法務省は30日、今国会に再提出を目指している人権擁護法案の政府原案について、救済申し立ての乱用防止規定を設けるなど見直し案を自民党に提示した。「偏向した団体の構成員が人権擁護委員になる危険がある」との懸念を踏まえ、委員の推薦対象から「弁護士会や人権擁護団体の構成員」の文言を削除した。ただ、人権擁護委員の国籍条項に関しては取り扱いを保留した。同党人権問題等調査会長の古賀誠・元幹事長らはこれをもとに党内調整を進めたい考えだ。
…いっそのことすっぱり止めてしまえばいいのに…。差別をなくそうという試みは美しいものではありますが、この人権擁護法案については胡散臭さが大爆発なんですよね。委員の推薦の基準というものも曖昧ですし、第一その推薦された委員の人たちが「人格的に素晴らしく、公平な判断をする」かどうかはわからないわけで。その告発された「差別」が、法律によらずに断じることができるのか、甚だ怪しいわけです。
一番の懸念は、やっぱりきっちりとした基準がないことでしょうか。法律で裁く場合は、がんじがらめなぐらいにきっちりと「○○してはならない」というような基準があり、それに則って裁判が行われるんですけど…何をどうすれば差別で、どうすれば差別ではなく区別であると言えるのでしょうか。たとえば、学校のバスケットボールのチームで、背が低い人がレギュラー入りできなかった→これは差別でしょうか。あるいは、大相撲の入門に際して身体検査があり、規定の身長・体重に達しなかった人は入門できないわけですが、これは身長が低かったり痩せていたりする人に対する差別で、基準を設けず希望者は全員入門させるべき、などという意見が出たら。さらに推し進めて、学力で選別するのは子供に対する差別だ、学校の定員を撤廃し、高校や大学は学力に関わらず希望の学校へ全員入学させるべき、なんて意見まで出てきたら。んでもって、学校の授業についていけないのは、低学力の子供に対する差別だ、きちんと補習授業を受けさせるべき、とか言って。今度は、教員が低学力の子供にばかり手をかけている、高学力の子供に対する差別だとか言い出して………まぁ早い話、「差別だ」と声をあげれば何でも通っちゃうんじゃねぇの、と思うわけです。
実際問題として、個人対個人で争いがおきたとき、どうしても「言った」「言わない」のような水掛け論になりがちだと思います。で、そういう問題がおきたときに、きちんと被害者側に同情せず、公平に判断できるか…………そんなのができるんだったら、痴漢の冤罪なんか起きるはずがないわけで。「被害者が訴え出てるのに」「被害者が言っているんだから」といった感情で、「加害者」とされた側の言い分は黙殺されやすいわけです。裁判でさえそうなのに、はたして「人権擁護委員」が、そのあたりきちんとできるのかというと…あまり期待できそうにありません。対痴漢冤罪ですと、満員電車に乗るときは腕を組んで潔白をことさらに主張するという対策をとれますが、同じように予防しようとすると、「差別的な言動をしたと疑われないように」家の外では一切しゃべらない、という………そんなの無理です。
まぁ、この会長自身からして、「私の人権を護ると思って、この法案を通させてください」「この法案が通らなければ、公明党からの選挙協力が得られません」というステキ発言なさっている方ですからねぇ…。差別をなくすという試みは、ややもすれば逆差別になりかねませんし。実際、同和問題のかねあいで、住民の数とは不釣合いにどでかい道路が作られた、という話も聞きますし。公的機関による取り締まりは、難しいのではないかと思います。もしこの法案が通って、「映画館のレディースデイ割引は男性に対する差別だ」という意見が出てきたら、ちょっとは見直してもいいかなとは思うんですけど…多分ないでしょうけど。
それにしても、偏向した団体、ということで人権擁護団体と弁護士会が削られたってのがちょっと……弁護士って偏ってたのか?