夕霧の烏帽子

クラシックバレエと
仕事と宝塚を生きがいにしている
50代の徒然を書いてます。

告知

2007年08月14日 | Weblog
職場が夏休みに入る前日にその電話があった。

ウチの診療所が開院した当時から来ていた患者さんが
亡くなった・・と、患者さんのお嬢さんから電話があった。
電話を取ったのが新人さんだったため詳しい事も聞かずに、
「Sさんが亡くなったそうです」と私は告げられて・・・絶句していました。
私の母と同じ年齢で、家族全員が来院していたので色々とよく
お話をしていた方でした。

一ヶ月に一回は来院をしていたので近況は聞いていた。
2ヶ月前に来た時に
「20年ぶりに人間ドックを受けたら肺がんがみつかった」
「もしかしたら来月は入院しているかもしれないからね・・」
1か月前の時は
「手術は出来ないそうなの」
「通院で抗がん剤の治療を受けることにしたのよ」

話してくれる彼女は懸命に耐えているのが見て取れて、
「暗くなっては駄目ですよ」
「今、見つかって良かったんです」なんて励ましていたのだけれど・・

亡くなった今、考えてみると、
検診を受けていなかったら・・・
自分は癌である・・と、知っていなかったら・・
そんな事を考えてしまう自分がいる。

もちろん・・初期の段階で見つかれば「告知」をしての「治療」だけれど、
末期だとしたら・・「告知」をしないほうが患者さんにとっては
精神的な部分で楽なのでは無いだろうか・・・?
告知が当たり前となっているいま・・考えても良いのではないでしょうか?

某ERで仕事をしている看護士の友人が話していたけれど、
ERは医者にとって自由な場となっているそうである。
やってみたい治療をやっている・・
「それに付き合う私たちを考えてよ」と、話してくれた。

患者は何も分からないから医者に任せるしかないのだけれど、
もっと患者の立場に立った考えがあれば・・・


う~~~~~ん、夫々の考え方だからなぁ・・。
ポジティブに治療をして行きたい患者さんだっているわけだし、
ホスピスとしての考えもあるし・・・・


難しいですね・・・。