●本能
+++++++++++++++++
私たち人間の行動、心理、精神作用を
ながめていると、どこからどこまでが
本能で、どこから先が本能でないか、
それがわからなくなる。
まず、本脳について、調べてみる。
+++++++++++++++++
深堀元文著「心理学のすべて」(日本実業出版社)によれば、本脳は、つぎの4つに分類
されるという。
(1) 種別性(種のちがいによって、本脳の内容が異なる。)
(2) 生得性(生まれながらにしてもっている。)
(3) 固定制(学習性がない。)
(4) 不可逆性(順序が変わると、できなくなる。)(かっこ内は、私のコメント。)
同書は、具体的に、つぎのような例をあげている。
(1) 種別性(種のちがいによって、本脳の内容が異なる。)
同じヒナでも、ニワトリのヒナは水に入ることを嫌がるが、アヒルのヒナは、
水に入ることをいやがらない。このように同じ鳥の、同じヒナでも、種の
ちがいによって、本脳の内容も異なる。
(2) 生得性(生まれながらにしてもっている。)
同書は、クモの巣づくりを例にあげて、説明している。
クモはだれに教わったわけでもないのに、精巧な巣を自分で作ることができる。
生まれながらにして、そういう本脳を身につけている。
(3) 固定制(学習性がない。)
本能と学習はいつも対比して考えられている。人間は学習によって、自らを
進歩させることができる。
しかし本脳には、それがない。
同書は、こんな興味深い例をあげている。
たとえばカモメは、貝殻を拾うと、それを空中から落とす習性があるそうだ。
私自身は、そういう光景を見たことがないので、同書の説明に従うしかない。
で、そのとき、落とした貝殻のうち、岩場などに当たった貝殻が割れる。
そうでない、たとえば砂浜に落とした貝殻などは、割れない。
が、カモメはそれを見ながらも、拾った貝殻を、無分別に、地面に落とし
つづけるという。
もしカモメに学習能力があるなら、つぎに落とすときは、岩場をめざして
落とすはず。
(4) 不可逆性(順序が変わると、できなくなる。)(かっこ内は、私のコメント。)
「産卵前のジバチは、地面に穴を掘り、アオムシを見つけると、麻酔で眠らせ、
穴に引き入れる。
その体内に産卵し、穴を埋めてしまう」
「(しかしその作業の途中で、ほかの虫などのよる)妨害を受けると、(作業を)
継続できなくなる。つまり順序を変えて行動できない」(同書P63)と。
わかりやすく説明すると、ジバチは、(穴を掘る)→(アオムシを麻酔で
眠らせる)→(アオムシの体内に産卵する)→(穴を埋める)という一連の
行動をする。
しかしその途中で、ほかの虫などの妨害が入ると、そこで作業を中断してしまい、再び、途中から作業をすることができなくなるという。
たとえば(アオムシを麻酔で眠らせた)とき、ほかの虫の妨害が入ったとする。
するとジバチは、その虫と対峙するが、それが終わったとき、その途中から
もとの作業に戻ることができない、と。
以上の話を、「では、人間なら……」と、自分に当てはめて考えてみると、おもしろい。
(1)人間だから水の中に入るのを嫌がるとか、嫌がらないとかいうことはない。
(2)クモは、精巧な巣づくりをするというが、人間にも似たような習性がある。
これは哺乳動物一般に共通する本脳だそうだが、巣づくりをするときは、中央に自分の
巣をつくり、余計なものを周囲に積み重ねる。
イヌもネコも似たような行動をする。
人間も、モノを壁にそって周囲に置く。
(3)人間なら、貝殻の殻がどういうときに割れて、どういうときに割れないかを
観察して、そこで学習をする。
そしてつぎに貝殻を落とすときは、岩場に向けて落とす。
(4)何が本当的な作業で、また何が本能的な作業でないのか、人間自身もよくわかって
いないので、安易に「人間なら……」とは、書けない。
書けないが、作業が途中で中断しても、人間なら、つぎは、途中からまた作業を再開
するだろう。
たとえばワイフとセックスをしている最中に、電話がかかってきたようなばあいを、
考えてみればよい。
(電話の内容にもよるだろうが……。)
●本脳論
ここまで予習して、さて本脳論。
先にも書いたように、本脳と学習は、常に対比して考えられていれる。
しかし(学習)といっても、個人差がはげしい。
歳をとればとるほど、学習能力も劣ってくる。
脳は柔軟性を失い、それまでにできあがった固定観念に、より固着するようになる。
しかも人間の行動、心理、精神作用のほとんどが、実は本脳に根ざしている。
「性」を例にあげるまでもない。
これも順に考えてみよう。
(1)人間の男性は、女性の裸体を見ると、性的に興奮する。
しかしイルカの裸体を見て、興奮する人はいない。
これなどは、「種のちがい」とは、言わないのだろうか。
(2)人間は自分の住居を構えるとき、四角形、もしくは円形の住居にする。
これに対して、ハチなどは、六角形を基本とする。
これなどは、「本能」とは、言わないのだろうか。
(3)基本的には、人間は怠け者である。
「学習」にしても、そこに至る過程で、ものごとを分析しなければならない。
分析したものを、つぎに論理的に組み立てなければならない。
これがけっこう、めんどうな作業で、たいていの人は、できるならそうした
作業を避けようとする。
そのかわり、てっとり早く、だれかに方法だけを教えてもらおうとする。
子どもに例えるなら、解答用紙だけをまる写しにして、宿題をすますようなことを、
平気でする。
では、(4)の不可逆性はどうか?
ジバチは、途中で作業が妨害されると、その作業を中断してしまうという。
そしてまたイチから作業を始めるという。
要するにジバチには、脳の柔軟性がないということになる。
しかしこれも程度の差こそあれ、人間も共通して経験することである。
とくに思想の世界で、それを経験する。
たとえば私の近くに、「親は絶対」と説く人がいる。
が、何度話を聞いても、同じ話を最初から、する。
時間がないので、途中で話をやめて別れるが、つぎに会ったときも、また同じ話を
最初からする。
「この前は、ここまで話したから、今日はここから話しましょう」ということが、
できない。
あるいは「親は絶対」という話を基盤にして、「親孝行論」を説いたり、「最近の
若者は……」とか言ったりする。
そういう人は、先にあげたジバチと、どこがどうちがうのかということになる。
あるいは話が、少し脱線しているかな?
しかしこういうことは言える。
私のような年齢になると、性欲からかなり解放される。
と、同時に、性欲といったものが、どういうものか、それがわかるようになる。
そういう視点で自分の過去を振り返ってみると、逆に私の人生のほとんどが、
その性欲に支配されていたことを知る。
学生時代には、1日24時間のち、20時間以上は、女性のことを考えていた。
(性欲)、さらにはその基盤になっている(種族保存)のための本脳は、まさに本脳。
自分からそれを取り除いたら、(私)と言えるものが、ほとんど残っていないのを
知る。
タマネギの皮を順にむいていったら、最後には何も残らない……といったことが、
自分の中でも起こる。
つまり私たちは動物の本能を知ることで、「私たち人間はちがう」と思うかもしれないが、
私たち人間も、やってきることと考えていることは、そこらの虫と同じ。
ちがうと考える方が、おかしい。
脳みそにしても、「昆虫のような脳みそ」(田丸先生弁)をもった人間は、いくらでもいる。
そこで(学習)ということになる。
人間は学習によって、本脳から自分を解放させることができる。
またそれができる人を、(人間)という。
釈迦も、それを「精進」という言葉を使って、説明した。
が、その力は、弱い。
本脳のもつ力を巨大なブルドーザーにたとえるなら、(学習)がもつ力は、
スコップで穴を掘る程度の力しかない。
だから誤解がないように言っておくが、(性欲からの解放)は、けっして悪いものでは
ない。
私も50代の半ばごろ、男性の更年期症候群とやらで(?)、一時、性欲から解放された
気分を味わったことがある。
そのとき感じた軽快感というか、総快感は、いまだに忘れない。
私が(私)に、ぐんと近づいたような気分になった。
……本能、されど本能ということか。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
本脳論 本脳 本脳と学習)
Hiroshi Hayashi++++++++Feb. 09++++++++++++はやし浩司
●金を受け取った人も逮捕?
++++++++++++++++++++
少し前、浜松市で、郵便局強盗がつづいた。
その事件に関して、2人の男性が、逮捕された。
2人は、共同で郵便局強盗を働いた。
強盗罪の適応は、当然である。
しかし、である。
新聞の報道によれば、その強盗犯から、
お金を受け取った別の男性まで、今回、
いっしょに逮捕されたという。
相手が強盗で得たお金であることを
知りつつ受け取ったのが、その理由で
あるという。
が、これはおかしい!
++++++++++++++++++++
古物に関しては、古物営業法というのがある。
最近では、古物のほか、商品券や乗車券、それにチケットなども含まれるようになった。
こういった商品を、盗品と知りつつ、古物商が受け取ったり、買い取ったりしたら、
古物営業法により処罰される。
それはわかる。
しかし古物でなく、現金だったら、どうなのか。
さらに古物営業法になじまない、個人であったらどうなのか。
今回の事件は、あくまでも新聞によって報道された範囲での話だが、こういうことだ。
郵便局で強盗を働いた犯人の1人が、強盗で得たお金であることを話しつつ、別の
男性に、お金を渡した。
その別の男性は、相手が、郵便局強盗で得たお金と知りつつ、それを受け取った。
で、今回の逮捕劇へとつながっていった。
しかし、どうして?
その第一、お金を受け取った男性に、警察への通報義務はない。
郵便局強盗をしたのがだれか知っていたとしても、それはその人たちの範囲での話。
通報しなかったからといって、罪に問われることはない。
その第二、古物のばあいは、そのモノが特定できる。
カメラにせよ、絵画にせよ、ほかに2つとて、同じものはない。
しかし現金のばあいは、それはどうか。
だいたい、どれがどのお金か、特定できない。
仮にお金を受け取ったとしても、そのお金はべつのところから得たお金かもしれない。
たとえば郵便局で強盗を働いた男に、それなりの貯金があったばあいを考えてみれば
よい。
いくら相手が、「これは強盗で得たお金だ」と言っても、お金に名前があるわけではない。
札の番号を照合することもできない。
百歩譲って、現金を受け取った男性が、「あれは冗談だと思いました」と法廷で述べたら、
どうなのか?
それですべておしまい。
それとも刑法が改正になったのだろうか。
大学を卒業して以来、それなりにつきあったのは、民事訴訟法だけ。
もしこんなことで逮捕されるようになったら、世の中はメチャメチャになってしまう。
それこそ連座制にまで発展してしまう。
たとえば夫が銀行強盗を働いたとしよう。
妻はそのときは、まったく知らなかった。
関係もしていなかった。
しかしあとになって、それを夫から告白されたとする。
「なあ、お前、このお金はなあ、オレが銀行から強盗したものだよ」と。
ついでに息子に、「お前の学費は、オレが銀行から強盗したものだよ」と。
妻も息子も、それをだれにも告げないで、だまっていた。
そしてしばらくして、夫は、銀行強盗で逮捕された。
容疑も固まった。
こういうケースのばあい、妻も息子も逮捕されることになる。
フ~~~ン?
今度金沢で同窓会があるから、弁護士をしているK君に、聞いてみる。
どうも納得できない。
Hiroshi Hayashi++++++++Feb. 09++++++++++++はやし浩司
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私たち人間の行動、心理、精神作用を
ながめていると、どこからどこまでが
本能で、どこから先が本能でないか、
それがわからなくなる。
まず、本脳について、調べてみる。
+++++++++++++++++
深堀元文著「心理学のすべて」(日本実業出版社)によれば、本脳は、つぎの4つに分類
されるという。
(1) 種別性(種のちがいによって、本脳の内容が異なる。)
(2) 生得性(生まれながらにしてもっている。)
(3) 固定制(学習性がない。)
(4) 不可逆性(順序が変わると、できなくなる。)(かっこ内は、私のコメント。)
同書は、具体的に、つぎのような例をあげている。
(1) 種別性(種のちがいによって、本脳の内容が異なる。)
同じヒナでも、ニワトリのヒナは水に入ることを嫌がるが、アヒルのヒナは、
水に入ることをいやがらない。このように同じ鳥の、同じヒナでも、種の
ちがいによって、本脳の内容も異なる。
(2) 生得性(生まれながらにしてもっている。)
同書は、クモの巣づくりを例にあげて、説明している。
クモはだれに教わったわけでもないのに、精巧な巣を自分で作ることができる。
生まれながらにして、そういう本脳を身につけている。
(3) 固定制(学習性がない。)
本能と学習はいつも対比して考えられている。人間は学習によって、自らを
進歩させることができる。
しかし本脳には、それがない。
同書は、こんな興味深い例をあげている。
たとえばカモメは、貝殻を拾うと、それを空中から落とす習性があるそうだ。
私自身は、そういう光景を見たことがないので、同書の説明に従うしかない。
で、そのとき、落とした貝殻のうち、岩場などに当たった貝殻が割れる。
そうでない、たとえば砂浜に落とした貝殻などは、割れない。
が、カモメはそれを見ながらも、拾った貝殻を、無分別に、地面に落とし
つづけるという。
もしカモメに学習能力があるなら、つぎに落とすときは、岩場をめざして
落とすはず。
(4) 不可逆性(順序が変わると、できなくなる。)(かっこ内は、私のコメント。)
「産卵前のジバチは、地面に穴を掘り、アオムシを見つけると、麻酔で眠らせ、
穴に引き入れる。
その体内に産卵し、穴を埋めてしまう」
「(しかしその作業の途中で、ほかの虫などのよる)妨害を受けると、(作業を)
継続できなくなる。つまり順序を変えて行動できない」(同書P63)と。
わかりやすく説明すると、ジバチは、(穴を掘る)→(アオムシを麻酔で
眠らせる)→(アオムシの体内に産卵する)→(穴を埋める)という一連の
行動をする。
しかしその途中で、ほかの虫などの妨害が入ると、そこで作業を中断してしまい、再び、途中から作業をすることができなくなるという。
たとえば(アオムシを麻酔で眠らせた)とき、ほかの虫の妨害が入ったとする。
するとジバチは、その虫と対峙するが、それが終わったとき、その途中から
もとの作業に戻ることができない、と。
以上の話を、「では、人間なら……」と、自分に当てはめて考えてみると、おもしろい。
(1)人間だから水の中に入るのを嫌がるとか、嫌がらないとかいうことはない。
(2)クモは、精巧な巣づくりをするというが、人間にも似たような習性がある。
これは哺乳動物一般に共通する本脳だそうだが、巣づくりをするときは、中央に自分の
巣をつくり、余計なものを周囲に積み重ねる。
イヌもネコも似たような行動をする。
人間も、モノを壁にそって周囲に置く。
(3)人間なら、貝殻の殻がどういうときに割れて、どういうときに割れないかを
観察して、そこで学習をする。
そしてつぎに貝殻を落とすときは、岩場に向けて落とす。
(4)何が本当的な作業で、また何が本能的な作業でないのか、人間自身もよくわかって
いないので、安易に「人間なら……」とは、書けない。
書けないが、作業が途中で中断しても、人間なら、つぎは、途中からまた作業を再開
するだろう。
たとえばワイフとセックスをしている最中に、電話がかかってきたようなばあいを、
考えてみればよい。
(電話の内容にもよるだろうが……。)
●本脳論
ここまで予習して、さて本脳論。
先にも書いたように、本脳と学習は、常に対比して考えられていれる。
しかし(学習)といっても、個人差がはげしい。
歳をとればとるほど、学習能力も劣ってくる。
脳は柔軟性を失い、それまでにできあがった固定観念に、より固着するようになる。
しかも人間の行動、心理、精神作用のほとんどが、実は本脳に根ざしている。
「性」を例にあげるまでもない。
これも順に考えてみよう。
(1)人間の男性は、女性の裸体を見ると、性的に興奮する。
しかしイルカの裸体を見て、興奮する人はいない。
これなどは、「種のちがい」とは、言わないのだろうか。
(2)人間は自分の住居を構えるとき、四角形、もしくは円形の住居にする。
これに対して、ハチなどは、六角形を基本とする。
これなどは、「本能」とは、言わないのだろうか。
(3)基本的には、人間は怠け者である。
「学習」にしても、そこに至る過程で、ものごとを分析しなければならない。
分析したものを、つぎに論理的に組み立てなければならない。
これがけっこう、めんどうな作業で、たいていの人は、できるならそうした
作業を避けようとする。
そのかわり、てっとり早く、だれかに方法だけを教えてもらおうとする。
子どもに例えるなら、解答用紙だけをまる写しにして、宿題をすますようなことを、
平気でする。
では、(4)の不可逆性はどうか?
ジバチは、途中で作業が妨害されると、その作業を中断してしまうという。
そしてまたイチから作業を始めるという。
要するにジバチには、脳の柔軟性がないということになる。
しかしこれも程度の差こそあれ、人間も共通して経験することである。
とくに思想の世界で、それを経験する。
たとえば私の近くに、「親は絶対」と説く人がいる。
が、何度話を聞いても、同じ話を最初から、する。
時間がないので、途中で話をやめて別れるが、つぎに会ったときも、また同じ話を
最初からする。
「この前は、ここまで話したから、今日はここから話しましょう」ということが、
できない。
あるいは「親は絶対」という話を基盤にして、「親孝行論」を説いたり、「最近の
若者は……」とか言ったりする。
そういう人は、先にあげたジバチと、どこがどうちがうのかということになる。
あるいは話が、少し脱線しているかな?
しかしこういうことは言える。
私のような年齢になると、性欲からかなり解放される。
と、同時に、性欲といったものが、どういうものか、それがわかるようになる。
そういう視点で自分の過去を振り返ってみると、逆に私の人生のほとんどが、
その性欲に支配されていたことを知る。
学生時代には、1日24時間のち、20時間以上は、女性のことを考えていた。
(性欲)、さらにはその基盤になっている(種族保存)のための本脳は、まさに本脳。
自分からそれを取り除いたら、(私)と言えるものが、ほとんど残っていないのを
知る。
タマネギの皮を順にむいていったら、最後には何も残らない……といったことが、
自分の中でも起こる。
つまり私たちは動物の本能を知ることで、「私たち人間はちがう」と思うかもしれないが、
私たち人間も、やってきることと考えていることは、そこらの虫と同じ。
ちがうと考える方が、おかしい。
脳みそにしても、「昆虫のような脳みそ」(田丸先生弁)をもった人間は、いくらでもいる。
そこで(学習)ということになる。
人間は学習によって、本脳から自分を解放させることができる。
またそれができる人を、(人間)という。
釈迦も、それを「精進」という言葉を使って、説明した。
が、その力は、弱い。
本脳のもつ力を巨大なブルドーザーにたとえるなら、(学習)がもつ力は、
スコップで穴を掘る程度の力しかない。
だから誤解がないように言っておくが、(性欲からの解放)は、けっして悪いものでは
ない。
私も50代の半ばごろ、男性の更年期症候群とやらで(?)、一時、性欲から解放された
気分を味わったことがある。
そのとき感じた軽快感というか、総快感は、いまだに忘れない。
私が(私)に、ぐんと近づいたような気分になった。
……本能、されど本能ということか。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
本脳論 本脳 本脳と学習)
Hiroshi Hayashi++++++++Feb. 09++++++++++++はやし浩司
●金を受け取った人も逮捕?
++++++++++++++++++++
少し前、浜松市で、郵便局強盗がつづいた。
その事件に関して、2人の男性が、逮捕された。
2人は、共同で郵便局強盗を働いた。
強盗罪の適応は、当然である。
しかし、である。
新聞の報道によれば、その強盗犯から、
お金を受け取った別の男性まで、今回、
いっしょに逮捕されたという。
相手が強盗で得たお金であることを
知りつつ受け取ったのが、その理由で
あるという。
が、これはおかしい!
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古物に関しては、古物営業法というのがある。
最近では、古物のほか、商品券や乗車券、それにチケットなども含まれるようになった。
こういった商品を、盗品と知りつつ、古物商が受け取ったり、買い取ったりしたら、
古物営業法により処罰される。
それはわかる。
しかし古物でなく、現金だったら、どうなのか。
さらに古物営業法になじまない、個人であったらどうなのか。
今回の事件は、あくまでも新聞によって報道された範囲での話だが、こういうことだ。
郵便局で強盗を働いた犯人の1人が、強盗で得たお金であることを話しつつ、別の
男性に、お金を渡した。
その別の男性は、相手が、郵便局強盗で得たお金と知りつつ、それを受け取った。
で、今回の逮捕劇へとつながっていった。
しかし、どうして?
その第一、お金を受け取った男性に、警察への通報義務はない。
郵便局強盗をしたのがだれか知っていたとしても、それはその人たちの範囲での話。
通報しなかったからといって、罪に問われることはない。
その第二、古物のばあいは、そのモノが特定できる。
カメラにせよ、絵画にせよ、ほかに2つとて、同じものはない。
しかし現金のばあいは、それはどうか。
だいたい、どれがどのお金か、特定できない。
仮にお金を受け取ったとしても、そのお金はべつのところから得たお金かもしれない。
たとえば郵便局で強盗を働いた男に、それなりの貯金があったばあいを考えてみれば
よい。
いくら相手が、「これは強盗で得たお金だ」と言っても、お金に名前があるわけではない。
札の番号を照合することもできない。
百歩譲って、現金を受け取った男性が、「あれは冗談だと思いました」と法廷で述べたら、
どうなのか?
それですべておしまい。
それとも刑法が改正になったのだろうか。
大学を卒業して以来、それなりにつきあったのは、民事訴訟法だけ。
もしこんなことで逮捕されるようになったら、世の中はメチャメチャになってしまう。
それこそ連座制にまで発展してしまう。
たとえば夫が銀行強盗を働いたとしよう。
妻はそのときは、まったく知らなかった。
関係もしていなかった。
しかしあとになって、それを夫から告白されたとする。
「なあ、お前、このお金はなあ、オレが銀行から強盗したものだよ」と。
ついでに息子に、「お前の学費は、オレが銀行から強盗したものだよ」と。
妻も息子も、それをだれにも告げないで、だまっていた。
そしてしばらくして、夫は、銀行強盗で逮捕された。
容疑も固まった。
こういうケースのばあい、妻も息子も逮捕されることになる。
フ~~~ン?
今度金沢で同窓会があるから、弁護士をしているK君に、聞いてみる。
どうも納得できない。
Hiroshi Hayashi++++++++Feb. 09++++++++++++はやし浩司