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 【憲法まとめ】そうだったのか、憲法九条!~国語的読解から~

2015-08-14 10:31:52 | 憲法9条

 そうだったのか、憲法九条!~国語的読解から~

  今、国会では安保法制論戦で火花を散らしている。
一方、巷では 九条をめぐって護憲派、改憲派いずれの活動が活発だ。

 ところで、9条には何と書いているのか説明を求めたところ、いずれの派の人も「戦争を・・永遠に放棄する、ってヤツだろう?」程度の返答しかない。実は、私と同様なのだ。

 そこで、自分の反省も込めて、9条を国語的に(=客観的に)、再確認してみることにした。
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 その前に、このような場合の私の”流儀”について述べておきたい。
それは、・・・「今までの知識(先入観)を一旦とっぱらった上で、何度も解るまで読んでみる、そしてどうしても分からない箇所については何らかの方法で調べてみる」・・・という方法である。(時間はかかるが・・・)
何故そうするかというと、いきなり関連書を読むと、初めに読んだものに影響されてしまうからである。
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 それでは、先ず、「ざあーと読み」してみよう。

 「憲法9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 第二項 前項の目的を達するため、陸海空その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」   (頭がクルクルなる文章ですねえ)

 今度は、「じっくり読み」で・・・ 憲法9条 第一項から。
  先ず(主語・述語は・・・っと) 「日本国民は、・・・永久に「これ」を放棄する。」

「これ」って、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を指すので、「戦争」という言葉にまとめると
「日本国民は、・・・永久に「戦争」を放棄する。」となる。ここまでは、日本人の常識ですよね。

 次に、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」・・これは希望願望ですから、そのままにして・・・

 最後に残ったのは、「国際紛争を解決する手段としては」です。

(ええー? 国際紛争って何? 手段(戦争)っていろんなパターンがありそうだけれど? 「としては」って、微妙だよなあ?・・・・頭がくるくるしてしまいますねえ)

 では先ず、「としては」から・・みていきましょう。
辞書に、「としては」は、「の場合には」と同じとありますから、再度 慎重に読んでみます。
 「日本国民は、・・・国際紛争を解決する手段としては(の場合には)永久に[戦争」を放棄する。」となりますね。

 さてさて最後に、「国際紛争を解決する手段」が残りました。が・・ちょっと判然としません。

でも、ここで、「としては」とあるので「国際紛争を解決する手段ではない場合」がある、ということに気がつきますよね。

こちらから探ってみましょう。
 幸いその場合とは、何かということを知る手がかりが、憲法草案作成過程にありました。(原点に戻れです)

 それは、マッカーサーノート(1946.2月)の存在です。

 これは、米国本国の対日占領政策(日本弱体化政策)を受けて3項目にまとめられたもので、「これに沿って作れ」とGHQ民政局の憲法草案作成チームに渡されたものでした。

 その第二項には、 「 国権の発動たる戦争は、廃止する。
日本は、国際紛争を解決する手段としての戦争、さらに自国を守る手段としての戦争をも放棄する。
日本は、防衛と保護を今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。交戦権は認められない。」と書かれていました。つまり、「侵略戦争も自衛戦争も放棄する」という内容でした。

 従って、 憲法9条 第一項の「戦争」とは、「侵略戦争」のことを言っているのだということができます。
 もし、第一項で「すべての戦争」と言いたいのであれば、「国際紛争を解決する手段としては」と(限定)条件を書かないはずだし、「全ての戦争」と書くか或いは書かない文章となるはずです。

つまり「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、永久にこれを放棄する。」と・・・。


実は、憲法草案作成に当たり、9条を担当したケーディスは、「自衛戦争放棄」は後に問題になるとして、避けたのでした。(参照 「そうだったのか、憲法九条!(Ⅱ)マッカーサーノート」)

第一項の読解のポイントは「としては」ということになります。



 次に、第二項。ゆっくり読んでみましょう。
前項の目的を達するため、陸海空その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 この項も なんだか変ですねえ。・・・「持たない」とか「認めない」とか・・・
日本国民自身が幸せになるための憲法なのに、・・窮屈で、違和感を覚えますよねえ。

でも、まあ、文言を追ってみましょう。

 先ず、「前項の目的を達するため」とは・・・

「前項」は「侵略戦争を放棄する」ということだったので、「侵略戦争を放棄することを実現するため」ということになる。

 話を戻すが、第一項は、自衛のための戦争については、何も書いていない。肯定も、否定もされていない。第二項で、わざわざ「前項の目的」と書いているのだから、第二項は「その範囲内」つまり「侵略戦争の範囲内で」読まなければならない。
 従って、第二項の戦力は、侵略戦争のための戦力なのである、と考えるのが自然ではないか。

それで、第二項は、「侵略戦争をする」ための「戦力は、持たない」ということになろう。

自衛のための戦争・戦力について言いたいのであれば、「別途書けばいいこと」なのである。


 そのことを暗示する重大な事実がある。(マスコミでは、殆ど報道されないが)
 
それは・・・日本の憲法草案について検討している極東委員会の会議(9月21日)において、中国代表が「前項の目的」に注目し、将来日本が 「それ以外、たとえば「自衛という口実」で、実質的に軍隊をもつ可能性がある」と指摘したのであった。この事実は、「第一項は、侵略戦争の否定」「第二項は、第一項の侵略戦争のための戦力の否定」である、と、中国は気がついていた証拠であろう。裏を返せば、日本には自衛権(戦争)があるよ、ということを言っていることになるだろう。
 そして、このことによって、66条に文民条項が加わったのであった。


 さて、「陸海空その他の戦力は、これを保持しない。」の文言を、「(一切の)戦力は持たない」と読むならば、戦力(軍隊)は無いのに、文民条項を書くということは、自己矛盾である。改憲派の憲法学者もそう読んでいるが、可笑しいことだ。

 また、戦力を持たないのだから、結果的に戦争はできない=すべての戦争を放棄したのである、という人がいるが、これも自己矛盾である。物理的な戦争が出来ないからといって、その権利までもが自動的に放棄されるということはありえない。
では、逆に、「自衛戦争」について先に書いていたらどうなるだろうか。
その手段(戦力)は認められるのだから、すべての戦争が可能となる、ということになるであろう。

 自衛戦争とは、(現実的に出来る、出来ないではなく)、国民の国防意識の問題である。抵抗は、竹槍でも投石でも出来るのである。要は、「戦力」の使い様なのである。(参照 置き換え憲法包丁論)

 そもそも主権を持ち自由な状況の中で自分(日本人)が憲法を作った(書いた)というなら、第二項を書いている段階で、第一項が条件付き戦争放棄の内容になっていることに気がつかなければならない。可笑しなことだ。

 だから、この矛盾を解消するには、上で述べているように、「(侵略戦争をするための)戦力は、保持しない」と読まなければならない。第一項と第二項は、一つの文章なのである。

 これで、スッキリする。(ケーディス,ニッコリ。芦田議員もニッコリ)


もう一度いう.
9条第一項は 侵略戦争はしません(方針)

   第二項は そのための戦力は持ちませんし、戦いもしません(具体策)

 と読み解けば 9条はスッキリする。正に、平和憲法なのだ。


 ただ、この9条は、国民にとって難解な文章である。専門家でも、ああでもない、こうでもない、という論議をせねばならないような憲法は、「国民のための憲法」とは言えないであろう。将来の同胞のためにも解りやすいスッキリ条文に書き変えてもらいたいものだ。
 
 又、「自衛」に関して、加筆してもらいたい。自分の身は自分で守る・この行為は命あるものが生まれながらに行っている当たり前の行為である。憲法以前の自然権(権利という言葉は嫌いだが)である。また現実的に世界の憲法をみるに、平和主義を掲げていながら自己防衛軍を規定しているものが殆どである。自国の生存を他国の善意に委ねることのみを一方的に宣言し、国民の生命を守る「現実的」手段(自己防衛方法)について何も書いていないのは、世界から見ればクレイジーであろう。
 
 従って、その限りにおいて、私は憲法9条を守ることには同意しよう。

第二項のポイントは「前項の目的」ということになります。

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憲法9条を理解するために 、次のように 言葉を置き換えてみました(赤字箇所)

「憲法9条 は、家族の笑顔を希求し、刃物の使用は、他人との言い争いを解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 第二項 前項の目的を達するため、出刃包丁や菜切り包丁などは、これを保持しない。(以下略)」

注)この置き換え憲法が、原文憲法と国語的に可笑しいなら、指摘お願いします。
「可笑しくない」ことを前提に、以下を述べます。

さて、お母さん方にお伺いします。
  
「出刃包丁や菜切り包丁など」を(すべて)保持することを止めますか?

それじゃあ困りませんか? 可愛い坊やに美味しい料理を作ってあげられませんよね。

 でも・・・ご安心ください。第一項で、「他人との言い争いを解決する手段としては」と条件がついています。
ですから、それ以外の条件では包丁を持つことは可能です。

要は、包丁の使い方次第なんです。その使い方を決めるのは「人」ですよね。(スッキリ!)

 自衛隊を「暴力装置」と言って、問題を起こしたM党のS議員がおりましたが、自衛隊は平和をもたらしてくれる女神でもあるんです。戦車も大砲も、自衛のために使えば良いのです。

 これで、お分かりでしょう? 
憲法9条は、第一項と第二項は一つの文章として読まなければならない。それを切り離して読むから自己矛盾(守る権利がありながら、守る手段は持ちません、ということ)を起こすのです。

 その1例をみてみましょう。
 東大法学部卒の憲法学者 Kは、ブログの中で、以下のように説明しています。

「日本国憲法では、

    憲法9条1項で戦争・武力行使が禁じられ、
      9条2項では「軍」の編成と「戦力」不保持が規定される。

  いかなる名目であれ、「武力行使」一般が原則として禁止されているのだ。」と。

    (えーっ??? ・・・おいおい、そんなこと書いてるかい?)

原文と比較してみよう。
「憲法9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。略」

いかなる名目であれ、「武力行使」一般が原則として禁止されているのだ」
というが、原文のどこからこんな言い方になるの?

 第一項の「戦争・・放棄」と第二項の「戦力の不保持」の字面のみをつまみ食いして、読者を誘導する話法は、

 専門的言い回し(?)による「つまみ食い解釈子供だまし論法」と言おう。


 
 そもそも自分が困るような事を 自分で決めるバカはいませんよね

 他人が書いた、しかもメモ的に書いたものを解釈するから、真反対の解釈が生じてしまうのです。
 
 早く、自らの手による9条が必要ですよね。


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*次回から、解釈憲法について述べてみます。






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