラスが印象的です。

 この金田屋の右隣は紅雲堂書店。明治元年(1868年)に本屋を始めたのですが、それ以前の江戸時代には乾物の卸を商いしていたそうです。建物も明治時代の物だそうで、大きな看板が店の旧さを語っています。

 この田面通りを港の方に進むと白い建物が見えてきます。安室薬店です。現在は営業しておりませんが、レトロな看板建築が通行人の目を引きます。東京の銀座にあった文房具店をモデルに昭和4年(1929年)に建てられたモダンな建物で、木更津を代表する看板建築です。

 

  そして安室薬店の角を右に曲がり「さかんだな」と言われた通りを100m程進みます。するとヤマニ綱島商店があります。「さかんだな」はこの通りが軒並み魚屋だったことから「さかんだな(魚の店)」と呼ばれていたそうです。

  ヤマニ綱島商店は江戸時代末期(慶應2年1866年)に創業し、それ以来乾物屋を営んでいる老舗です。店は江戸末期の建築で木造平屋一部二階建。棟高の異なる蔵造が前後に並ぶ独特の外観で国登録有形文化財に指定されています。



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