東京大阪ラプソディー

私が生まれ育った故郷「東京」の友人たちへ、また私の「大阪」での生活を知る心優しき人たちに、徒然なるままに綴っています。

SOSで上京・・・

2014-09-07 21:21:01 | 日記
 いくら普段は「元気でやってるから心配しないで」と言われていても、80を過ぎた高齢の両親のいる身にすれば、潜在的に絶えず心のどこかでは気にかかってしまう。
当然のことか。。。

離れ離れで生活している高齢の親を持つ子は、誰もがそんな思いを胸に生活していると私は思う。
もう高齢なので何があっても仕方ないという覚悟みたいなものはあるが。。。
しかし、ある日突然、とんでもない事態になったという連絡が舞い込むのは嫌だな〜と誰もが思っているはず・・・

今年で84歳の父親は山登りとお酒や美味い物、カラオケが好きな元気いっぱいの老人だ。

艶話も大好きで、私も見習いたいぐらいの元気さだったが、年には勝てないというのか、昨年来、肺気腫から肺梗塞を起こし検査検査の日々だったようだ。酸素の取り込み量は健常者の半分ほどだから、かなりしんどかったはずなのだが…
しかしその検査のおかげでとんでもない爆弾が見つかり、即入院となったのが先月25日。
地元新宿の総合病院である。。。

PCの画面では心臓に血栓が、それも親指大のものが右心房でユラユラと動いている・・・
院内では絶対安静でどこに移動するのも車椅子生活。。
実際はよく無事でいてくれたものだ!というほどの重症だったらしい。

父親からもどうしても手術前に会いたいと言われて、「何を弱気な」と思いつつ私は9月1日から急遽実家に帰参することに・・・

家内の到着した9月3日には、右心房からその巨大な血栓というか、肉片を除去する手術が行われた。切除された実物を見てビックリ仰天した。暗紅色で長さ30ミリ、厚さも10ミリはあったか。

10時半に手術室に入り、ICUに運ばれるまでおよそ5時間ほど。開胸手術で心肺を止めての手術であったが、親父の心臓は若かった。執刀医は体力も骨の強さも80オーバーとは思えないと驚嘆されていた。
歴戦の外科医も経験のない症状だという話で非常に危うい気持ちもあったが、無事に手術は成功したのである。血栓は小さな根っ子があってそれが右心房内から生えているような恰好だったため飛ばずに済んだということだ。

気丈に振る舞っていた年老いた母を置いて帰るのも多少の「後ろ髪引かれ」はあったが、、、
そこは仕方のないこと。私たちにはそれぞれの生活がある。
術後順調ならICUから2,3日で出られるとの話だった。
翌日、再び病院へ。。。術後24時間経って父親は前にもまして元気そうだ。
酸素マスクも外されて、話す言葉もしっかり分かった。
家内の声にだけは握手や笑顔で応対して相変わらずの親父だ(笑)
安心して大阪に帰ることにした。

でも、今後は肺の病状も気になるし、これまで以上に頻繁に上京することは間違いないだろうな〜という予感がするのもまた確かである。

それにしても、90歳、84歳、83歳、81歳…この歳まで我が家と家内の両親がみんなボケもせず健在であるなんていうこと自体、先進医療が行き渡る今の世の中にあっても奇跡みたいな話なのだから、本当に感謝しなきゃな~、、
ぼんやりそんなことを思いながら韓流で名高い病院最寄り駅、新大久保から帰路についた… 
ここは、日本??昔の面影はますます消えていたな〜と一抹の寂しさはあったが、手術もうまいこといったし、しっかりお土産を買ってから改札をくぐった(笑)。。。

しかし、元気なお年寄りたちを間近に見ていると、率直に言ってあと10年も20年も生きながらえそうで…
そいうスパンになれば、満身創痍の私の方が一足早くあの世に召されてしまうのではないかという親不孝な危惧も、いよいよ現実味を帯びてくることになるな~。。。

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