最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●横浜

2009-01-15 01:06:07 | Weblog
●秒速30万キロ以上?

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素朴な疑問。
こんな質問をすると、その道の専門家に笑われるだろう。
「あんたも、バカね」と。
しかしこんな疑問が、心をふさぐ。

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たとえば(A)点から、秒速20万キロで遠ざかっている星があったとする。
その真反対の方向に、秒速20万キロで遠ざかっている星があったとする。

わかりやすく説明しよう。名古屋駅から京都に向かって、時速200キロで
走っている新幹線があったとする。
同じ名古屋駅から、東京に向かって、時速200キロで走っている新幹線が
あったとする。
このばあい、2つの新幹線は、たがいに時速400キロで遠ざかっていることになる。
(あくまでも平面で、互い一直線に京都→名古屋→東京が並んでいるばあいだが……。)

同じように、先の2つの星は、20万+20万で、たがいに40万キロで遠ざかって
いることになる。

そこで一方の星から他方の星を見ると、他方の星は、秒速40万キロで遠ざかって
いることになる。

宇宙には、(起点)も(終点)もないわけだから、こちらの星を起点にすると、
相手の星は、秒速40万キロで遠ざかっていることになる。
(宇宙では、あらゆる点が起点であり、あらゆる点が終点という。
地球上に起点や終点がないのと、同じように、だ。)

光速より速く進む物体は、ありえないわけだから、この現象を、どう説明したら
よいのか。
光の速さを秒速30万キロとしても、10万キロもオーバーしている。

が、不思議なことに、ここからがまたまたわからないところだが、秒速40万キロ
で遠ざかっている星は、こちら側には、見えないことになる。
が、実際には見えるという。
(あるいは見えないのか?)
ニュートン力学は、この宇宙では、つぎつぎと否定される。

どうしてだろう。
この謎をどう考えたらよいのだろう。

ひとつの仮説だが、やはりこの宇宙には、(中心)があるということ。
どこかわからないが、どこかにあるということ。
が、今までいろいろな本を読んできたが、(宇宙の中心)という言葉には、
出会ったことがない。
(これは私の不勉強によるものかもしれないが……。)

さらに言えば、宇宙が平面と考えるから、こういう矛盾が生ずる。
そこで宇宙が、凸面、あるいは凹面にゆがんでいると考える。
つねに毎秒30万キロ以上、相互に離れないような宇宙を考える。
そう考えないと、この矛盾を解くことはできない。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●横浜

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たった今、横浜駅で、息子と別れたところ。
今は、新幹線の中でこの文章を書いている。

「横浜は暑い」。
それが横浜の印象。
都会には、都会の熱気というものがある。
地方にはない、熱気である。
厚いコートを着て、マフラーをして、手袋をはめている
自分が、バカに見える。
しかし寒いよりは、暑いほうがよい。
私は子どものころから、寒いのが苦手。

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●都会

横浜は大都会。
大都会というより、東京そのもの。
昔、オーストラリアから来た友人がこう言った。
「日本では、駅と駅の間が、離れていないのが不思議」と。
つまり都会がそのまま連続して、隣の東京につながっている。

そう言えば、2年前に来た友人も似たようなことを言っていた。
「日本では、木と木の間にすき間がないのが、不思議」と。
木と木がくっついているのが、不思議、と。

その私だが、息子との関係もあって、横浜が好き。
息子が大学生のときから、縁がある。
その、息子は今、羽田に住んでいる。
帰りに、みやげに、横浜のシューマイを買った。
横浜へ来ると、みやげはいつも、シューマイ。
この習慣は、40年以上、変わっていない。


●東洋医学

若いころ東洋医学に燃えた。
そのころ私は、西洋科学的なものの見方が定着していたので、
東洋医学は、衝撃的だった。
以来、10数年、私は東洋医学の虜(とりこ)になった。

本も何冊か、書いた。

しかし記憶では、37歳のときに、筆を折った。
数冊の本を残して、それまでに買い求めた本は、すべて捨てた。
以来、東洋医学とは、ほとんど縁がない。
ないまま、20数年が過ぎた。

が、私のことを覚えてくれている人が何人かいることを知った。
失った過去かもしれないが、そういう人に出会うと、その過去が戻ってきたようで、
うれしい。

というのも、私はある時期まで、東洋医学に身を染めたことを後悔した。
7年間もかかって書いた本もある。
東洋医学・経穴編という本がそれである。
当時の私は、時間を無駄にしたという思いを、振り切ることができなかった。
いろいろ理由はある。
あるが、それを書いても、意味がない。
どうせグチになるだけ。

で、今日、その本をもとに、新しい企画の話で、横浜へ行ってきた。
何でも、経穴の位置を押すと、音と映像で、その場所を示したり、その経穴
の効用を示したりする。
そういう装置の開発だそうだ。

G社で教材を開発していたころの自分を思い出す。
楽しかった。
ああ、私は企画屋だった。
いろいろな話をしながら、そんな自分を思い出した。
20代のころは、日テレの『11PM』や、NETの『アフターヌーン・ショー』
という番組の企画を書いていた。
『3時のあなた』というのも、あった。
テレビ局の名前は忘れたが、フジテレビだったか(?)。
番組の名前すら、覚えている人は、今では、ほとんどいないが……。

企画ほど、楽しい仕事はない。
夢がそのまま実現する。
しかしお金にはならない。
アイデアの世界だから、アイデアはアイデアのまま終わってしまう。
著作権で保護されない世界。
それが企画の世界。


●夕食

息子と、横浜駅にあるレストランで、会席料理を食べた。
あの会席料理という料理は、いつ食べてもそうだが、食べたという実感が
ないまま、終わってしまう。

今朝のことだが、私は、白いご飯に、かつお節の削り粉をのせ、醤油をかけて
食べた。
俗にいう(ネコ・マンマ)というのである。
私には、ああいう料理のほうが、性(しょう)に合っている。
またああいう料理のほうが、(料理と言えるかどうかわからないが)、お・い・し・い。

一人前、3500円。
息子も、きっとどこかで、夕食を食べなおすだろう。
私も家に帰って、食べなおすつもり。

ハハハ。


●激ヤセ

私の知人に、85~88キロ台から、72キロ前後まで、激ヤセした人がいる。
本人は、「散歩をして、やせた」と言っている。
年齢は66歳。

で、私もそれに倣(なら)って散歩を始めた。
たしかに効果はあるようだ。
が、しかし最低でも10キロ前後は歩かないといけない。
それもときどきでは、効果はない。
その知人は、どれくらいの距離を、またどれくらいの頻度で歩いたかは知らない。
しかしそれにしても、80キロ台から70キロ台にしたのは、すごい。
よほどの覚悟と意志がないと、なかなか達成はむずかしい。

が、その一方で、(もちろんその知人がそうというわけではないが)、すい臓がんや、
前立腺がんという恐ろしい病気もある。
そういった病気では、激やせに似た症状が出るという。
たとえばすい臓がんのばあい、激やせに併せて、突然、糖尿病になったりするそうだ。
前立腺がんのばあいは、無症状のまま10年単位で、過ぎることもあるそうだ。
が、元来、おとなしいがんで、それほどあわてなくても、よいとのこと。
少し前、日本でも有数の、権威のあるドクターと会食をさせてもらった。
そのドクターがそう言っていた。

その知人は、「散歩で……」と言っているが、しかし散歩だけで、そんなに
やせるものだろうか。
心配がないわけではない。
ないが、しかし当然、そういった検査もしているだろう。

で、私のことが、正月に三日酔いをしている間、2~3キロやせた。
3~4日間、ほとんど何も食べなかった。
それで減量成功!

あとはこの体重を維持するだけ。
しかしそれにしても、おなかが、すいたナア……。


●新幹線

今は静岡駅を出て、つぎの浜松駅に向かっている。
一度、三島駅で乗り換えた。
三島駅から、静岡、浜松にも止まる、「ひかり」。

新幹線の運行も、わかりにくくなってきた。
サービスの向上というよりは、効率の向上をめざした(?)。
つまり東京→三島行き(三島止まり)をつくり、そのあと、三島→静岡→浜松でも止まる
ひかりを走らせる。
なかなか頭がよい。

計算づくというか、巧妙。
つまりこうすれば、どの列車も、乗車率80%前後を確保できる。
客からの文句も、出ない。


●夜行列車

夜行列車には、独特のムードというか、哀愁が漂う。
10年前もそうだったし、20年前もそうだった。
今も、そうだ。

窓の外の景色をながめていると、つんとした孤独感を覚えることもある。
暗闇の中を、細い光だけが、つぎつぎと現れては消える。
それをぼんやりとながめていると、人生そのものを感ずる。

で、こうした景色を見られるのも、あと何年だろう。
10年か?
運がよければ、20年か?

若いころは、東京へ行くことには、いつも夢が伴った。
しかし今は、ない。
「今さら……」という気持ちが、先立ってしまう。

そう言えば、数か月前、同じ横浜で、ラジオ日本で、トーク番組を作らせて
もらった。
そのときのディレクターが、ふとこんなことを漏らした。
「あと20年、早く知り合いになればよかったですね」と。
つまり私の年齢で、ラジオ番組にデビューするのは、遅すぎる、と。

もっとも私にはその気はまったくなかった。
そのディレクターの言ったことは、そのまま聞き流すことができた。
「今さら有名になったところで、それがどうした!」と。

それよりも大切なことは、今の自分を燃焼させること。
知りたいことは、まだ山のようにある。
そのための時間は、あまりにも短い。
(少し、肩に力が入りすぎているかな……。)


●帰宅

帰るべきところがあるというのは、よいこと。
帰ることができるところがあるというのは、よいこと。
「家族」というのは、それをいう。

今日も一日、終わった。
完全燃焼とまではいかなかったが、やるべきことはした。
そう言って、自分をなぐさめる。

明日から、またがんばろう。
そうそう、明日もまたワイフと10キロ、歩くつもりでいる
……ワイフときたら、足が痛いくせに、こう言った。
「10キロくらい、平気よ。何でもないわ」と。

私も負けず嫌いだが、ワイフは、もっと負けず嫌い。
明日は、どうかな……?


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