最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/

●1月9日(1)

2009-01-09 08:28:51 | Weblog
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●依存性をつけさせる指導法

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これは進学塾での話。
その進学塾では、生徒が依存性をもてばもつほど、
経営は安定する。
そのためにどうすればよいか、進学塾の経営者は
いつも考えている。
あるいは無意識のちにも、過去のやり方を踏襲する。
わかりやすくいえば、「この塾をやめたら成績が
さがる」という恐怖心をもたせる。
さらに「この塾をやめたら、目的の学校には
入れない」という恐怖心をもたせる。
たとえば三者面談などを通して、意図的では
ないにせよ、数字を並べて、子どもを脅す。
親を脅す。

子どもも親も心理的に不安な状態にあるから、
そのままそれを信じてしまう。
その手法は、カルト教団が信者を獲得する
方法に、たいへんよく似ている。

が、進学塾にしてみれば、それでよいとしても、
子どもにとっては、そうでない。
仮に目的の中学校へ入学できたとしても、
そのあと、そこでプツンしてしまう。
目的の高校へ入学できたとしても、そのあと、
プツンしてしまう。

が、これもカルト教団の信者の心理とよく似ている。
その教団の従順な信者である間は、それなりに
幸福感や充実感を覚えるかもしれない。
しかしカルト教団から離れたとたん、心理的にも、
たいへん不安定な状態になる。
(実際には、一度カルト教団に入信してしまうと、
それから離れるのは、容易なことではない。)

ここでいう(依存性)というのは、それをいう。
では、どうするか?

指導するとしても、依存性をもたせるのは、最小限に。
たとえば私は、小学校の高学年にもなると、いつも
生徒たちには、こう言う。

「自分で勉強しなさい」
「わからないところがあったら、もってきなさい」と。

さらに効果的にするために、小学3、4年生になったら、
小学校5、6年生の間に座らせて、好きな勉強をさせる。
つまりこうして順送りに、(勉強グセ)を、上級生から
下級生に伝える。

この方法は、イギリスのカレッジで、ふつうにされている
方法である。

こうして子どもに依存心をもたせないよう、ついでに、
自学自習の方法を身につけさせる。

しかしこの方法は、進学塾にとっては、まことまずい。
この指導法では、月謝は取れない。
また親たちにも受けが悪い。
「ていねいに教えてくれない」とか「先生は遊んでいる」とか、
言う。
「わからないところがあったら、もってきなさい」という
教え方は、一見、子どもには、たいへん不親切な教え方に
見える。
それはわかるが、では、いわゆる(手取り足取り教育)が、
はたしてそれでよいかというと、けっして、そうではない。
ここに書いたように、子どもに依存心を植えつけてしまう。

むしろ指導法としては、いつか生徒が独立するように、
「こんな先生に習うくらいなら、自分でしたほうがまし」と
思わせるようにしむける。
私はそれを勝手に、「卒業」と呼んでいる。
自分で勉強する方法を身につけた子どもは、あとは自分の
力で伸びていく。
それこそ、(真の力)ということになる。

が、この方法を試しても、伸びない子どもというのは、
たしかにいる。
それこそ、あれこれ指示を与えないと、鉛筆をもつことさえ
しない。
「好きな勉強をしていいよ」と励ましても、何もしない。
時間ツブシ(無駄なことをして、時間をつぶす)、
フリ勉(勉強しているフリだけをする)、
時間殺し(簡単な問題だけを、繰り返しする)などがうまい。

一度こうした症状が、小学4~5年生くらいまでに出てくると、
そのあと、その子どもが伸びるということはまず期待できない。
大切なことは、子どもがそうならないよう、幼児期から
注意する。
またそれが幼児教育のひとつということになる。

方法としては、「勉強するのは楽しい」「おもしろい」という
意識だけをみながら指導する。
その意識があれば、それでよし。
「覚えた、覚えない」「できるようになった、ならない」は、
この時期、ほとんど意味がない。
だから、昔から、こう言う。
『好きこそ、もののじょうずなれ』と。
英語では『Happy Learners learn Best(楽しく学ぶ子は、よく学ぶ)』
という。

教育はここから始まり、ここで終わる。
ついでに依存心は、子どもを従順にするが、それは子ども本来の
姿ではない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
子供と依存性 子供の依存心 依存する子ども)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec 08++++++++++はやし浩司

●親子関係

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親子関係をざっと分けると、
つぎの9つのタイプになる。

(1)過保護型
(2)過干渉型
(3)でき愛型
(4)過関心型
(5)盲従型
(6)三角型
(7)スパルタ型
(8)放棄型
(9)代償型

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親子関係、とくに母子関係を分類すると、つぎのようになる。

(1)過保護型(心配先行型ともいう)
(2)過干渉型(不安先行型ともいう)
(3)でき愛型(親の情緒不安型ともいう)
(4)過関心型(神経質型ともいう)
(5)盲従型(親子関係逆転型ともいう)
(6)三角型(父、母の育児観がバラバラ)
(7)スパルタ型(厳格型ともいう)
(8)放棄型(無責任型ともいう)
(9)代償型(人形子型ともいう)

これらについては、小生の「ママ診断」(無料版、HP収録)にて、
詳しく診断できるようになっている。
興味のある人は、次へ:

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page288.html

要するに、親は、(1)ほどよい親であること。
そのためには、(1)暖かい無視と、(2)求めてきたときが与えどき、この
2つを守る。
さらに言えば、親というのは、自分で失敗してみて、はじめてそれが失敗だった
ことを知る。
そのためには、
(1)いつも自分を客観的に見る目を見失ってはいけない。
(2)他人との交流を通して、子育てを風通しのよいものにする。

まずいのは、自分の住む世界を、カプセルでおおい、独自、独断の世界を作りあげて
しまうこと。
一度こういう状態になると、ものの考え方が極端化しやすくなる。
同じ過保護でも、極端な過保護になったりしやすい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
親子関係 母子関係 母と子)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今、どうして「忠臣蔵」?

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毎年12月になると、どうしていつも忠臣蔵?
昨日(12月11日)も、NHKテレビは、
それについての特集番組を流していた。

忠臣蔵といっても、ただの復讐劇ではないか。
いつになったら、そのおかしさに、日本人は
気がつくのだろう?

以前書いた原稿をさがしてみた。

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●忠臣蔵論

 浅野さん(浅野内匠頭)が、吉良さん(吉良上野介)に、どんな恨みがあったかは知ら
ないが、ナイフ(刀)で切りかかった。傷害事件である。が、ただの傷害事件でなかった
のは、何といても、場所が悪かった。

浅野さんが吉良さんに切りかかったのは、もっとも権威のある場所とされる松之大廊下。
今風に言えば、国会の中の廊下のようなところだった。浅野さんは、即刻、守衛に取り押
さえられ、逮捕、拘束。

 ここから問題である。浅野さんは、そのあと死刑(切腹)。「たかが傷害事件で死刑とは!」
と、今の人ならそう思うかもしれない。しかし三〇〇年前(元禄一四年、一七〇一年)の
法律では、そうなっていた。

が、ここで注意しなければならないのは、浅野さんを死刑にしたのは、吉良さんではない。
浅野さんを死刑にしたのは、当時の幕府である。そしてその結果、浅野家は閉鎖(城地召
しあげ)。今風に言えば、法人組織の解散ということになり、その結果、四二九人(藩士)
の失業者が出た。自治体の首長が死刑にあたいするような犯罪を犯したため、その自治体
がつぶれた。

もともと何かと問題のある自治体だった。わかりやすく言えばそういうことだが、なぜ首
長の交代だけですませなかったのか? 少なくとも自治体の職員たちにまで責任をとらさ
れることはなかった。……と、考えるのはヤボなこと。当時の主従関係は、下の者が上の
者に徹底的な忠誠を誓うことで成りたっていた。今でもその片鱗はヤクザの世界に残って
いる。親分だけを取り替えるなどということは、制度的にもありえなかった。

 で、いよいよ核心部分。浅野さんの子分たちは、どういうわけか吉良さんに復讐を誓い、
最終的には吉良さんを暗殺した。「吉良さんが浅野さんをいじめたから、浅野さんはやむに
やまれず刀を抜いたのだ」というのが、その根拠になっている(「仮名手本忠臣蔵」)。そう
でもしなければ、話のつじつまが合わないからだ。

なぜなら繰り返すが、浅野さんを処刑にしたのは、吉良さんではない。幕府である。だっ
たら、なぜ浅野さんの子分たちは、幕府に文句を言わなかったのかということになる。「死
刑というのは重過ぎる」とか、「吉良が悪いのだ」とか。もっとも当時は封建時代。幕府に
たてつくということは、制度そのもの否定につながる。自分たちが武士という超特権階級
にいながら、その幕府を批判するなどということはありえない。そこで、その矛先を、吉
良さんに向けた。

 ……日本人にはなじみのある物語だが、しかしオーストラリア人にはそうでなかった。
一度、この話が友人の中で話題になったとき、私は彼らの質問攻めの中で、最終的には説
明できなくなってしまった。ひとつには、彼らにもそういう主従関係はあるが、契約で成
りたっている。つまり彼らの論理からすれば、「軽率な振るまいで子分の職場を台なしにし
た浅野さん自身に、責任がある」ということになる。

 さてあなたなら、こうした疑問にどう答えるだろうか。彼らにはたいへん理解しがたい
物語だが、その理解しがたいところが、そのまま日本のわかりにくさの原点にもなってい
る。「日本異質論」も、こんなところから生まれた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
忠臣蔵 忠臣蔵論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●歩く

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このところ週2度くらいの回数で、
自宅から街までの距離を、ワイフと
歩いている。
で、今日(12月8日)のコースは、
佐鳴湖西岸→富塚(とみつか)→付属中学
→鹿谷(しかたに)→市内。
途中、鹿谷から市役所前まで、バスに
乗った。
歩いた時間は、1時間40分。
距離は、正確にはわからないが、10~12
キロ前後か。

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私はときどき街まで、歩いている。
それを見て、最近は、ワイフが同行してくれるようになった。
話し相手ができて、うれしい。

で、今日のメイン・コースは、何と言っても秋たけなわの、佐鳴湖西岸。
私はデジタルカメラで、1~2分歩くごとに、写真を撮った。
すばらしかった。
風もなく、湖面はまるで鏡のよう。
その湖面に対岸の景色が映って、まるで夢の中のよう。
佐鳴湖はいつ来ても、美しい。

が、そのあと誤算。
佐鳴湖の端にあるパークタウンから、鹿谷のほうへ坂を上ったところで
バスに乗るつもりだった。
しかし歩けども歩けども、バス停がない!
そんなわけで、予定よりも、3~4キロも余計に歩くはめに。

私たちはいつも、7~8キロをひとつの目安にしている。
10キロを超えると、とたんに疲労感がます。

今度から、ちゃんとバスコースを調べてから、歩くことにする。

(付記)
私は小学生のころ、毎日、ちがった道を通って、家に帰った。
それが楽しかった。
2~3時間の寄り道は、当たり前。
今のように、道草を食っても、それをとがめる人はだれもいなかった。
心配する人もいなかった。
私は今で言う「帰宅拒否児」だったかもしれない。
その話をワイフにしながら、「子ども時代に戻ったみたい」と。
だからいつだったか、少し前、子どもの道草についての相談を受けたとき、
私は思わずその母親にこう言ってしまった。
「いいんじゃ、ないですかア~」と。

今では、道草を食うということは、学校のほうで禁止されている。
都会地域では帰りは、バスか車。
まっすぐ帰る。
都会の子どもたちは遊んで帰るということが、できない。

(付記)「帰宅拒否は、軽症うつの可能性がある」という新聞記事が
目に留まった。
「うつ病の初期症状と考えてよい」とも。
「仕事が終わっても家に帰りたくない」というのであれば、そうかもしれない。
が、私のばあいは、それもあったかもしれないが、遊ぶために、寄り道をした。
カエルをつかまえて、皮をむく。
そのカエルの足を紐(ひも)でくくって、ザリガニをとる。
そういうことを毎日のようにしていた。
で、そういう自分を振り返りながら、今、こう思う。
「最近の子どもたちは、どこでどう遊んでいるのだろう?」と。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec・08++++++++++++++はやし浩司

●野生児(データ)

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1920年、インドのカルカッタの西、
約100キロのジャングルの中で、
2人の少女が見つかった。

推定年齢は、8歳と、1・5歳の、2人の少女である。
オオカミによって育てられていたという
ことで、「オオカミ少女」と呼ばれるようになった。

推定年齢8歳の少女には、「カマラ」、1・5歳の
少女には、「アマラ」という名前が、それぞれ
つけられた。

2人の少女を保護したのは、自らも孤児院を経営して
いた、シング牧師。
彼はその後、妻と2人で、2人の少女を手厚く保護し、
教育を授けた。

妹と思われるアマラは、2か月で言葉を話せるように
なったが、姉と思われるカマラは、2年もかかった
という。

アマラは発見されてから1年後に、病死。
カマラは、17歳まで生きたという。

シング牧師夫婦の教育のおかげで、カマラは、
3年後には2本足で歩くことができるようになったが、
急ぐときは、4つんばいのままであったという。

言葉も覚えたが、それでも17歳までに、覚えた
単語の数は、40語足らずであったという。
が、最後の最後まで、人間らしい感情を取り戻す
ことはなかったという。
ただおなかがすいたときだけ、怒った表情を
して見せたという。
(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
はやし浩司 野生児 インド オオカミ少女 オオカミ姉妹 狼少女 狼姉妹 
カマラ アマラ)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec・08++++++++++++++はやし浩司

●トイレの話

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私が中学生のときのことだったと思う。
授業中、先生が、こんな話をしてくれた。
何の授業だったかは覚えていない。
先生がだれだったかも、覚えていない。
が、こんな話だった。

「アメリカ人というのは、大便と小便を
別々にする」と。

どういうわけか、その話が強烈に印象に
残った。
というのも、当時も今も、私も含めて、
日本人というのは、大便と小便を
同時にするというのが、常識だった。

が、それから40数年。
今でもときどき、その話を思い出す。
思い出しながら、トイレに入る。
そしてこう考える。

私はどうなのか?、と。

で、こういうことは言える。
スリッパ型の日本式トイレでは、力の
入れ加減で、どうしても両方を同時にする。

一方、座式型の洋式トイレでは、力の入れ加減が
ちがう。
大便のほうしかできない(?)。
(女性は、どのようにしているか、私は
知らないが……。)
つまり男性は、どうしても別々になってしまう。
大便をしたあと、もう一度、立ちなおし、
小便をする。
中学生のときの先生が言ったように、「大便と
小便を別々にする」。

つまり私もあのとき先生が言った、アメリカ人
のようになってしまった。

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