ブリキ屋

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1975年を最後に昭和天皇が靖国神社を参拝しなくなった理由

2023年08月12日 | 政治
昭和天皇は、ナチス・ドイツと軍事同盟を結んだ<松岡祐介>を拝むことを拒否した。国際連盟を脱退したのも松岡!<白鳥>へも拝むことを拒否した!
当時の宮内庁長官、富田朝彦の<昭和天皇のご発言>のメモ

『私は<或る時に>、A級が合祀され その上<松岡> <白取><までも>が、
 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが

 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
 松平は平和に強い考えがあったと思うのに
 親の心 子知らずと思っている
 だから私は<あれ以来>参拝していない
 それが私の心だ』
注:富田氏の誤記 白取 → 白鳥

●昭和天皇は、英国や米国と戦争することに、<立憲君主制>の範囲で、最後まで反対していた。
<松岡>祐介は、<ナチス・ドイツ>と<軍事同盟>を結んだ。
つまり、英国と米国とを敵として戦うことにした。
しかも、国際連盟を脱退した張本人である。
<白鳥>は、<イタリア>のムッソリーニと<軍事同盟>を進めた犯人である。
<日独伊三国同盟を結んだ>、国家の道を誤らせた、国家に対する大いなる犯罪者である。
このために、日本の国は亡びる直前まで、引きづり込まれた。
天皇家、天皇制も、滅びる直前にまで、陥った。

●更に、靖国神社は、<天皇のために><戦って死んだ>英霊を祭る神社である。
この掟・基準は、明治天皇がお決めになった。つまり、<軍人と兵士を>祭る神社である。
松岡も白鳥も、軍人でなく、兵士でもない。そして、<病気で亡くなった>のである。
昭和天皇は、<明治天皇の定めた掟・基準を、勝手に変えて合祀した>ことにも怒った。
だから、昭和天皇の発言である「富田メモ」で、直接に、松岡と白鳥の名前が出て、批判されていた。
●昭和天皇は、神道を信じていた。
だからこそ、<松岡>と<白鳥>の靖国神社に、頭を下げるのを拒否した。
死ぬまで拒否した。
昭和天皇の怒りは強い。
それは<松岡>と<白鳥>とに、大きな戦争責任があると、昭和天皇が考えていたからである。
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自民党に繋がる日本政府 厚生省は、<A級戦犯の遺族にも><年金を支払う>ことを企てる。
厚生省の中に旧軍人が隠れており、戦前に、靖国神社に祭る英霊の基準審査していた人々である。
そして、この厚生省が靖国神社に対して、圧力をかけて、合祀を強要した。
靖国神社の宮司は、昭和天皇のお考えを慮り、検討中として、10年以上延期していた。

この宮司の後、ウヨク思想の宮司が就き、東京裁判を否定するという政治的目的のために、
宮内庁の反対を無視して、合祀した。
そして、昭和天皇への、その報告も、わざと遅らせた。
これで、靖国神社が、政治問題となった。
中国も、自国の中国国民に対して、次の論理で、和解を強要していた。(毛沢東と周恩来)
日本国民(日本人民)も犠牲者である。
戦争を起こし、強制したのは、A級戦犯である。

だから、<一般兵士が祭られている>靖国神社ならば、参拝を容認する。
しかし、<A級戦犯>が含まれる靖国神社ならば、参拝に抗議する。
【2019年7月31日(水)日本経済新聞より】


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