ブログを書き綴っていくと、ふと気づくことがある。それは、過去の思い出が自然と想い起こされることである。
いろんな過去の出来事や友人や知人のことなど遠い想いでが一瞬にして甦ってくるから、不思議である。
そんな、私の忘れられない記憶のひとつに鳩の事がある。
最近は、鳩と言えば一般的に公園や神社などでフンをまき散らし、家やマンションのベランダに巣を作るといって、迷惑がられている鳥の一種である。
だから、こんな話などは殆どの人がまったく興味を持たないと思われるが、しかし、犬や猫が好きでたまらない人と同じで、鳩が好きな人間は世間でどう思われても好きなものは好きでなのである。
私が鳩と関わりを持ったのは小学校の頃であった。それは、当時近所に住んでいた幼友達が私に鳩を飼わないかと言ってきたのが始まりである。
それまで、鳩なんて見たこともなかったので、どんな鳥かもわからず、全然乗る気はなかったのだが、友達のひつこい誘いに根負けしてしてしまって、とうとう鳩を飼うことになってしまったのだ。
後で分かったことだけど、実は当時のお金で50円で買わされたその鳩は、空気銃で羽を撃ち抜かれて飛べなくなって捕まった鳩だったのである。 (どうも友達の小遣い稼ぎに利用されたようだった。)
だけど私は、そんな事情も知らず「鳩は賢いから馴れれば外に出しても必ず帰って来る」と言われ、その言葉を信じて家にあった小さな鶏小屋にニワトリと鳩を一緒に入れて飼い始めた。
それが、後に30年あまり鳩と付き合う契機になろうとは、当時は全く予想だにしなかった。
笑い話だが、初めて飼ったその鳩はその後、羽の傷も癒え飛べるようになったが、外に出して飛ばしみたら確かに小屋に還ってきたが100mを飛ぶのがやっとで、鳩としてはダメな鳥だった。それでも私にはその光景がとても感激的だったので、その後、鳩の魅力にどんどんとりつかれていった。
それからは、ハトに夢中になり、小学校から、中学、高校を卒業し、社会人になった後もずっと飼い続けた。私がどれほど鳩に夢中だったか二つの思い出がある。
一つは、私には3人の男兄弟がいたが、ある日、父親が子供たちに贈り物を買ってくれたのだが、兄には本を、弟には大きな消防車のおもちゃを買ってあげたが、わたしにはお金をくれて、材木を買えと言いました。私は不思議に思い父になぜ私には木材なのかと聞くと、お前は勉強もせず、毎日鳩に夢中だから、そのお金で材木を買って好きな鳩小屋でも作れとの話だった。
そう言われた、私は喜んでいいのやら、親に勉強できない子として見捨てられたのやら、よくわからず戸惑ったことを今でもはっきり覚えている。 (後にこれがきっかけとなり、少し勉強するようになった。)
もう一つは、私が成人し会社勤めを始めたころ、どうしても鳩を飼いたくて、会社の許可もなく勝手に屋上に大きな鳩舎を建てて叱られたこどだ。今になって考えてみると、ずいぶん無茶な事をしたと思うが当時は誰も使わない屋上を利用して何が悪いと開き直って全然反省しなかった。若気の至りである。面白いことに私を叱ったその上司がその後、段々と私を気に入ってくれて、鳩の餌を買ってくれたので驚かされた。人間の因縁とは面白いものである。 (鳩飼育の面白い話はこれから機会があればまた、ブログに紹介していこうと思います)
私の若い頃は、町のあちらこちらで、鳩を飼っていた人が沢山いたので、おそらくこのような経験をした人も少なくはないと思われる。
近年は、日本の住環境が大きく変わり多くの人が鳩を飼えなくなったが、今でも鳩を専門的に飼いレースを行っている人もの少なくない。
私も、最盛期は鳩の飼育を本格的に行い、レースに参加したりしたりもしたが、やむを得ない事情で鳩の飼育を断念して久しい。が今でも鳩の魅力を忘れることができなくて、条件さえ許されれば、また飼ってみたいとずっと思い続けている。(こんな年になっても未だにこんな事を考えている、私はやっぱり愚者かもしれないですね)
だから私は今でも暇な時には鳩を見に公園に出かけたり、鳩小屋を見つけては遠くで眺めたり、ネットで鳩を飼っている専門家たちのホームページやブログを毎日見ながら楽しく読み続けている。
しかし、もう一度鳩を飼ってみたいと思う、私の素朴な夢は結局見果てぬ夢となるでしょう。