夕霧の烏帽子

クラシックバレエと
仕事と宝塚を生きがいにしている
50代の徒然を書いてます。

貢献

2010年08月28日 | 宝塚・舞台
ファンクラブに依頼していたチケットが届きました。

・・・なんじゃ、こりゃ??

女優さんになってから入ったファンクラブなので貢献をしていないから、
仕方が無いのだろうけれど・・これは酷過ぎる。

これではファンクラブの意味無いよなぁ・・・。

・・ブログを読む為に入ったと考える事にしよう・・。





追記。
「貢献」とは、
宝塚用語で
チケット購入回数、
楽屋入り出待ち回数、
お茶会の出席回数、
FC公認グッズ購入回数の事を言います。





真面目に色々と考えてみる。

2010年08月28日 | 徒然
色々なニュースがありました。

まずは野田聖子さんの50歳の妊娠。
これはワタシ的にはブラボーです。

子供を育てる為の「子供手当」も必要でしょう。
しかし、それと一緒に考えて欲しい事があるわけです。
出来ない人、出来なかった人達の負担。
出来ない人は、保険適用にならない自費治療に出費している・・のよ。
それも出来るまで、
諦めるまで、
何年も・・・。

簡単に出来てしまう人達には分からない涙を何回も流しているの。

野田さんは自分の身体を張って世間に知らせてくれている・・と、
私は思いました。
・・違うのかもしれないけれどね

50歳の彼女が出産をするのは、大変な事だとは思うの。
だけど彼女は何かがありそうならば入院が出来るだろうし、
周りが守ってくれる立場であるだろうから・・・。

頑張れ、野田聖子


刑場公開も・・きつかったなぁ。
死刑廃止論者では無いけれど・・きつかった。


臓器提供が続いたのもねぇ・・・。
う~~~~~~~~~ん
自分は臓器提供の意思カードは持っていません。
持っていないと言う事は、
「その意思が無い」・・と、言う意味でもあるわけです。
考えた事が無いのでは無くて、
まだ自分の中で整理が出来ていないから、
持っていない。

法改正によって家族の同意のみでも臓器提供が出来るようになったわけなのだけれど、
なんつーか・・・・・。

家族が脳死状態になった状況でコーディネーターの方に話しをされて、
気持ちの整理がつかない状況で冷静に判断が出来るのだろうか??
祖母が一時、植物状態になった時に
「こんな状態でも生きていて欲しい」と、私は思ったのだけれど、
これは一番傍に居る人間では無いから、思った事なのかもしれない・・。

記者会見でネットワークの方が
淡々と説明するのを見ていて、何とも言えない気持ちになっています。


江戸時代の人の戸籍は面白いよな~~~。
もうこれは笑い事に済まされないでは無くて、
「笑い事」になったわよね。


民間では許されない事だぞ

小さいおうち

2010年08月21日 | 読書
直木賞を受賞した中島京子さんの「小さいおうち」。
入院中に母が持ってきてくれて読みました。

面白いし、
文章が上手い・・・。
サクサクと読めます。

暗くならない戦争時のお話し??なのかもしれない。
お話の中で読み手となる甥っ子の
「戦争はこうじゃなかったの??」と、言う投げかけに対して
朗らかに・・・と、言うよりも体験している人間じゃないと答えられない
答えがなんとも(-_-)なのだけれどね。

考えてみれば、
母も父も体験をしている戦争なのに、
疎開をしていたから語れない部分は
これなのかもしれない・・。
なんて、思った次第でありました。


朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」も戦争の話しにはいっています。
これはこれで・・キツイと言うか、
知らないといけない事だと思うわけだ。
今の歴史の教科書には記載されていないのかもしれないしね・・。
お祖父ちゃんは片足を引き摺っていたし、
高尾山には傷痍軍人の人達が居た時代を知っている世代であります。



憲法9条が当たり前で育った自分だから、
伝えていかないといけない・・と、思うわけです。

イレウス顛末記 その後

2010年08月21日 | イレウス
この先、どうやって生活をして行けば良いのだろうか??
退院時に主治医の先生に聞いたところ、
「気をつけるしか無いよ。暴飲暴食は駄目だよ」と、言われました。

・・入院中にも書いていたけれど、
あの頃はとにかく夏バテ注意と思って肉モードとなってはいました。
しかし、暴食だったかな??

ストレスがあったのは確か。
振付の日程が出た日だったし、
管理組合のバタバタで色々と考えていた・・・。
夫の仕事も忙しかったので、
自分を顧みていない日が続いていたよね・・・。

便秘症では無いし、
生理前だったので1日位は出ない事が不思議に思わなかった。


退院をしてきて2週間。
出なくて不安な日もあるわけです。
薬を使うか??
それとも槇村さん推奨エネマを体験してみるか??
と、色々と考える日々。

考えたり、
調べたり。
辿り着いたのが、水分でした。
自分としては水分は取ってはいるつもりではいたけれど、
きっとこれでな足りていないのよね。


浮腫むのは嫌だけれど、
水分を取って出していけば良いよね。


あとは、自分を労わる時間を作る。

これが一番なのかもしれないなぁ・・・。

復帰してきました

2010年08月19日 | バレエ
入院騒動&夏休みでバレエのほうもお休みしておりましたが、
本日より復帰。

前回の入院の時はお腹も切っていたので
2カ月近くお休みをしたのだけれど、
今回は年末年始でもお休みになる事がある2週間だったのに・・・
こんなにも、こんなにも・・ですか??でした。

退院後、慣らしウォーキングをしていて、、
足の裏が痛くなったのには驚いたのだけれど、
レッスン終了時、私の足はプルプルと震えておりました・・。
「疲れたよ~~~」と、
言いながら本日から始まる発表会の振付に入ったのだけれど、
・・・・マジ、疲れました。

前に踊った曲なので、なんとなく覚えているのも手伝って
サクサクと振付・・というよりも、思い出しが終了した時には
・・・・・


ポアントレッスンでは無くて、良かった

おくりびと

2010年08月16日 | 日常
夫の大伯父が亡くなったので家族葬に参加。
縁があって親戚となった大伯父は94歳の大往生だった為か、
寂しい気持ちとなんとも暖かい気持ちとが交差する式となりました。

大げさな式では無くて、本当に傍にいた人達だけで見送ってあげたいと言う、
叔母達の気持ちを組んでくれた葬儀社の皆さんが・・素晴らしかったなぁ。
私は何回か喪主側の立場でお葬式を経験しているのだけれど、
あんな風に丁寧に一つ一つの意味を教えてくれる葬儀って初めて経験した・・感じ。
それとも喪主だったから忙しくて聞いている暇が無かったのかなぁ。


お経をあげてくれたお坊様にしても、
一つ一つを噛みしめるように話してくれました。

終戦の日だった昨日、
大伯父は年齢的には一番華やかな時期に戦地に居たわけです。
生きて帰って来て、色々あっただろうけれど生き抜いて来てくれたから、
私達が居る・・のよね。



そんな事を考えていた、大伯父のお葬式でした。

合掌

ちょっと思った事

2010年08月13日 | イレウス
今回の入院で「ん??」と、
思った事を書いてみたいと思います。

イレウス管のサイズは入院中も書いたけれど、
男性と女性のサイズが同じなのは・・どうよ??
その昔、
バリウムを飲んでのレントゲン撮影の話を男友達とした時に
「バリウム飲むのだったら、胃カメラで診てもらった方が楽だ」と言っていたけれど、
それは男性だからであって、女性の私には喉からの胃カメラはきつかったです。
鼻からの胃カメラも同じ事だよねぇ・・。
男性よりも女性のほうがリスクは大きいのは・・・ちょっと考えて欲しいわ。



新しくなった病院にはコンビニとファミレスとカフェが入ってました。
・・・う~~~ん、
旧病院の売店と食堂の方が良かったかな??
看護師さんが言っていたのは、食堂よりも値段が高くなった・・そうだし、
夫が言うには、コンビニ弁当は種類が偏っていたそうだ。
私が思ったのは
前の売店の方が患者にとって痒いところに手が届く品揃えだった・・。

新しくなって便利になったようで、
実はそうでも無い・・感じがしたかな。


同室に数日後に入って来たお年寄りの方、
看護師さんとも顔見知りと言う事はよく入院をする方とお見受けした。
まぁ入院をする位だから、
身体が動かない・・のかもしれないけれど、
ナースコールの嵐。
挙句の果てに、
ナースコールをされる前に看護師さんがチェックをしに来る始末。

・・・迷惑を掛けないようにしている人達と、
迷惑を掛けるのが当たり前と思っている人達の
保険点数って・・一緒なのかな??
自分が知っている限りでは同じ・・だと思うのだけれど、
これって、おかしくないか??
迷惑料加算があっても、おかしくないよなぁ・・と、思った次第であります。



それにしても、若い先生の多い病院でありました。
先生方、看護師の皆さま、
お世話になりました






イレウス顛末記 その3

2010年08月12日 | イレウス
婦人科病棟のベッドに移されてすぐに
鼻から胃の中へ胃ゾンデと言うチューブを挿入。
これをいれる事で胃の中の内容物を取り去って、
軽度であればこれでOKになる・・らしいのだけれど・・。
腕には点滴、
鼻からはチューブ、
その先には汚物入れの袋(胃からの内容物が溜まる袋です)・・と、
あっという間に病人の出来あがりでありました。

胃ゾンデを入れた初日はどうしてもチューブが口蓋部の嘔吐反射する場所に
当たって話すと気持ちが悪くて参ったけれど、これも慣れます。

3日間入れたけれど便意を催す気配が無い為、
4日目にイレウス管挿入。

入院中にも書いてますが、
レントゲンを見ながら小腸の先まで挿入します。
このイレウス管から出てくる腸の内容物は結構凄いです
「物」では無くて「液体」なんだけれど、
青汁(胆汁だそうです)の濃いヤツなの・・。

大変な思いをした為か、次の日には便意を催してくれて一安心。
これで開腹手術は免れた・・ってな感じ

イレウス管は内容物が出てこなくなるまで挿入しておくので、
私は5日間入った状態で過ごしました。

10日間の絶飲絶食で、毎日4本から6本の点滴で生活をし、
鼻チューブ、汚物入れをつけている癖に元気な私。
病院内を点滴棒をカラカラさせながらうろついておりました。
・・・だって暇なんだもん。

イレウス管が取れても、
食事が常食に戻るまで退院はさせて貰えません。
看護師さんに申し訳ない位に元気な私が入院をしているわけですよ・・。
これはねぇ・・苦痛でした。
とにかく迷惑を掛けないように退院前の数日間が過ごしていた・・
そんな入院生活2週間でありました。






イレウス顛末記 その2

2010年08月12日 | イレウス
こちらのERは混んでいる・・と言うイメージだっただけに、
閑散としたERに吃驚していた自分。
紹介状がある為、すぐに診察。

診察をしてくれた若いドクターが最初に言った言葉が
「今、ウチはベッドが満床なので入院となった場合は他の病院へ
回す事となりますので、ご了承下さい」でした。
・・・K先生が言っていたのは、これか・・と、思いつつ
「○病院と×病院には回さないで下さい」と、先生に懇願

イレウスの診断が下されて、その日はERに一泊する事となり
入院ベッドに車いすで運ばれて移動。
そこに卵巣のう腫の手術をしてくれた担当医のH先生が現れて
「きゃ==」と、再会を喜ぶ私を見て、
他のスタッフの方達は笑ってました・・・



翌日、
他の病院には回されないで
婦人科病棟で面倒を診てくれる事となり婦人科のベッドへ移動。
そこでも久し振りの再会となった看護師の皆さんと挨拶をしておりました。



その時は、2,3日入院のつもりだったのに、
こんなに長くなるとは・・・なんだけれどね