最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●代理ミュンヒハウゼン症候群

2009-01-15 13:53:43 | Weblog
【代理ミュンヒハウゼン症候群】(追記、090115)

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私は、代理ミュンヒハウゼン症候群について、
すでに4、5年前から、書いてきた。
そのこともあって、このところBLOGへの
アクセスが急増している。
たとえば「はてなBLOG」のばあい、
どういう検索ワードを使って、そのBLOGへ
アクセスしてきたかが、一覧表になって示される。
その中でも、とくにここ1か月ほど多いのが、
「代理ミュンヒハウゼン症候群」。

その代理ミュンヒハウゼン症候群については、
すでにたびたび書いてきたので、ここでは
省略する。
ここでは、その先というか、中身を考えて
みたい。

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●殺意の認定

刑法上、代理ミュンヒハウゼン症候群が問題になるのは、(1)殺意の認定、(2)それにつづく実行行為、そして(3)結果として、何らかの結果(殺人、傷害)などの結果が起きたばあいである。

殺意だけでは、殺人罪の構成要件には該当しない。
よく知られた例に、「わら人形」がある。
いくらその人が、だれかを憎み、毎晩わら人形を神社の柱に打ちつけたとしても、殺人罪で起訴することはできない。

が、何らかの実行行為が伴ったとき、たとえば刃物を買って、そのだれかに襲いかかったようなケース。
今度は、その時点で相手に何ら危害がなくても、殺人未遂罪が適応される。
が、こういうケースもある。

殺意はあいまいだが、しかし実行行為があり、結果として致傷、あるいは殺人につながるようなケースである。
こうしたケースでは、「未必(みひつ)の故意」が適応される。
「相手に危害を及ぼうそうという積極的な意思はなかったが、しかしその可能性は予見していた」というようなケースである。
それに対して、まったくその意思がないばあいは、過失致傷罪、過失致死罪が適応される。

●代理ミュンヒハウゼン症候群

岐阜県関市の1人の母親が、今、代理ミュンヒハウゼン症候群による行為障害者ではないかと疑われている(08年12月~)。
実の娘の点滴の中に、腐った水などを混入し、よってその娘の病気を長引かせたという。
(ほかの娘たちを死に至らしめたという疑いもかけられているようだが……)。

この事件で注意しなければならないのは、動機が何であれ、もちろん代理ミュンヒハウゼン症候群によるものであるかどうかも含めて、それ自体は、刑法上は、問題とされないということ。
仮に虐待によるものであるとしても、「虐待罪」で問われることはない。
「虐待罪」そのものが、存在しない。
同じように、「代理ミュンヒハウゼン症候群罪」という罰則が、刑法上にあるわけではない。

しかも、代理ミュンヒハウゼン症候群といっても、その多くは目立った虐待を伴わない。
たまたま病弱な子どもがいて、その世話を、かいがいしくして見せながら、「いい母親」「すばらしい母親」を演ずることもある。

つまり代理ミュンヒハウゼン症候群というときは、第三者に向かって、「私はすばらしい人間である」ということを印象づけるのを目的とする。
みなに、「あなたはよくできた人だ」「すばらしい人だ」と、同情される。
同情されることによって、自分の立場を作りあげる。

そのため代理ミュンヒハウゼン症候群といっても、対象となる被害者は、子どもとはかぎらない。
親や兄弟、ということもある。
また舞台は、何も病院とはかぎらない。
家庭や施設などでもある。
またこうした行為は、秘密裡になされることが多い。
今回、岐阜県関市で起きた事件についても、その女性の夫は、妻をかばっている(?)。
「信じられない。精神的に混乱していたのではないか」(中日新聞)と。
さらに「(警察に)誘導されてしまったのではないか」(同)と、むしろ警察の捜査に不信感を表明している。

(新相はこれから明らかになるだろうが……。)

それほどまでに、その女性の行為が巧みだったのか、それとも、夫が無知無学なのかはわからない。
あるいは夫が弁明しているように、事件そのものが、警察によるでっちあげなのかもしれない。
しかし一般論として、代理ミュンヒハウゼン症候群かどうかは、きわめてその身近にいて、またその知識がないと、わからない。

●ある女性のケース

ある女性(当時60歳くらい)は、明らかに実の父親を虐待していた。
その数年前、父親は脳梗塞を起こし、体の運動もままならなくなっていた。
いちばん近くに住んでいた娘の家に、引き取られることになった。

食事をこぼす。
便をもらす。
ものを不注意で壊す、など。
そのつどその女性は、父親をはげしく叱った。
ふつうの叱り方ではない。
ヒステリックな金きり声をあげて、叱った。

こんなこともあった。
家で遊ばせておくのは、もったいない(?)ということで、父親に内職をさせたこともある。
簡単な仕事だったが、半身不随の父親には、できるはずもない仕事だった。
が、その父親は、その女性(実娘)が命ずるまま、その仕事をこなした。
が、ある日、何があったのかは知らないが、父親は、その仕事(電気部品)を、家の前を流れる小川に投げ捨ててしまった。
その女性は、激怒した。
それ以後、食事は、ほぼ3食、ごはんと味噌汁だけ。
ときにごはんと、魚を焼いたようなものだけ。
ベッドを汚すからという理由で、父親は紙おむつをあてがわれていたが、その紙おむつを取り替えないということも、つづいた。

……という話なら、今では、どこにでもある。
珍しくない。
またこれだけなら代理ミュンヒハウゼン症候群という言葉は出てこない。

代理ミュンヒハウゼン症候群といわれるためには、つぎの行動、つまりそれを利用して、ことさら自分の立場をつくるという行為が必要である。
他人から、「あなたはよくやっている」「すばらしい人だ」と思われることで、自分の立場をつくる。

こうして内々では、父親を虐待しながら、外部に向かっては、自分はすばらしい女性であることを、演技した。
たとえば親類、あるいは実の妹や弟がその父親を見舞いにやってきたりすると、やさしくて思いやりのある娘を演じて見せたりした。
ベッドに横たわる父親の横に、片時も離れず、ずっといた。
(実際には、自分の虐待を、父親が話すのを恐れて、離れることができなかったのではないか?)
そしてそのつど、父親の背中をやさしくさすってみたり、口に飲み物を含ませたりしていた。
そして見舞う人に対しては、長々と、そしてくどくどと、その苦労話を言って聞かせたりした。
もちろん(?)、そのときだけは、父親に、洗濯のゆきとどいた、清潔な服を着せたりしていた。
弟や妹が何もしないことを、それとなく訴えた。
(実際には、弟と妹は、それぞれ毎月5万円ずつ出しあって、その女性を助けていたのだが……。)
で、見舞いに行った人は、みな、こう言った。
「あのXさん(=女性の名)は、すばらしい女性だ」「仏様のような人だ」と。

●代理ミュンヒハウゼン症候群

さらに注意しなければならないのは、程度の問題もあるということ。
浜松市内の病院に勤務する精神科のドクターが、最近、こう教えてくれた。

「代理ミュンヒハウゼン症候群で、精神科へやってくるような患者は、明らかに様子がちがうから、それとわかる」と。
つまり様子からして、ふつうではない、と。
また今回の事件のように、明白に、殺意が感じられる行為があったばあいのみを、代理ミュンヒハウゼン症候群としているとのこと。
またそれがないばあいには、代理ミュンヒハウゼン症候群としては扱わない、とも。

そこで私が、「しかし治療法など、ないでしょう? どうするのですか?」と聞くと、そのドクターは、あっさりとそれを認めた。
「ないから、10年単位のカウンセリングということになります」と。

で、岐阜県関市の女性が起こした事件が、代理ミュンヒハウゼン症候群と決めつけてよいかどうかは、今のところ不明である。

新聞の報道などでも、「専門家の中には、代理ミュンヒハウゼン症候群によるものではないかと疑う人もいる」というような書き方をしている。
それもそのはず。
刑法上にも、代理ミュンヒハウゼン症候群罪という罪があるわけではない。
刑法上では、あくまでも未必の故意、もし殺意の認定がされれば、殺人罪、もしくは殺人未遂罪で、当の女性を訴追するしかない。

また精神医学の分野でも、人格障害、もしくは行為障害として、治療に当たるしかない。
代理ミュンヒハウゼン症候群というのは、あくまでもその中の類型のひとつにすぎない。
(繰り返すが、「代理ミュンヒハウゼン症候群」というのは、診断名ではない。
あくまでも類型名でしかない。)

●刑法上の罪vs精神医学上の診断名

わかりやすく言えば、他人の同情を買い、それでもって自分の立場をつくり、そのために必要とあれば、虐待をともなう一連の行為を繰り返すことを、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という。

今回は対象となった相手が、実の子どもであった。
点滴の中に、腐った水を混入させた(?)。
しかし殺す目的があったというよりは、(よくできた、すばらしい母親)を演ずるために、そうした(?)……、という点で、「代理ミュンヒハウゼン症候群」が疑われている。

報道されている事実だけからすると、先にも書いたように、刑法上では、未必の故意による殺人未遂罪が適応される可能性が高い。
が、そこまで。

繰り返すが、「代理ミュンヒハウゼン症候群罪」というのは存在しない。
「代理ミュンヒハウゼン症候群」というのは、また病名ではない。
診断名として確立しているわけでもない。
診断名として確立するためには、診断基準が示されなければならない。
さらに言えば、治療法が確立されているわけではない。

が、つぎのことだけは、覚えておくとよい。

●新しい虐待

教育の世界で、代理ミュンヒハウゼン症候群が問題になり始めたのは、ここ4、5年のことと考えてよい。
「どうもおかしい?」というケースが、児童相談所の相談員の間から、聞こえ始めたのも、そのころである。
それに並行して、「新しいタイプの虐待」、もしくは「新しい虐待」という言葉も使われるようになった。

うわべでは、たいへんよい母親に見えるのだが、子どもに虐待された痕跡が見られる。
怪我や病気を繰り返す。
子どもの病院通いがつづく。
が、母親に会って面談すると、おだやかで、やさしい。
が、どこか一貫性がない。
つかみどころがない。
そのつど質問すると、母親はペラペラと、言い訳したり、とりつくろったりする。
子どもの世話について、苦労話を、あれこれする、などなど。

「一貫性がない」というのは、行動や言動が、ちぐはぐなことをいう。
一方で献身的で、自己犠牲的な母親を演じながら、それでいて、学校でのボランティア活動などには参加しない。
子どもの病気については、涙をこぼしながら話すにもかかわらず、治療費を滞納する。
教師が病院へ行くと、やさしい母親を演じて見せるが、近所の子どもの話では、毎晩その母親の怒鳴り声が聞こえる、など。

さらに言うことが、そのつど変化する。
たとえば「治療費がたいへん」とこぼすから、学校側が、児童保険の適用を申請する。
が、つぎの相談では、今度は、勉強の遅れを問題にする、など。
「そのつど、話の内容がころころと変わるからたいへんでした」と、それを話してくれた
教師は、そう言った。

●見かけにだまされない

代理ミュンヒハウゼン症候群にかぎらず、母親というのは、見かけだけで判断してはいけない。
天才的に、演技がうまい母親(女性)も多い。
うまいというより、ふつうの人なら、まず、だまされる。
岐阜県関市で起きた事件にしても、先にも書いたように、そばにいる夫は、まったくそれに気づいていなかったようだ。

私も最近、それらしいケースに遭遇したことがある。
そこでそれとなくその夫(=子どもの父親)に、打診してみたが、その夫は、私の話の一部さえ聞こうとしなかった。
そのまま激怒してしまった。

またこれはあくまでも私の印象だが、当の女性ですら、自分のしている行為が何であるかもわかっていないのではないかということ。
もちろん虐待しているという意識はない。
つまり病気でいえば、「病識」そのものがない。
「私は正しいことをしている」「私はすばらしい母親(娘、嫁)である」と、自らをそう信じ込ませている。

したがって一連の自分の行為についても、罪の意識はまるでない。
(どこかに罪の意識が残っていれば、まだ話もできるのだが……。)
そういう点で、先に、精神科のドクターが言ったように、「明らかに、おかしい」という状態になる。

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【付記】(1)

良好な人間関係の構築ができない人は、(1)攻撃型、(2)服従型、(3)依存型、(4)同情型のいずれかのパターンをともなった、行動に出る。
代理ミュンヒハウゼン症候群は、この中の、(4)同情型ということになる。
他人に同情してもらうことにより、自分の立場を確立する。

よくあるケースが、人に会うたびに、自分が病気であり、体が弱いことを訴えるもの。
弱々しく、今にも死にそうな声で、相手に訴えかけることもある。
話すことといえば、自分の病気のことばかり。
さらにそれが進むと、自傷行為をともなうこともある。
わざと壁に頭をぶつける、わざと高いところから飛び降りる、わざと道路でころんでみせる、など。
そういう行為をすることで、他人の同情を引き寄せる。

私は「同情」をつぎの3つのパターンに分類する。

(1) 自己同情型(弱々しい自分を演ずるという意識がないまま、演ずる。)
(2) 代理ミュンヒハウゼン症候群
(3) 自傷型(本能的な部分で、衝動的に行動するので、自己管理能力が機能しない。)

どうであるにせよ、意図的な行為というよりは、無意識下の行為であるため、本人に客観的にそれを自覚させることは、たいへん難しい。

先にあげた父親を虐待しながら、その一方で、すばらしい娘を演じている女性にしても、当の本人は、演じているという意識もないのではないか。
ごく自然な行為(?)として、それをしている。
またそれを指摘すると、(実際には指摘できないが)、たいていこのタイプの女性は、烈火のごとく怒り出す。
「私がこんなに苦労しているのに!」と。
実際には、結局はその人が世話や介護をするしかないという状況があり、ある一定の範囲にある間は、代理ミュンヒハウゼン症候群が疑われても、黙認する。

一般的には、代理ミュンヒハウゼン症候群というと、女性の問題と考えてよい。
圧倒的に、女性によるケースが多い。
ミュンヒハウゼン氏というのは、男性だったが……。

【付記】(2)

こうした代理ミュンヒハウゼン症候群と自ら闘うためには、自己の文化性を日ごろから高める。
音楽を聴いたり、本を読んだりする。
より高度な人と接し、より高度な情報を吸収する。
そういう行為を繰り返して、自己の文化性を高める。
もちろん良好な人間関係の構築に努める。
小さな殻(から)の中に閉じこもり、そこで自分の(ゆがみ)を極端化させるのは、たいへん危険なことと考えてよい。

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