最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●気力

2009-01-12 09:13:22 | Weblog
●子どもの気力

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最近の研究によれば、生命の根源、つまり(生きる
力)の根源は、どうやら脳の中枢部にある、視床下部
というところにあることがわかってきた(アメリカ・
サイエンス誌)。

そこから脳みそ全体に、強力なシグナルが発せられ、
それが脳みそ全体の活動の根源、しいては人間の
生命活動の根源になっている(?)。

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「強力なシグナル」と書いたが、当然、個人差がある。
シグナルの強い人もいれば、弱い人もいる。
そう考えてよいことは、特別養護老人ホームにいる
老人たちを見ればわかる。

先日も久しぶりに、母がいたホームを訪れてみたが、
その中に1人、こんな女性がいる。
年齢は今年95歳になるという。
母が1年半前に入居したときもそうだったが、そのときも、
大きな声で、看護士や介護士さんたちに向かって、こう言って
叫んでいた。
「飯(めし)は、まだかア!」
「わっち(私)は、何も食べておらんぞ!」と。

大半の女性たちは、(そこは女性専用のフロアなので)、
ぼんやりとした表情のまま、時間をつぶしている。
何割かの女性は、大きな車椅子に横になったまま、鼻からチューブを
通して、一日中、眠っている。
そういう中なので、よけいにその女性が目立つ。

恐らく視床下部からの指令を受けて、ドーパミンが大量に分泌され、
それが線条体という組織を刺激しているのだろう。
性欲、食欲など、人間の欲望は、こうして生まれる。

おなじ高齢者なのに、たとえば私の母もそうだったが、
自分の意思をはっきりと持っている人もいれば、そうでない人もいる。
このちがいこそが、シグナルの強弱ということになる。

私という素人が考えた仮説なので、あまりあてにはならないが、
しかしそう考えると、子どもの世界がよく理解できる。

たとえば親の過干渉、あるいは過関心などで精神活動そのものが、
萎縮してしまった子どもがいる。
「萎縮児」とも呼ばれる。
覇気(はき)がなく、おとなしく、静か。
自我の核形成も遅れ、つかみどころがない。
何を考え、何をしたいのかも、よくわからない。
一見、従順で、人なつっこい。
好奇心も弱く、遊びといっても、ごく限られた範囲で、
同じことしかしない。
一部が萎縮しているというよりは、人格全体が萎縮している。

あるいは何らかの原因で燃え尽きてしまった子どもや、
荷をおろしたように無気力になってしまった子どもでもよい。

そういった子どもを見ていると、脳の中枢部、つまり視床下部
あたりから出るシグナルが、弱いのではないかと考えてしまう。
このばあいは、親の過干渉、過関心などで、脳の機能そのものが、
変調したと考えられる。
(本当にそうであるかどうかは、わからないが……。)

つまり私たちが俗に言う、「気力」というのは、そういうものでは
ないか。
「やる気」と言い換えてもよい。

先の女性でいえば、95歳という高齢にもかかわらず、食欲だけは、
異常に旺盛。
それが好ましいことかどうかという判断は別にするとして、視床下部
あたりから出るシグナルが、人一倍強いことだけは、確か。
それがその女性の(生きる力)の根源になっている。
だからまわりの看護士や介護士さんたちは、みな、こう言う。
「こういう人は、100歳まで生きますよ」と。

実は私の母も、今年(08年)の2月ごろまでは、その女性に、
勝るとも劣らないほどの生命力をもっていた。
一個の茶菓子を取り合って、テーブルの向かい側に座っている
別の女性と、ものを投げ合って喧嘩までしていた。
が、2月ごろ、脳梗塞を起こした。
そのあと、別人のように、静かで穏やかになってしまった。
私が見たところ、生命力そのものが、その日を境に、しぼんで
しまったかのように感ずる。

こうしたことから、私たちがいうところの(気力)というのは、
脳の奥深くにある根源的な部分から生まれると考えてよい。
視床下部から発せられるシグナルならシグナルでもよい。
そのシグナルが、やがて(気力)につながっていく(?)。
(そうでないかもしれないが、ここでは、そうであるという
仮定の上で、話を進める。)
そのシグナルが強い人は、あらゆる面で旺盛な気力を示し、そうでない
人は、そうでない。

では、どうすればよいのか。

こと子どもに関していえば、子どもというのは、あるべき環境の
中で、あるべきように育てれば、自然とそういう力を発揮する。
DNAのレベルで、そのようにプログラムされている。

が、ここでいう気力にしても、それをつぶすのは、簡単。
ガミガミ、ガンガンと、子どもを叱りつづければよい。
ついでに親の気分で、罵声を浴びせたり、暴力を振るったりすればよい。
無視、冷淡、育児拒否などがあれば、さらに効果的。
子どもは、確実に萎縮する。
動作そのものが、緩慢になることもある。
(あるいは同じような家庭環境であるにもかかわらず、反対に粗放化する子どももいる。
親の過干渉、過関心に抑えられてしまった子どもが萎縮児、
それに反発し、やり返した子どもが粗放児と考えるとわかりやすい。
同じような環境であるにもかかわらず、兄が萎縮し、弟が粗放化する
というケースは、多い。)

わかりやすく言えば、(気力)を奪うのは、環境ということになる。
とくに親の接し方ということになる。
だから英語では、「教育」を、「education<educe(引き出す)」という。
つまり能力は、すべての子どもが平等にもっている。
あとはそれを(引き出すか、つぶすか)、そのちがいによって、
子どもは伸びたり、反対に萎縮したりする。
それが教育ということになる。

なおここで「脳の機能が変調した」という言葉を使った。
これは私が使い始めた言葉だが、ひとつの例として、夜尿症(おねしょ)
がある。
本来なら睡眠中は、脳の命令によって腎臓での尿の生産が抑制される。
が、脳の機能が変調すると、その抑制に乱れが生ずる。
最近では、それが夜尿症の原因と考えられている。
だから夜尿症にしても、ここに書いた子どもの気力にしても、
(しつけ)によって、どうこうなるような問題ではない。
いわんや叱ったり、説教したりして、なおるような問題ではない。
(心の問題)というより、(大脳生理学の問題)。
そういう前提で、こうした問題を考える。

ずいぶんと荒っぽい書き方をしてしまったが、大筋ではそれほど
まちがっていないと思う。
大切なことは、無理や強制などで、子どものやる気を奪ってしまわないこと。
一度幼児期に萎縮させてしまうと、その後遺症は一生つづくと言っても
過言ではない。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
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