最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

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●アフター・デイズ

2009-02-07 20:49:35 | Weblog

● 映画『アフター・デイズ(After Days)』

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人類すべてが、ある日突然、消えていなくなったら……、
という映画が、これ。
主演者ゼロ、脇役ゼロという、どこかSF的、しかし
どこかドキュメンタリー風の映画。

おもしろくはないが、それでいておもしろい映画。
星はつけようがないが、あえてつければ2つの、★★。

要するに人間などいなくても、かまわないという映画。
「地球は人間必要としない。
しかし人間は地球を必要とする」と。

「そういうものだろうな」というのが、見終わったあとの
感想。

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●私の偏見?

DVD「アフター・デイズ」は、要するに「人間などいなくても、地球は困らない」
という映画である。
だから「地球を大切にしろ」ともとれるが、しかしその一方で、その底流に、
強烈なニヒリズムが流れているのがわかる。
「人間どもよ、自らの愚かさを知れ」と。

しかしこれは私の偏見かもしれない。
現在、地球温暖化の問題は、深刻さをましている。
心のどこかで、私たち人間は、罪の意識というか、うしろめたさを感じている。
そうした心情に、この映画が重なった。

この映画の本当のねらいは、(監督はそういう意図で、この映画を制作したのだろうが)、
「もっと地球を大切に」というところにあるのかもしれない。
しかしその力は、あまり強くない。
それで私は、「強烈なニヒリズム」を感じてしまった。

●ニヒリズム

ニヒリズムといえば、ニーチェ。
1844~1900年の人物である。
名前を、フリ-ドリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェという。

彼の思想の特徴といえば、恨み(ルサンチマン)ということになる。
つまり恨みが積もりに積もって、それがやがて虚無主義へとつながっていく。
が、よく誤解されるように、だからといってニーチェは、「生きることが空しい」と
説いたわけではない。
むしろ逆。

こうした虚無主義と闘うためには、人間は「超人」であるべきと、ニーチェは説いた。
超人というのは、強靭な精神力をもった、スーパーマンのような人物をいう。
もちろんその背景には、キリスト教的な理想郷の否定がある。
「天国などはない」「そういうものに救いを求めてはいけない」と。
だから繰り返すが、ニヒリズム、イコール、現実の否定ではない。
むしろ現実を徹底的に肯定するところに、(当然、自分の存在を解放するところに)、
ニヒリズムの原点がある。

●恨み(ルサンチマン)の増大

地球温暖化が進めば進むほど、人々の心の奥に、恨みが増大する。
やりようのない恨みである。
怒りの矛先を向けたくても、その向け先すらわからない。
ニーチェの時代には、それはキリスト教的な呪縛感を言った。
が、今は、地球温暖化。
ニヒリズムが生まれる土壌は、じゅうぶんある。
そしてそれが今、熟成されつつある。

そこで重要なのは、まず私たち人間は、自分の弱さと不完全さを再認識すること。
いくらがんばったところで、神の世界はやってこないし、またそういうものに
期待を寄せたところで、何一つ、問題は解決しない。
そこで私たちは今、どんな現実に直面しているかを知る。

しかしそれは言うまでもなく、このままでも、またこのままでなくても、
人類はやがてすぐ滅亡するという現実である。

●地球温暖化(地球火星化)

地球温暖化は、いわゆる温室効果によってもたらされる。
映画『アフター・デイズ』の中では、人間が消えれば、地球は元にもどるという
ような筋書きになっている。
が、実際には、そうではない。

温室の原因となっている、温室そのものは、仮に今、世界中の人間が化石燃料の
使用をやめたところで、消えるわけではない。
このまましばらく、(「しばらく」といっても、地球的規模の時間をさすが)、地球を
覆いつづける。
その結果、地球の気温は、2100年以後も、2200年以後も、上昇しつづける。

2100年までに、地球気温は平均して4~5度上昇すると言われている。
が、それで止まるわけではない。
一説によれば、それはいつのことかはわからないが、最終的には、地球の気温は、
400度近くにまで上昇すると言われている。

400度と言えば、「何とかなるような温度」ではない。

●では、どうするか?

…………?

この宇宙空間に放り出された人間には、もともと始まりはない。
そのため終わりもない。
ニーチェの思想によれば、われわれは神によって創造された特別な存在ではない。
無数の生き物の、ワンオブゼム(生き物の一部)でしかない。
まず、それを認める。
もっとわかりやすく言えば、滅亡することを恐れる必要はない。
仮に人類が滅亡し、やがて地球の気温が400度になったところで、それは地球の
歴史からみれば、「ほんのまばたきの瞬間」(「アフター・デイズ」)でしかない。
やがて地球に氷河期が訪れ、そのあと地球は、再生される。

そのとき人間でない人間が、再びこの地球に、誕生する可能性は、じゅうぶんある。
今は微生物かもしれないが、100万年後には、小さな哺乳動物のようになる。
さらに100万年後には、姿形は、まったくちがうかもしれないが、「人間」を
名乗るようになる。

これはあくまでもニーチェ思想に従えばという話になるが、個人という人間が、
いつかかならず(死)を受け入れるように、人類もまた、(全体としての死)を
受け入れる。

それがニーチェが説く、二ヒリズム、またそれができる人が、
「超人」ということになる。

●ニヒリズムの否定

私が感じた、強烈な二ヒリズムについて、ニーチェの思想に準じて、
私なりに解釈を加えてみた。
しかしニーチェ思想が、正しいわけではない。
また哲学にしても、ニーチェで完成されたわけではない。
少し辛辣(しんらつ)な言い方になるが、ニーチェは、「哲学の破壊者」にすぎない。

ニーチェのあと、ハイデッガー、サルトル……とつづいたように、私たちは
別の、(生きるための哲学)を模索している。
それについてはまた別の機会に書くとして、映画『アフター・デイズ』を見るときは、
そのニヒリズムに陥らないように注意する。
ニヒリズムはニヒリズムとして、一歩退いたところからながめる。

で、やはりここは、「自然を大切に」というテーマで、この映画に対する感想をしめくくり
たい。
けっして「生きるのは無駄」と思ってはいけない。
また最後の最後まで、夢と希望をあきらめてはいけない。
それができる間、私たちは人間として生き残ることができる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
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