想い出の時を刻む

趣味を楽しみながら、今日の思いや出来事を綴り、想い出として残していく日記

写真が語るもの

2015年02月22日 | 過去

 母の遺品を整理していると沢山の写真が出てきた。写真の存在なんてあまり考えてなかったので驚いた。

 

 今はデジカメが主流で写真も変色もせず永久保存もできるようだが、昔の写真はそうはいかず随分変色をしていた。しかしその変色した写真をみると、なんとなく時間がタイムスリップしたようでその当時の状況が思い浮かび感慨深かった。

 

 

 母は先月95歳で亡くなったが、以前にも言ったように母が歩んできた人生はまさに波乱万丈であった。そんな母の人生を私は古い写真からもう一度思い起こされた。

 

 写真には黄色く変色した20代の若い頃の写真から、亡くなる数か月前のものまで結構残され出いたが、どの写真も無心には見過ごすことができなかった。そしてそうした写真から、その時代ごとの母の思いが手に取るようにわかるような気がした。

 

 幸せなとき、苦労が重なった時など写真にはその時々の表情がはっきり出ていたし、その背景を見ながら当時の生活状況もわかって懐かしかった。

 

 私は母の写真を整理しながら、それをただの遺品として扱うのではなく、母や我が家の歴史を語る資料として大切に保存していきたいと思う。なぜならば私の子供たちや孫たちにおばあさんが生きてきた人生を物語のように教えるよりも、写真という資料を自分の目で見ることで、子や孫たちがそこから感じることを自分の人生の糧として生かしてほしいからである。

 

 何時の時代も苦しいこと、辛いこと、楽しいことなど様々なことがあるだろうが、先代たちが苦労を乗り越えて生きてきたあの強靭な精神力と、自分よりも家族や隣人を大切にした慈しみの心に学び、それを目標にしてこれから生きていくことが、ささやかであっても幸せに暮らせる楚となることだと思う。それが、子供たちの将来を思う私の気持ちである。

 


見果てぬ夢

2015年01月13日 | 過去

 ブログを書き綴っていくと、ふと気づくことがある。それは、過去の思い出が自然と想い起こされることである。

 いろんな過去の出来事や友人や知人のことなど遠い想いでが一瞬にして甦ってくるから、不思議である。

 そんな、私の忘れられない記憶のひとつに鳩の事がある。

 



  

   最近は、鳩と言えば一般的に公園や神社などでフンをまき散らし、家やマンションのベランダに巣を作るといって、迷惑がられている鳥の一種である。

 だから、こんな話などは殆どの人がまったく興味を持たないと思われるが、しかし、犬や猫が好きでたまらない人と同じで、鳩が好きな人間は世間でどう思われても好きなものは好きでなのである。

 私が鳩と関わりを持ったのは小学校の頃であった。それは、当時近所に住んでいた幼友達が私に鳩を飼わないかと言ってきたのが始まりである。

 それまで、鳩なんて見たこともなかったので、どんな鳥かもわからず、全然乗る気はなかったのだが、友達のひつこい誘いに根負けしてしてしまって、とうとう鳩を飼うことになってしまったのだ。

 後で分かったことだけど、実は当時のお金で50円で買わされたその鳩は、空気銃で羽を撃ち抜かれて飛べなくなって捕まった鳩だったのである。 (どうも友達の小遣い稼ぎに利用されたようだった。)

 だけど私は、そんな事情も知らず「鳩は賢いから馴れれば外に出しても必ず帰って来る」と言われ、その言葉を信じて家にあった小さな鶏小屋にニワトリと鳩を一緒に入れて飼い始めた。

 

 それが、後に30年あまり鳩と付き合う契機になろうとは、当時は全く予想だにしなかった。

  

 笑い話だが、初めて飼ったその鳩はその後、羽の傷も癒え飛べるようになったが、外に出して飛ばしみたら確かに小屋に還ってきたが100mを飛ぶのがやっとで、鳩としてはダメな鳥だった。それでも私にはその光景がとても感激的だったので、その後、鳩の魅力にどんどんとりつかれていった。

  

 それからは、ハトに夢中になり、小学校から、中学、高校を卒業し、社会人になった後もずっと飼い続けた。私がどれほど鳩に夢中だったか二つの思い出がある。

   

 

 一つは、私には3人の男兄弟がいたが、ある日、父親が子供たちに贈り物を買ってくれたのだが、兄には本を、弟には大きな消防車のおもちゃを買ってあげたが、わたしにはお金をくれて、材木を買えと言いました。私は不思議に思い父になぜ私には木材なのかと聞くと、お前は勉強もせず、毎日鳩に夢中だから、そのお金で材木を買って好きな鳩小屋でも作れとの話だった。

 

 

 

   

 そう言われた、私は喜んでいいのやら、親に勉強できない子として見捨てられたのやら、よくわからず戸惑ったことを今でもはっきり覚えている。 (後にこれがきっかけとなり、少し勉強するようになった。)

  

 もう一つは、私が成人し会社勤めを始めたころ、どうしても鳩を飼いたくて、会社の許可もなく勝手に屋上に大きな鳩舎を建てて叱られたこどだ。今になって考えてみると、ずいぶん無茶な事をしたと思うが当時は誰も使わない屋上を利用して何が悪いと開き直って全然反省しなかった。若気の至りである。面白いことに私を叱ったその上司がその後、段々と私を気に入ってくれて、鳩の餌を買ってくれたので驚かされた。人間の因縁とは面白いものである。 (鳩飼育の面白い話はこれから機会があればまた、ブログに紹介していこうと思います)

 

 私の若い頃は、町のあちらこちらで、鳩を飼っていた人が沢山いたので、おそらくこのような経験をした人も少なくはないと思われる。

  

 近年は、日本の住環境が大きく変わり多くの人が鳩を飼えなくなったが、今でも鳩を専門的に飼いレースを行っている人もの少なくない。

 

 

 

 私も、最盛期は鳩の飼育を本格的に行い、レースに参加したりしたりもしたが、やむを得ない事情で鳩の飼育を断念して久しい。が今でも鳩の魅力を忘れることができなくて、条件さえ許されれば、また飼ってみたいとずっと思い続けている。(こんな年になっても未だにこんな事を考えている、私はやっぱり愚者かもしれないですね)

  

 だから私は今でも暇な時には鳩を見に公園に出かけたり、鳩小屋を見つけては遠くで眺めたり、ネットで鳩を飼っている専門家たちのホームページやブログを毎日見ながら楽しく読み続けている。

 

 

  しかし、もう一度鳩を飼ってみたいと思う、私の素朴な夢は結局見果てぬ夢となるでしょう。

 

 


懐かしい舞子浜

2014年12月10日 | 過去

 明石海峡大橋が完成して、もう16年が過ぎ去った。月日のながれが本当に早いものである。私は時間があれば、この橋がそびえ立つ神戸側のJR舞子駅におり、海を眺めに訪れる。それは、この舞子で青春時代を過ごし、また、結婚後も、子育てに奮闘しながら、子供たちをこの浜辺へよく連れて来て、遊ばせた忘れられない思い出があるからである。

 

                          夜明の舞子の浜

 

                            明石海峡を行きかう観光船

 

 高校時代からこの舞子浜に近い、小高い丘の上に住んでいた私は、学校に通うたびに見えてくる広い海や向こう岸の淡路島、そして、その海を行きかう船を眺め、こんな景色を毎日見れる喜びを感じながら、青春時代を過ごしたものである。

 

                            丘から眺めた明石海峡大橋 

 

 今は、その姿が一変してしましたが、昔はこの浜辺に松の木が生い茂り、小さな砂浜もあって、幼い子供たちを連れてよく遊びに来たもので、今もここに来るたびにその光景が思い出される。

 

                       舞子公園にたてられたモニュメント

 

                                   孫文記念館

 

 私は、こうした思い出が残る、舞子の浜が忘れることができず、毎年、正月にはここを訪れ、一年の無病息災を祈りながら、初日の出を写真に収めることを何年も続けている。もう、まもなくまた新しい年が明けます。

 

                                 昨年の初日の出