想い出の時を刻む

趣味を楽しみながら、今日の思いや出来事を綴り、想い出として残していく日記

沖縄戦から70年

2015年06月23日 | 感想

 今日は沖縄戦が終わって70年になる日である。戦争の経験のない私だが沖縄に行ってみて激戦の跡地や慰霊塔などを訪ねながら、戦争の恐ろしさや悲惨さを肌で感じた事を今も忘れられない。

 

 毎年、この日を迎えるのだが今年の沖縄慰霊の日は特段の思いがする。それは今、まさに国会で安保関連法案が論議され、日本の命運が決められようとしてるからである。

 

 中国や北朝鮮の脅威が増して、日本の安全と領土が脅かせている、だからもしもの場合に備えて国民と領土を守る事を常に考えておかなければならないと政権が盛んに叫んでいるが、本当にそうだろうか。

 

 日本から他国を見ると核を保有した北朝鮮や中国の軍事力と領土の拡張戦略が確かにそうしたように見えるかもしれないが、逆に他国から日本を見る時、日本をどう見えるだろうか?

 

 世界最大の軍事力を誇るアメリカと強固な軍事同盟を結び、近代兵器を備えた自衛隊がおり、原子力発電所を稼働させ、たくさんのプルトニュームを保有している日本を見る時、相手もやはり日本に対して脅威を感じていないのかと考えてみる必要はないだろうか?

 

 戦争には常に大義名分があり、そこには必ず平和という言葉が先に語られる。だが、そうして始まった戦争の結末は多くの犠牲者を生み出し、人々の貴重な財産が破壊してきた。

 

 特にこれから、もし本格的な戦争が起きるとすれば、それは過去の戦争とは比べものにならない戦争になり、高度に発達した近代兵器は人類を破滅に追い込む本当に恐ろしい戦争になるだろう。

 

 そんなことを、想像もしたくないが、世界各地で様々な紛争の火種が飛び交っているとき、個別的自衛権であり、集団的自衛権んであっても、それが紛争に介入するきっかけとなり戦争にまで発展すれば、日本は再び悲惨な歴史を繰り返すことになるだろう。

 

 戦争では、絶対的勝者もいなければ、敗者もいないし、一方だけが破壊つくされ、一方は無事だというような戦争は絶対にない。

 

 今、戦争体験が風化し、若者の間では戦争がゲーム化して、本当の戦争の恐ろしさを経験したことない現代人の私たちが間違いを起こさないと断言はできない。

 

 だから、いまの安全保障関連法案に注目し、日本が誤った道に進まないようにしなければならない。何度も同じ話をしているが「後悔先立たず」を決して忘れてはならないだろう。

 

 願わくば、他国からの脅威を憂うなら、力による対抗ではなく、対話と高度な外交力を発揮して日本の平和を守ってほしい。なぜならば私は日本人がそうした知恵と能力をもった素晴らしい民族だと確信してるからである。

 

 沖縄戦の慰霊の日を迎えた今日、私たちは沖縄での悲惨な戦争の歴史を忘れることなく、日本の平和と安全を守り平和な未来の築いていくため、みんなが行動しなければならないと思う。

 

 戦争の足音が聞こえて来そうな今日の状況を変えることができるのは私たち一人、一人である。

 

 

 


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