最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●Happy New Year!

2008-01-03 21:30:17 | Weblog
Happy new year!

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時刻は、午後7時15分。
やっと自分の時間になった。

ここ数日、原稿は、ほとんど書いていない。
「F雑誌」からの原稿依頼があったが、
その仕事は、数時間ですんでしまった。

で、今日は、1月1日。
2008年。

2008だア!

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The time is now 7:15pm.
Now is my own time.

I have not written anything these few days.
I was asked to write an article for “F” magazine.
But I finished writing it in a few hours.

Today is Jan. 1st. The year is 2008.
Yep, 2008!

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●南オーストラリアで、45度!

 南オーストラリアに住むB君から、電話があった。気温は、45度だという。「信じられない」と言ったら、すかさずメールで、オーストラリア気象局のデータを送ってきてくれた。近くにある、(近くといっても、50キロほど離れているが)、Keith(キース)の町でも、40度もあったという(12月30日、31日の両日)。

 A friend of mine who lives in South Australia let me know it was about 45 c degrees. I said, “I can’t believe it”. Then he sent me an official report of weather observation, issued by Australian government (Bureau of Meteorology). It has been 40c degrees in Keith, which is near to the friend’s home on Dec 30th and31th.

 「どうやって過ごしているのか?」と聞くと、「部屋の中で、クーラーをつけっぱなしにしている」とか。風呂でも、42度を超えたら、熱くて入れない。電話の中で、クィーンズランド州のほうでは、洪水が発生しているところもあると話してくれた。熱波に洪水、そして干ばつ。私が学生時代のころには、世界でも、もっとも住みやすい都市として知られていたメルボルン市にしても、昨年(2007年)は、熱波に襲われ、連日、40度近い日々がつづいたという。

 オーストラリアの気候は、いったいどうなってしまったのか。

When I was in Australia in 1970, Melbourne was knows as one of the most comfortable cities in the world to live. But last year(2007), they say they had had hot days over 40c degrees. How can we understand the weather there?

●同窓会

 明日、中学時代の同窓会が、郷里の町である。「とくに会いたい人もないし……」と、私がこぼすと、ワイフがこう言った。「気になる女性はいないの?」と。

 答は、残念ながら、「NO!(いない)」。

私「つきあった女性もいないし……」
ワ「好きだった人は?」
私「いたけど、片思いだった」
ワ「その人に会いたくないの?」
私「高校も、同じだったから……。高校に入ってからは、その人への思いは消えた」と。

 「男女の縁は、同窓会の花」という。(私が勝手に、そう言っているだけだが……。)頭の中をあれこれさがしてみるが、どんな女の子がいたのか、名前すら、よく思い出せない。明日は、早めに退散してこよう。

 いや、帰りに、大学時代の先輩の家まで、歩いてみたい。距離は、10キロ近くある。よい運動になる。

Tomorrow I have a class-reunion party in my home-town. When I murmured that I haven’t anyone especially whom I want to see, then my wife asked if I have someone who annoys my mind. But the answer is “No”. Men and women create many love stories which shine this sort of parties, but I am hardly able to recalls even the names of girl friends. I think I’d better leave the party earlier and I want to try to walk to my friend’s home which is abt. 10 km from there. It would be a good exercise.

●初夢

 日本では、正月早々に見る夢を、「初夢」という。そしてその夢の中で見たことは、「正夢」になるという。「正夢」というのは、その年に、実現する夢ということらしい。

 しかし私のばあい、正月にも夢はよく見るが、当たったためしがない。今朝の夢は、かなりヒワイな夢だった。どこかの温泉に入っていると、若い女性たちが、ドヤドヤとその中に入ってきた。

 しかし私は、あわてて湯の中にもぐって、体を隠した。これも、初夢か。こんな夢、実現しても、しかたない。ア~ア!

In Japan they say that the dream we have for the first time of the year will come true during the year. So the dream is called “Real Dream” in Japan. As for me I have often dreams when I am sleeping. This morning I had, too. It was a pretty sexy one in which I was having a bath with young girls. Is this also a kind of “Real Dream”? I feel myself rather miserable.

●年賀状

 今年は、だれにも、年賀状を出さなかった。気持ちよかった。スーッとした。やっとあの呪縛感から解放された。気が楽になった。私たちの世代は、本能に近い部分にまで、「年賀状は出すべきもの」という意識が、刷り込まれている。徹底的に、そう教育されている。

 で、今日は、午後は、その返事書きに忙殺された。

 やはり年賀状をくれた人には、申し訳ない。私にとって大切な人も多い。

In Japan we exchange new year’s greeting cards every year. But our generation was educated or imprinted deep into our brains that we should do this. But this year I did not send any cards to anyone. Then I feel liberated from the burden. I feel relaxed and free. So this afternoon I was very busy replying to each cards. Many of them are the ones from very important people. I can’t ignore them.


●正月3日(New Year’s Greeting Card、Jan.3rd, 2008))

 早くも、今日は、1月3日。この3日間、まったく原稿を書かなかったことになる。(ゾーッ!)こうして私の生活はだらしなくなっていく。緊張が薄れていく。

 さてまたまた年賀状の話。

 年賀状をくれた人には、返事を書いた。そのとき、改めて、こんなことに気づいた。

 その第一。

 私が知らない遠い昔の話だが、年賀状ができた当時は、たいへんな衝撃だっただろうということ。今のインターネットに匹敵するほどの衝撃ではなかったのか。

 何しろ、新年のあいさつが、(郵便)という手段でできるようになった。当時の人たちは、こぞって年賀状を出しあった(?)。

 フタバ株式会社のHPには、つぎのようにある。

 「明治20年前後になると、「年賀状を出す」ということが、国民の間に年中行事のひとつとして定着します。その結果、毎年末から年始にかけて、郵便局には多くの人々が出した年賀状が集中し、郵便取扱量が何十倍にも跳ね上がりました」と。

 明治3年(1870年)に、現在の郵便制度ができ、年賀状が、国民の間で定着し始めたのは、明治20年前後ということらしい。明治32年に、「年賀郵便物特別取り扱い開始」(同サイト)とある。

 それ以前はというと、飛脚が、今でいう郵便物を届けていた。ただしこの飛脚は、私が子どものころ(昭和20年代)も、まだ残っていた。飛脚の歴史は、長い。

 で、返事を書いているとき、1人、住所が読みづらいのがあった。それで昨年の年賀状を取り出して、そちらのほうを見ながら、住所を書くことにしたのだが、驚いたことに、文面、体裁が、まったく同じ!

 日付だけ、変えてあった。それを見て、ワイフが、「あら、この人ったら、去年と同じ年賀状よ」と。

私「あのなあ、うちだって偉そうなことは言えないよ。しめ飾りだって、去年のを使っているよ」
ワ「だって、それは、内輪の話でしょ。外の人には、関係ないでしょ」
私「……だったら鏡餅は、どうだ? 冷凍庫に入れておいて、また翌年、使うというのは?」
ワ「そうねえ……。今度からプラスチックか何かでできた鏡餅にすればいいのよ」
私「それも、アイデアだな……。今度から、そうしようか……。しかしそんな鏡餅、売っているかな?」と。

 しかし私のばあい、年賀状だけは、同じものを出したことがない。毎年、かならず、内容を変えるようにしている。

 まあ、この問題は、人、それぞれ。

 同じしめ飾りを使うのは、不謹慎と思う人もいれば、そうでないと思う人もいる。同じ年賀状を出すのは、不謹慎と思う人もいれば、そうでないと思う人もいる。

 私のばあい、去年は、年賀状は、すべて手書きで書いた。絵も手書きで描いた。しかしこの方法だと、50~100枚が限度。

 で、今年は、とうとう、こうなった。つまり1月1日に、年賀状をくれた人だけに、返事を書くことにした。

来年は、もっとだらしなくなりそう。


●USTREAM

 再び、USTREAM(ユーストリーム)の話。このUSTREAMを使えば、声を直接、HPに載せることができる。で、昨夜も、2作(2編というべきか)ほど、UPLOADしてみた。

 これが楽しい。おもしろい。

 このUSTREAMに、YOU TUBEを合体させると、声と音楽を同時に送信できる。今までの文字だけのHPを、(本)の世界とするなら、声を音楽を載せたHPは、(テレビ)の世界ということになる。

 さらにUSTREAMのすごいところは、その場で、チャットができるということ。それを見ている人が、画面の向こうにいる人に向かって、情報を伝達することができる。つまり双方性があるということ。

 この先、この世界は、ますます進化するにちがいない。いったい、どこまで進化するのだろう。楽しみというより、恐ろしい。恐ろしいというより、不安。

 今、私がしていることにしても、あっという間に、陳腐になってしまうかもしれない。そしてやがてすぐ、情報のゴミとして処分されてしまうかもしれない。電子マガジンにしても、HP(ホームページ)にしても、すでにその時代は終わったと言う人もいる。

 そう言えば、息子も、先ほど、こう言った。

 「USTREAMは、おととし(06年)、アメリカでもはやったけど、今は、あまりしていない」と。

 何と、USTREAMすら、時代遅れだというのだ。私は「フ~ン」と答えるだけで、精一杯だった。


●同窓会

 「還暦の同窓会」ということで、もう少し皆が集まるかと思っていたが、約600人中、集まったのは、100人と、意外と少なかった。

 主催したM君が、さかんに、「集まりが悪くてごめん」と言っていたが、これはM君の責任ではない。

 帰り際、こんな話をした。「ぼくらの年代は、約3分の1が、何らかの大きな病気をかかえているから……」「それに奥さんとか、夫が病気をかかえているケースも多い」と。

 同窓会に、元気な顔を出せる人は、それだけでも、幸福と思わなければならない。

 で、バスに乗ってから、こんな問題を自分に出してみた。

 60歳で、約3分の1の人が、何らかの大きな病気をかかえているとする。すると、夫婦ともども、元気な家庭は、全体の何分の1か、と。

 このばあい、つぎのようにして計算する。

 3分の1が、何らかの大きな病気をかかえているとする。すると残りの3分の2が、ほどほどに健康ということになる。

 そこで夫婦ともども、ほどほどに健康な人は、3分の2(掛ける)3分の2で、9分の4ということになる。

 つまり1(ひく)9分の4で、残りの9分の5の夫婦が、どちらか一方、もしくは、両方が、大きな病気をかかえていることになる。

 9分の5といえば、約半分程度ということになる。しかも3分の1(掛ける)3分の1で、9分の1の夫婦は、ともに大きな病気をかかえていることになる。

 こういう数字を見ただけでも、健康であることに、私たちは感謝しなければならない。……というような話を、家に帰ってから、ワイフにした。

 これには、あのヒネクレ者のワイフも、素直に同意してくれた。

 しかしこの問題は、(時間の問題)。今、健康でも、明日はわからない。来年は、わからない。大切なのは、やはり、「今」ということになる。明日は、「今日」の結果として、かならず、やってくる。


●気になる友人

 同窓会で、M君の話が出た。高校のとき、3学年、同じ教室で学んだ。そのM君が、今、精神病院に入院しているという。「かぎのついた部屋でね」と、その友人は、言った。その友人は、ときどき、見舞いに行っているらしい。

 M君は、10年ほど前まで、ときどき、私の家にも遊びに来てくれた。そのたびに、泊まっていってくれた。どこか変だなという印象はもったが、私は、それを個性と思っていた。子どものことならよくわかるが、おとなのことになると、ほとんどと言ってよいほど、わからない。

 そのうち年賀状もこなくなり、そのまま、疎遠になっていった。

 私はそのM君の話を聞きながら、「私も同じようなもの」と、何度も思った。つまり(精神的に正常な人)というのは、いない。最近の精神医学では、それを前提として考えるのだそうだ。そんな話を、何かの本で読んだことがある。

 だからどういう人を、正常といい、またどういう人を、そうでないというのか、その基準はないということになる。今は、たまたまM君が、精神病院に入っている。私だって、明日、入るかもしれない。

 それがわからなければ、あの老人ホームをのぞいてみることだ。認知症が進むと、みな、おかしくなる。母が住んでいるホームにしても、ときおり、大声で叫ぶ女性がいる。そういう女性と、M君はどうちがうのか。恐らく、専門家にも、それはわからないだろう。

 M君の奥さんとは面識はないが、電話では、よく話した。一度、そのうち、見舞いに行こうとは思っているが、M君というより、M君の家族は、それを望んでいないかもしれない。どうしようか?

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